607話 閑話 運命の寵児

 クリスティアス・リカイオスは不機嫌であった。

 原因は、フォブス・ペルサキスの軽挙妄動である。


 敵情視察として、身分を偽ってのラヴェンナ侵入を黙認していた。

 元々成功するとは思っておらず、ラヴェンナの警戒心をあおれば問題ない認識だった。

 それをテコに、シケリア王国の慎重派を説得する材料になると。


 すぐに戻ってきたときは苦笑したが、事態はあらぬ方向にすすんでいた。

 アントニス・ミツォタキスへの警戒を、完全に解いていたことが原因。


 元々、リカイオス家は大した家柄ではない。

 下の上から中の下程度の家柄。

 ゆえに実力があっても、相手にされず勢力を拡大できなかった。


 この場合は、大きな勢力の傘下に入ってのし上がるのが一般的。

 クリスティアスは、それを良しとしなかった。

 自分の行動が掣肘されることを嫌った。

 なにより便利使いされて……最後は使い捨てられると思っていたのだ。


 クリスティアスは内乱前まで鬱屈うっくつした気持ちを抱え込んでいた。

 贅沢な暮らしができないことや、軽んじられることが問題ではない。


 体を駆け巡る有り余る情熱が行き場を失っていた。

 それが死にたくなるような煩悶はんもんを招いていたのだ。

 固定された社会も、絶望を後押しする。

 動乱が始まったとき、クリスティアスは天命を感じた。


 周囲が右往左往しつつ、旧来の慣習に固執する連中を横目にクリスティアスは動いた。


 薄いコネを駆使して、国内の安定化を望むアントニスの後援を得ることに成功。

 他の貴族では内乱の終結は長引く……。

 そうアントニスは思ったのだろう。

 それだけクリスティアスの気迫と頭脳明晰さは群をぬいていた。

 

 小勢力が力を伸ばすのは、最初が最も困難。

 それは家格的に同等かやや上の勢力を打ち負かしたとしても、傘下に加えることが難しいからだ。

 ここでは面子が問題になる。


 負けた側に大義名分を用意できない勝者が、勢力を伸ばすのはむき出しの力に頼るほかない。

 それではどれだけ有能でも、多くの者が消耗しつくして消えてしまう。

 

 そこを乗り超えれば、運と実力さえあれば道は開かれる。

 あとは雪だるま式に大きくなっていく。


 そのハードルを飛び超えるには、アントニスの名門貴族としての威光が必要不可欠。

 大勢力になるまでは、アントニスの権威を頼っていた。


『リカイオス卿に屈したのではない。

ミツォタキス卿に協力するのだ』


 これが敗者にとって、便利な言い訳なのだ。

 面子もつぶさないし、周囲も納得する。


 アントニスはいわば補助輪。

 自由にこぎ出せるようになれば、補助輪は不要になる。


 つまり、アントニスが邪魔になってきたのだ。


 熱狂と野心の赴くまま、自分の才能を試したい。

 内乱を終わらせたあとは、世界を一つにする。

 それが、己に課せられた運命だと確信していたのだ。

 運命の寵児であるならば、その愛顧には全力で応える……それがポリシーである。


 3国の均衡を志すアントニスは、もはや障害となっていた。

 だが粛正はできない。

 立ち上がりから協力した大恩人であることは、周知の事実。

 口実を探して粛正しては、国内が不安定になる。

 クリスティアスの権威はまだ強くないのだ。


 文明的に未開であれば、むき出しの力にのみひれ伏す。

 文明が発達すると、むき出しの力にはひれ伏さない。

 理由が必要なのだ。


 もう一つひそかに抱いている、夢にも支障がでてしまう。


 なので体よく閑職に回したのだ。

 幸い相手は武力を持っていない。

 仮に陰謀をたくらんでも、武力で粉砕できる。

 

