441話 アイテール

 その日の夜だ。

 確かに俺は寝たはずなのだが……。

 妙に、意識ははっきりしている。

 そして、目に入ったのはあのラヴェンナ広場だ。


 どうやらお呼ばれしたようだな。

 そう思うと、テーブルと椅子が現れた。

 椅子は三つ。

 その一つにラヴェンナが、頰づえをついて俺にほほ笑んでいた。


「パパ、久しぶり」


「珍しいな、お呼ばれするとは」


 ラヴェンナは、笑顔から一転して頰を膨らませる。


「パパに言いたいことがあるのよ!!

あのボンキュッボン。

私にご利益がないって失礼じゃない! ちゃんと説明しておいてよ!」


 ボンキュッボンってオフェリーか。

 シルヴァーナが聞いたら、勝手に喚きそうな表現だ。

 思わず笑ってしまった。


「仕方ないだろう。

俺を助けてくれたことをしゃべれないだろ。

それに……ラヴェンナの御利益は見ようとしない限り分からないだろ」


 ラヴェンナは口をとがらせた。


「仕方ないわね。

文句を言うために呼んだわけじゃないのよ。

ちょっと私が干渉しないといけないことがあるの」


「良いのか? 人の営みに干渉できないだろ?」


 ラヴェンナは指をパチッと鳴らす。

 その音が響くと、ティーセットが突然現れる。


「ええ、戦争なんかには干渉できないわよ。

今回の話は、ちょっと違うからね。

話が大きくなるから、ゲストを呼んだわ」


 ラヴェンナが視線をむけた椅子に、ベールをまとった貴婦人が座っていた。

 時間や移動の概念もないからな……。


「久しいのともがらよ。

にとっては、一瞬の出来事ではあるがな」


 第三の空の女王まで呼んだのか。


 ラヴェンナはティーカップに、3人分のお茶を注ぎながらほほ笑んだ。


「女王さま、急な呼び出しに応えてくれて有り難う」


 第三の空の女王は、少し非難混じりの視線をラヴェンナにむけた。


「それは構わぬ。

だが……その呼び名は正しくないと何度も申し渡しておろう」


 ラヴェンナはペロっと、舌をだす。


「ゴメンなさい。

パパのせいで、勝手に呼び名をつける癖がついてるのよ」


 俺のせいかよ……。

 第三の空の女王は小さく首を振った。


「親離れできぬようでは、女神は名乗れぬぞ」


 ラヴェンナは口をとがらせる。

 ギリシャ神話の神以上に俗っぽいなぁ。


「じゃあ呼びやすい名前を考えてよ」


の眷属は、名前に深い意味を込める。

他の名で呼ばれることは好かぬ」


 まずこの問題から解決するのか……。

 俺は小さくため息をついた。


「本人がそう言っているのです。

正式な名前で呼ぶべきでしょう。

自主自立の女神なのですから、他者の尊重ができないと看板倒れですよ」


 ラヴェンナはまた頰を膨らませた。


「パパの癖に、娘に冷たい……」


「子供を躾けるのは親の最も重要な勤めです」


 愛するのが第一だって? 愛するから躾けるのだよ。

 甘やかして将来をダメにするのは愛じゃない。

 それは親の自己満足にすぎない冷酷な行為だと思っている。

 子供が大人になってからの自分の選択肢を奪っているだけだ。


 第三の空の女王は俺を見て小さく笑った。


「はるかいにしえの話になるが……。

は人の子に神のように崇められていた時代があった。

そのときの巫女がを呼んだ名を使うことを許そう。

以後、アイテールと呼ぶが良い。

許すのはともがらとつがい、そして娘御のみぞ。

それ以外のものには許さぬ。

軽々に許しては、あのときの楽しき思い出が薄れてしまうからのう。

重ねて言うが……ともがらが、命を賭してとの盟約を守った故に許すのだ」


 つまり……かなりの友好的措置なのだろうな。

 なんかどんどん背中が重たくなっていく気がする……。


「ではアイテールと呼ばせていただきましょう。

他者がいるときは、従来通りとします。

知られてしまっては、そう呼ばれかねないですからね」


 アイテールは懐かしむような顔で、満足気にうなずいた。


「よろしい。

久しく呼ばれていなかったが、懐かしい響きよ……」


 ラヴェンナも、ニッコリほほ笑んだ。




「やっぱりパパを挟むとスムーズよね。さすが凄腕のトラブルバスターね。

それで本題に入るわよ。

まず一つ。

あの使徒がつくった金よ。

偽りの姿から、本来の姿に戻せるのよ。

ラヴェンナの中に入ると……だけどね」


 あの貨幣か……。

 将来的な爆弾だと思っている。

