484話 待ち人来たる

 我慢比べの中、待ち人来たる。

 以前見習いに来ていた人物が訪ねてきた。

 俺に相談せよと、本家から言われたとのこと。


 その男は、インノチェンテ・サントリクィドと名乗った。

 30代後半で、どこか世間ズレした感じの人物だ。

 見習いに来ていた時期は、俺の生まれた頃だろう。


 俺はキアラを伴って、インノチェンテと面会することにした。


「お初にお目にかかります。

サントリクィド卿」


 インノチェンテはいかにも、如才なくといった感じで俺たちに一礼した。


「お目通りをお許しいただいて感謝致します。

ラヴェンナ卿と妹君」


「確かサントリクィド卿はユボー殿の傘下でしたよね。

いかなる用件です?」


 インノチェンテは、小さく息を吸い込んでから吐き出した。


「実はユボーが、スカラ家見習いをした者たちを疑い始めたのです。

王族だって斬首したのです。

ましてや元貴族など消すことに躊躇いなどしないでしょう。

むざむざ消されては、死んでも死にきれないと思い、旧縁を頼らせていただいた次第です」


「それはさぞ無念なことでしょう。

そんなことをしては、ユボー殿の配下にも動揺が走るのでは?」


 インノチェンテは、身を乗り出した。

 少し汗をかいているようだ。


「ええ。

今ユボーは、内部の統制ができていません。

今なら、一度の攻撃で簡単に崩壊しますぞ」


 俺は腕組みをして、小さくうなずきかえす。


「なるほど、確かに良い機会ですね」


「今をおいて、機会は他にありません。

スカラ卿に進言していただけないでしょうか! ラヴェンナ卿の言葉であれば動くと言われています!」


 インノチェンテの言葉は、熱気にあふれている。

 それを、俺は手で制する。


「しばし待ってください。

こちらにも良い手があるのです。

今それを待っているところなのですよ」


「それはシケリア王国と、同盟を結んでの援軍でしょうか。

王都では噂になっていました。

ラヴェンナの友人と言えばそれだろうと。

ですが、それには賛成しかねます。

内乱で外部勢力を入れれば、その影響を大きく受けますぞ。

最悪乗っ取られることもあり得ます」


 俺がそれを匂わせた。

 マンリオは友人……と言っても分からなかったろう。

 だが世情に詳しければ、リカイオス卿と交易をしていることは分かる。

 そうなれば助力を頼むと、自然に思い至る……わけだ。


 俺は大げさに手を振った。


「その前に確認させてください。

サントリクィド卿の脱出は発覚しているのでしょうか?」


 インノチェンテは、突然話が変わったことに驚いたようだ。

 

