578話 悩ましいお手紙

 1年離れただけで随分変わったものだと、感慨に浸る間もなく世界は動いていく。

 祭りから1カ月ほどは、何事もなく時が過ぎていった。

 季節は夏だ。

 窓からの日差しも強くなっている。


 シケリア王国のアントニス・ミツォタキスから、キアラにお手紙が届いた。

 それとは別ルートでゼウクシス・ガヴラスからも、非公式の扱いでキアラに書状が届けられた。

 キアラへのご機嫌伺といった感じで、シケリア王国の出先機関の職員が定期的に訪問してくる。

 その際に非公式として渡されたものだ。


 まずは公式の内容を見せてもらう。


「もうじき、シケリア王国の内乱も終わりと。

それは想定通りでしょう。

食糧の交易については継続していきたい。

これも想定通りですね。

問題はドゥーカス卿との決戦です」


 俺は、書状をミルに手渡す。

 キアラを見ると、少し憂いのある表情だ。


「大激戦だったようですわね。

双方あわせて、戦死者1万なんて……異常な数値ですわよ。

その後の統治に、支障が出るのではありませんこと?」


「どうでしょうかね。

シケリア王国の総人口は500万人程度でしたかね。

500分の1だから、微々たるものだと考えるかもしれませんね。

話はそう単純ではありませんけど。

勝つためなら、その程度は無視できるかもしれません。

それにその中には、逃亡者も数多く含まれるでしょう」


 0.2パーセントが戦死なんて狂気の沙汰だ。

 だがその狂気の沙汰でも実行するに足る理由があるのだろう。

 ランゴバルド王国は750万程度。

 アラン王国は1000万程度。

 平地で農作業に適した土地の割合が人口に直結する。

 ミルは少し青い顔で、書状をキアラに返した。


「1万が微々たるものって……。

とても酷い話じゃない? どうかしているわよ。

それに働き手が500万人な訳ないでしょ。

とても重たい数値よ?」


 ミルの考えは全く正しい。

 そんな数値ではない。


 だが栄光を求めて、野心に燃える男がそんなことを考えるとも思えない。

 一将功成りて万骨枯る。

 そんな気持ちじゃないのかな。

 一時期の損失は、未来に穴埋めできるとでも言うような。

 俺にはできない考え方だが、それをする相手だという事実は変わらない。


「ろくでもない話ではありますが、あえてそんな戦いにしたとも考えられます」


 ミルは大きく息を吐き出してから、頭を振った。

 想像の外といったところだ。


「自国の人を減らしたがるの?」


「戦死したのは、敵か自分の直属でない兵士がほとんどでしょう。

リカイオス卿直属の指揮官は温存していると思いますよ。

戦死者の中には傭兵も多いと思います。

ランゴバルド王国の内乱が終わった以上、傭兵の稼ぎ場はシケリア王国だけです。

ドゥーカス卿は金に糸目をつけずに、大量に雇い入れるでしょう。

死んでは金など無意味ですからね。

最短距離ではリカイオス卿の勢力圏なので、迂回する羽目になりますがね。

妨害は簡単なのに……していない。

こちらに何の要請もしていない。

故意に戦力を糾合させたと見るべきでしょうね」


 ミルは頭をもう一度振って、冷静になろうとしたようだ。

 小さく息を吐いてから、首をかしげた。


「アルに教えてもらった戦い方の基本は……分断させて各個撃破よね。

少ない敵に、数で勝る味方をぶつける。

それに逆らっていない?」


 ミルたちには、統治者として考えるべき戦いの基本を教えてある。

 指揮は執らなくても、戦力を整えるのに知見は必要だからだ。


「リカイオス卿にとってそれが必要だからですよ。

ともかく時間との勝負だと思っているでしょう。

こちらが攻めてくる可能性すら考えていたと思います。

なので敵の力を強くした方が、最短で内乱を終わらせることができます」


 ミルは難しい顔をして、指でトントンと机をたたいている。

 10秒ほど考え込んでから、採点を希望する生徒のような顔になる。


「傭兵を増やしてもまとまりに欠けるから、逆に倒しやすいってこと?」


「一部正解です。

まずドゥーカス卿側の兵糧消費量を増やす。

長期戦をさせない為ですね。

そしてもう一つは、相手に決戦を挑ませる気にさせることです。

決戦は楽ですからね。

なにせ、一度で片が付きます。

今までの不利も挽回できる。

決戦とは不利な側が挑むものですから。

それに空元気でも、士気は上がります」


 ミルは、なんとなく理解した顔でうなずいた。

 このあたりの理解も早くなっているなぁ。


「勝ち目があると思う程度には、相手の兵力を増やさないと決戦する気になれないのね。

それでも勝てるつもりだったって……。

すごい自信家ね」


「そんなところです。

リカイオス卿は罠を仕掛けたわけです。

敵の擁する指揮官がどの程度かも把握している。

危険はあるが、数が増えても統率は取れない……と計算したでしょう。

ドゥーカス卿だって馬鹿じゃない。

勝てる見込みがない限り、決戦を挑みません。

罠は相手が美味そうだと思わない限り無意味ですよ。

獣だって肉を食べた後の骨なら食いつきません。

美味しそうな肉が付いていないとね」


 まあ骨でも勝手に妄想して食いつく人間も一定数存在する。

 欲に目がくらんで、詐欺に引っかかるか、賭博で身を滅ぼすのは人間の笑えない特権だな。


「つまり時間が最優先だから、犠牲が大きくても勝ちが欲しかったのね。

なんだか商売に似ているわ。

欲しがるものを売るのが商人よね。

リカイオス卿は、追い込まれたドゥーカス卿が欲しがる勝機を売りつけて、時間を代金として支払わせたかったのね」


 俺は自然とほほが緩んでしまった。

 ミルの考えに感心したからだ。


「見事な見識ですよ。

これだけ成長してくれると、私も嬉しいですね。

結局人の関係は、そこに尽きるのですよ。

欲しいものを与えて、欲しいものを貰えるか。

それが全てですよ。

人によって欲しがるものが違うので、複雑に見えますけどね。

それとリカイオス卿は、別の効果も狙っているでしょう」


 無償の愛と言われるものがあるが、自分の満足を欲した行為だ。

 金品や働きでの見返りを望んでいるわけではない。

 相手の反応が、自分の希望に添わなかったら?