 そんなアントニスを、ラヴェンナとの取り次ぎ役にした。

 家格的にも問題ないし、ひそかな期待があったからだ。

 戦争をする気でいるが、理由が必要になる。

 相手が剣に手をかければ、自分も剣に手をかけるのがこの世の習わし。

 なんとでもなる……そうたかをくくっていた。


 戦争が始まれば、取り次ぎの失敗のせいにできる。

 平和を志向していて、取り次ぎに失敗。

 これはアントニスの権威の失墜につながる。

 政治的に、完全に息の根を止められるだろう。


 クリスティアスは恩義を感じていたので、統一した世界で要職につければいい。

 邪魔をしなければ、命までとるつもりはなかった。


 途中まではクリスティアスの予想どおり。

 ラヴェンナが、一向に危機感をあらわにしないこと意外は。

 鈍いわけではない。

 意図的に鈍感を装っている。

 アルフレードとは、実に食えない男だと苦笑していた。

 

 アルフレードばかり注視していたリカイオスに、驚愕きょうがくする事態が襲いかかる。

 政治的に瀕死ひんしだったアントニスが、突然復活した。

 国王ヘラニコスとの連絡を、密にしはじめたのだ。


 突然、国王から親戚であるペルサキスと、ラヴェンナの民との婚約をすすめるように……と命が下ったのだ。

 まさに青天のへきれきであった。

 クリスティアスはほぞむ思いとなる。

 アントニスに、注意を払っていなかった己の迂闊さを呪ったのであった。


 国王からの命令では、反対もできない。

 反対しては、今まで掲げてきた『王家の権威を復活させ、秩序を取り戻す』というスローガンを、自ら破り捨てることになる。

 敗者が飲み下せる大義名分を捨てては、政情不安を招くだけだ。


 国王はアントニスに取り込まれて、平和共存などという非効率な夢を見はじめたのだろう。

 

 最初は憤慨したが、妨害工作をしなかったのは理由があるからだ。

 ある意味クリスティアスにとって、悪い話ではなかった。

 もう一つの、ひそかな夢の障害が取り除かれる。


 国王の末娘ディミトゥラに懸想していた。

 年の頃18歳。

 可憐で儚げな美少女で、一目見たときから虜になった。


 宴席の場で、カールラ・アクイタニアを嫁にとろうか……といったが本心ではない。

 正妻とするには、実家に力がなさ過ぎて、利用価値が低い。


 あくまで、本命はディミトゥラである。


 そのディミトゥラは、ペルサキスに好意を抱いていた。

 ペルサキスが、国王命令でどこの馬の骨ともしれない女を正妻に迎えると、どうなるか。

 王女が側室などありえない。

 ラヴェンナの女を正妻に迎えてから側室に落とす手もあるが……。

 ラヴェンナとの関係を考えるとありえない。


 国王はクリスティアスに配慮して、側室との意向だった。

 そこでクリスティアスは『どうせなら正妻がいいでしょう』と提案したのだ。


 ディミトゥラは王女だ。

 自分の立場も知っている。

 ペルサキスの妻になれないなら、クリスティアスからの求婚は断らないだろう。

 

 かくしてクリスティアスは王家の外戚になる。

 家柄の低さをさげすんできた連中は、力だけでなく家格でもひれ伏すのだ。

 実に痛快ではないか。


 シケリア王国が世界を統一して、ディミトゥラとの子を王にする。

 世界統一を成し遂げれば、誰も反対できない。

 リカイオス朝が始まり、世界は繁栄を迎える。


 自分ならできると確信していた。

 使徒は人の争いに介入できない。

 取り込むことは容易だろう。


 不測の事態でも、結局はプラスに働く。

 自分は運命から愛顧を受けている。

 その確信を強くしたのだった。

 