「い……いいえ。

周囲にはユボーへの信頼を取り戻すために、スカラ家の内情を探ってくると言って出てきました。

なので大丈夫です」


「それは大変結構。

実はイッポリト・サッケーリ殿のことです。

旧領を取り返す見返りとして、こちらに内応する手はずとなっているのですよ。

今も返してもらえていませんからね。

2度も約束を反故にされては、いくら義理堅い彼でも我慢の限界でしょう。

ただ、最近連絡が途絶えていましてね……。

少し心配していたのですよ。

彼は健在ですか?」


 インノチェンテは、大きく口を開けていた。

 衝撃的だったのだろう。

 慌てて我に返ると、大きく首を振った。


「ま、まさか……」


「サッケーリ殿は、もともと陰謀にまきこまれて所領を奪われたのです。

その奪還を約束にユボー殿に協力しました。

ブロイ家に反故にされて、ユボー殿が力ずくでその土地を手に入れた。

当然返してくれると思いきや……。

別の土地ではどうかと言われる。

心中穏やかでは無いでしょう。

サッケーリ殿に同情しますよ。

約束を破るくらいなら……最初から期待させなければ良いと思いますね」


「た、確かに……。

あれはひどい話でした。

ですが、ユボーは内乱に勝った暁には……王国の5分の1を与えると約束しました。

それでサッケーリは納得したはずです」


「その約束が守られる保証はどこにあるのでしょうね。

もしくは与えてから、言い掛かりをつけて粛正するなどもあり得ますよ。

利益だけでつながっている集団で……1人の臣下に5分の1の土地は大きすぎるでしょう。

それこそ、猜疑心の奴隷になりますよ」


 インノチェンテは言葉に詰まっている。

 そろそろ話を進めよう。

 俺はキアラに目配せすると、キアラは書状をテーブルの上においた。

 俺は動揺しているインノチェンテに笑いかける。


「ここに彼から受け取った誓約書があります。

反故にしない証として……父上のサインを既に入れてあります。

もし健在ならこれをサッケーリ殿に渡して、決起を促していただけますか」


 インノチェンテの目は契約書にくぎ付けだ。


「騎士時代のサインですか……。

アイツ騎士は捨てたと言っていたのに……」


「傭兵時代のサインでは本人か分かりませんから。

もし……決起が難しいなら、ユボー殿には裏道であるマントゥア砦を攻撃させないようにしてください。

どうもマントゥアの守備隊長が内応していると、噂があるのですが……。

なかなか尻尾を出さないのですよ」


 俺は大げさに肩をすくめた。

 インノチェンテは俺にぎこちなく愛想笑いを浮かべる。


「ラヴェンナ卿も苦労が絶えませんね」


「噂だけで処断しては、日和見の貴族たちが動揺してユボー殿に寝返りかねません。

仮に更迭できたとしても……マントゥアを強固にする前に攻められては、簡単に陥落してしまいます。

結果としてスカラ家領内を好きに略奪できます。

しかも騎士団はそちらからでは大軍での侵攻はできないと思い込んで、マントゥアに兵力を割くことを渋っているのですよ」


 インノチェンテが唾を飲み込む音が聞こえた。

 俺の視線に気がつくと慌ててうなずいた。


「サッケーリが寝返れば、勝利は間違いありません。

どおりで戦わずに、時間を稼ごうとしているわけです……。

恐れ入りました。

必ずや決起を促します」


「ええ。

頼みましたよ。

成功すれば、サントリクィド卿の褒美は望むままですよ。

他の仲間たちにも、戦場で私たちに寝返ったら厚遇すると可能なら伝えてください」


                 ◆◇◆◇◆


 慌てた様子でインノチェンテが、ウェネティアを出て行った。

 その様子を、キアラは苦笑交じりに眺めている。


「なんと言いますか……すごいですわね。

それ以外の言葉が出てきませんもの」


「そうですかね?」


「マリオの従兄弟を使って、情報を流す。

それだけでは不足ですよね。

さらに詳しく確認をさせるために……スパイを送らせる。

スパイを送りやすいように、元見習いたちに誘いを掛けたのですわね」


「ええ。

マンリオは情報を、ユボーの側近に伝えます。

そして彼らはマンリオを、全面的に信用していない。

だから、私もそうだと思う。

マンリオ以外を使って、誘いの手を伸ばしていると思うでしょう。

だからこそ逆用しようと思うわけです」


「それを利用すれば、こちらの内情を探れると思わせたわけですよね。

結局……お兄さまは、ユボーが派遣するスパイを待っていたのです?」


 俺は窓の外を見ながら、肩をすくめた。


「ええ。

それが待ち人ですよ。

少々むさ苦しくて、ムードがありませんでしたがね」


「自分が派遣したスパイが持って帰る情報なら信じますわ。

それと、あの書類の偽造。

サインを模写させて、内通をでっちあげるなんて悪辣ですわ。

サッケーリをユボーの手で消させるつもりですね。

ユボーは絶対に、自分が主導権を持って動いていると思いますわよ」


「サッケーリ殿は慎重です。

我慢比べを続ければ勝てる……と知っているでしょう。

そんな彼がいたら、こちらの損害が増しますから。

ユボーの制止役を排除する必要があります。

そしてユボーには、焦りがあります。

正常な判断は、かなり難しいですね。

ひどい偽善ですが、サッケーリ殿に同情しますよ。

会ったことはありませんがね」


 音がしたので、キアラを見た。

 もう諦めたが、予想通りメモしている。


「それは命の取り合いですもの。

同情されても困るでしょうね。

それにしても……素敵すぎますわ。

お兄さまが味方で、本当に頼もしいですもの」


「さて……もう一つ、デザートを飾り付けましょうか。

マントゥア砦に事前に分かるように、査察を入れましょう。

守備隊長のお尻に、火をつけてあげないとね。

その旨を、兄上に伝えてください」


「焦った守備隊長は、ユボーに催促しますわね」


「その通り。

これで攻撃のあるタイミングが予測しやすくなりますよ。

ロッシ卿に山へ、ピクニックにいく準備をしてもらわないといけませんね。

それより……そろそろラヴェンナに、海上から攻撃があるでしょう。

そちらのほうが心配ですよ」


 キアラは海の方向を眺める。

 ラヴェンナの方角だ。


「そうですわね。

大丈夫なのは知っていても心配なのは変わりませんもの」


「老人たちの知恵に頼りましょう。

そのために、正式に依頼したのですから」

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