 それ以上、愛を注がないだろう。

 親子でもそうだと思う。

 冷淡に聞こえるし、良い効果は生まないから言われないだけだ。


 それでも愛を注ぐ人は気味悪がられるだろう。

 もしくは愛を注いでいる自分に酔うことを欲しているか。

 気にせず愛を注がれ続けた人は、当然だと信じて増長するだろうな。

 ほぼ良い結果は生まない。

 そもそもそれは、愛とも言えない気がするが。


 ミルは、少し感心した顔で苦笑する。


「別の効果って……。

なんだかアルみたいね」


「統治するなら、効率よく行動すべきです。

そうでないと義務は果たせませんからね。

一石二鳥や三鳥以上を狙って行動すべきなのですよ。

行動力は有限です。

困ったことに……やらなければいけないことは、考え出せば無限に等しいのですから。

ともかく私に限ったことではありません。

まず自勢力は温存しています。

結果として、リカイオス卿の勢力が他を圧倒する。

そして傭兵を集めて始末したことで、今後の治安維持も若干容易になるでしょう。

最後は他国が侵略してくる危険性を高めることです」


「国力が落ちれば、そうなるわね」


「逆の話をします。

自分たちの力が弱くて、相手が攻めてくるかもしれないと思ったら?」


「とにかく時間を稼ぐかな。

時間をなんとか、味方にできるようにするわ」


 俺が常にやっていることは、当然理解してくれているな。


「その認識は健全ですね。

私がそう思えば、誰も異存はないでしょう。

では私が『危険になる前に、先手を打って戦わないとジリ貧だ』と言えば?」


 ミルは小さく頭を振って、天を仰いだ。


「ああ……。

反対できないわね……」


「自分の力を突出させて、他国と戦う大義名分を作り出す。

加えて他勢力が反抗できない程度に力を削ぐ。

これが狙いでしょうね」


「そんなことのために、人を死なせるのって信じられないけど……。

決めるのは私たちじゃないものね。

アルが口癖のように言っていたことがとても重たいわ。

じゃあ……攻めてくることは確定なのね」


 嘆いても改善しないからな。

 嘆いて良いのは一般市民くらいだ。


 統治者は嘆く暇があれば、対策を考えないといけない。

 そしてその危機が訪れなかったとき、批判されることを覚悟しなくてはいけない。


 正しい批判は必要だ。

 それがなくては軌道修正が難しい。

 批判のための批判を好む人間だらけだったとき、その社会は死に向かっている証拠だが……。

 ラヴェンナではまだその兆候はないだろう。


 対策が不十分でも、そのツケを払わなくてはいけない。


 政治は結果論の世界。

 実に厄介な職業だよ。


「そう思っている方が健全ですよ。

川沿いに住んでいて、洪水を警戒して生活するようなものです。

家なら離れられますが、領地は引っ越せませんからね」


「アルはリカイオス卿の挑戦を……どう受けるつもりなの?」


 まだ決まってはいない。

 今は、情報を集める段階にすぎないからだ。


「まずリカイオス卿の状況を考えます。

この手を使ったので、今後は自分の勢力が主力となって動かないといけません。

その場合、シケリア王国本土が平穏であることが大事ですよね。

こちらとの戦いに熱中するあまり、後ろから刺されたら元も子もありません。

そしてもう一つは、ランゴバルド王国との戦争になります。