 世界統一の障害はラヴェンナだと考えている。

 全容がしれない。

 最初は、ランゴバルド王国侵攻の橋頭堡程度の認識だった。

 ところがそう簡単ではないと悟る。


 ラヴェンナに出先機関を置いたものの、表向きの情報しか手に入らない。

 ガードは鉄壁といってもいい。

 こちらに設置された出先機関はといえば……。

 ケチのつけようがない、堅実な活動しかしない。


 喉に刺さった小骨のような存在になっている。

 そこに今回の婚姻を、円滑にすすめるために送られてくる人物が大問題だ。

 小骨どころでは済まない。


 モデスト・シャロン。

 ランゴバルド王国の毒蜘蛛だ。

 堂々と、アルフレードの正式な代理として滞在する。


 これで、何もたくらんでいないなど……ありえない。

 クリスティアス自慢の謀臣集団も困り果てていた。


 家柄にとらわれない登用をすすめた結果、集団内でも競争が行われている。

 その実力は折り紙付きだ。

 それでもモデストは、厄介な相手だろう。

 踏んでいる場数が違うのだ。


 タチの悪いことに、表向きの使節なので手がだせない。

 国王の面子に、泥を塗ることになる。

 それだけでない。

 ディミトゥラとの結婚を認めなくなる。

 ディミトゥラからも野蛮な人物として嫌われてしまう。


 不機嫌なクリスティアスを前に、側近集団は戦々恐々たる思いだ。

 側近集団もアントニスに、注意を払っていなかった。

 いつでも消せる程度の存在との認識だったのだ。


 側近集団の主席を務めるラゴス・ニアルコスが、クリスティアスの顔色をうかがう。

 低い家柄の出自だが、頭脳明晰でクリスティアスの右腕と称されている。

 見るからに、頭のいい人物といった印象。

 頭のいい人物にありがちな酷薄さも漂わせている。


「リカイオス卿、受け入れるほかないでしょうが……。

監視されますか?」


 ここでの監視は目立つようにするかどうかだ。

 クリスティアスは、少々不機嫌なまま顔をしかめる。


「相手が玄関から堂々と入ってくるのだ。

粗相があってはいけないだろう」


「承知いたしました。

丁重にご案内するとしましょう。

ラヴェンナ卿の真意が読めませんね。

なにかを仕込むつもりでしょうが……」


 ラヴェンナがすでに、なにかを仕込んでいることはありえない。

 ラヴェンナの動向は、最重要監視対象となっている。


「わからんが……。

意味もなく、あの毒蜘蛛を送り込んでこない。

毒蜘蛛の随行員にも、注意を怠るな」


「ははっ。

あのボドワンめは、いかが致しましょう。

捕縛要請を受けていますが、今までどおり無視は危険かと……」


 クリスティアスは、思わず顔をしかめる。


「たしかにな。

ラヴェンナ卿は彼奴らとの関わりを疑っていて、毒蜘蛛を送り込んできたのやもしれぬ」


 ラゴスの顔が厳しいものになる。


「牽制ですか。

たしかにラヴェンナ卿なら考えそうですな。

ですがただのけん制で、大事な切り札でもあるシャロン卿を使うとは思えません。

ランゴバルド王国内へのにらみより優先するものが、ここにあるのでしょう」


 クリスティアスは釈然としない顔だが、モデストの影は無視するには大きすぎる。


「心当たりなら山ほどあるが、どれも尻尾をつかまれていないはずだ。

そのあたりも探るべきだろう。

後ろから短剣で刺されてはかなわない」


 つまり内通者がいないか探れとの指示だ。

 そこには内通しそうなものも含まれる。


「ではミツォタキス卿の周囲を、重点的に探りましょう。

これはある意味好機では?」


 ラゴスの目が鋭く輝く。

 クリスティアスは興味をそそられたような顔になる。


「ミツォタキス卿は取り次ぎだ。

他国に通じるほど落ちぶれていないだろう」


 言葉とは裏腹に、クリスティアスは猛禽もうきんのような笑みを浮かべた。

 モデストとの関係から、謀反の疑いをかけることもできる。

 そう簡単に尻尾をだすとは思えないが、選択肢は多い方がいい。

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