本家……違った。スカラ家ですね。

その動向も、気になるでしょう」


 ミルはちょっと安心した顔になった。

 攻めると思って、簡単に攻められる状態でないことが分かったろう。

 この場合、ラヴェンナとスカラ家が疎遠だと、分断工作をされて大変な事態を招きかねない。

 普段からの友好姿勢は大事ってことだ。


「そう考えると、なかなか攻められないのね」


「それでも攻めたいでしょう。

そうなれば、ラヴェンナをたたくことを、第1に考えるでしょうね。

あの内乱でほぼ無傷でしたから。

従ってランゴバルド王国からも、助力ができないように分断させる必要が出てきます。

まあ……アラン王国と密約を結んで、2国対1国の戦いに持ち込みますかね。

アラン王国も、シケリア王国から領地を得ても飛び地に近くて旨味が少ない。

それなら広く隣接するランゴバルド王国から、領土を分捕った方が得でしょう。

その上で旧デステ領を攻撃すると見せかけて、海軍でラヴェンナを攻撃。

まあ、そのあたりですかねぇ」


「旧デステ領は攻めにくいんだっけ」


「大軍で一気に攻め寄せると、兵站の維持が難しいですね。

もし攻めやすかったらリカイオス卿が、既成事実作りでチョッカイを出していたと思いますよ。

攻めにくく守りやすい土地です。

そして両方に、力を割く余裕はありません。

どちらかに絞るでしょうね。

ともかく……これを送ってきたミツォタキス卿の真意は、まだ分かりませんね」


 これをアントニスは、どう捉えているのか。

 公式の文書では分からないな。

 話を黙って聞いていたキアラが、首をかしげる。


「お返事はどうしましょう?」


「礼儀上返さないといけませんからね。

無難なところでまとめておいてください。

言質を取られて、開戦の口実にならなければ良いです」


 キアラも、そう考えていたのだろう。

 すぐにうなずいた。


「分かりましたわ。

では問題のこちらです」


 ゼウクシスからの書状を受け取って、目を通す。

 まずは手紙を出すことの非礼を詫びているな。

 挨拶代わりのようなものだ。

 それ以降の内容が問題だな。


「内乱も終結しつつあり、今後は交流を広げていきたいと。

それで私的な手紙を出しても、差し障りのない相手を教えてほしい……ですか。

表向きは独自のコネ作りのようですね」


「そうですわね。

よくある方法だと思いますわ」


 俺はミルに書状を手渡しつつ、頭をかく。


「はてさて、どうしたものか」


 難しい顔をしているミルを見て、キアラはほほ笑む。


「リカイオス卿の罠の可能性もありますものね」


「そんなベタな手は使わないでしょうが。

これが本当に内密かですね」


「つまりリカイオス卿が、あえて見逃していると?」


「そんなところです。

妄想だけならいろいろなパターンが考えられますからね……」


 キアラは俺の言葉に、眉をひそめる。


「それではどうしましょうか。

丁重にお断りします?」


「いえ。

あちらの情報が、手に入るチャンスです。

それに世界主義とは相いれない人たちです。

そうですねぇ……。

ではこの人を推薦しましょうか」


 全員の驚き顔を見て、俺はニヤニヤ笑っただけだ。

 これが、どう出るか。

 見物だな。

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