 だからどうしようか悩んでいたのだよな。


「元がどんなものか分かるのですか?」


 ラヴェンナは、小さく肩をすくめた。


「さすがに分からないわ。

ただ魔力で違うものに偽装されていたら、元の素材に戻すだけよ」


 一種のまやかしかぁ。


「仮に元が石だったら金貨の形をした石になる。

それで合っています?」


「ええ。

それと一度解除したら、ラヴェンナの外にだしてもそのままよ。

また使徒が作り替えれば変わるけどね」


 将来の混乱は避けられるが。

 世界に及ぼす影響がヤバイ……。

 即断するのは難しいかなぁ。


「それはあとで決めても良いですか?」


 ラヴェンナは、小さく首を振った。


「本来はとっくにそうしているのよ。

偽装された貨幣は、私にとって不快な魔力を発しているの。

それを見逃していただけ。

もう一つの問題の対処に、全力を注ぐから妨害じみた魔力は排除しないと危険なの。

前もって警告したから、準備をしておいて」



「分かりました。

混乱は起きるでしょうが……。

将来子孫に対処させるよりはマシですね。

時期はいつ頃になるのでしょうか?」


「そうね……次の新月よ。

その時が一番楽に解除できるから」


 次の新月か……。

 普段月なんて見ないからな。

 何日後か起きたら確認しよう。


「そうですね。

では、もう一つの問題とは?」


 アイテールは優雅に、ティーカップに口をつけたあと嘆息した。


「最近、急に悪臭が増してきてのう。

吾主わぬしとの契約外ではあるが、話を持ちかけようかと悩んでいたところだ。

そこに娘御から、話があった」


 悪臭で連想できるのはアレしかないな。


「血の神子のことですか?」


 アイテールは鼻に、手を当てる仕草をした。

 悪臭を思い出したかのようだ。


「その名前は存ぜぬ。

だが、吾主わぬしの認識しているそれと同じであろう。

その悪臭の元は、元々厳重に封がされておった。

だが封が薄くなってのう。

匂いが漏れてきておる」


 パトリックの手配が間に合わなかったのか?


「誰かが破ったのですか?」


 俺の声が、自然と厳しくなった。

 それを見たラヴェンナは、大げさに片手を振った。


「違うわ。

封印は完璧よ。

私やアイテールが、悪臭の存在に今まで気がつかない程にね」


「つまり外部環境が変わって、封印が弱まったと」


 ラヴェンナはアイテールに目配せする。

 アイテールは小さくうなずいた。


「完璧であるが故に、一つの変事が崩壊に結びつく。

は、第三の空の女王。

この意味は分かるであろう?」


「空は複数あるのですね。

時代によるものか、区切りはか知り得ませんが」


「左様。

この世界には七つの空がある。

いや……空ではないな。

吾主わぬしは、曖昧な言葉を聞かされると疑問が増すだろう。

この世は魔力の見えない壁で隔たれておる。

その一つが、ここぞ。

吾主わぬしの言う悪霊の領域。

悪霊が力を失いつつあるが故に、壁が薄れかかっておる」


 いきなり、世界の話になった……。

 そうなるとどうしても気になることがでてくる。


「他にも悪霊のような存在がいるのでしょうかね」


 ラヴェンナは、小さく肩をすくめた。


「正直分からないわ。

でも、兄界きょうかい弟界ていかいを結合しようとするほどの力があるのはアレだけね。

今のところ、パパは心配しなくても平気よ」


 悩んでも仕方ないか……。

 他の大陸があるのは想像していたが、往来がない理由まで考えが至っていなかったな。

 俺はため息交じりに頭をかいた。


「壁は人の行き来を妨げるのでしょうか?」


 アイテールは俺に、苦笑をむけた。


「完璧な断絶ではない。

往来は能うが……容易ではない。

海であれば嵐が吹き荒れる。

平地であれば、人が踏破できぬ砂漠となる。

山であれば、山は高く天候は厳しい。

ラヴェンナを守る山。

それが壁の一つよ」



 もう一つの考えは後回しだな。


「となると、封印はその壁を利用しているのでしょうか。

それに依存して、完璧に施したから緩んできたと」


 アイテールは再び、満足気にうなずいた。


吾主わぬしは、秘密を教えがいがある。

飲み込みが早いのう。

その悪臭の元は、捨て置けぬ存在での。

娘御とどう掃除するか相談していたのだ」


 ラヴェンナは嫌そうな顔で、そっぽをむけいた。


「私だってパパを困らせることはしたくないけどね。

この地を腐らせることは見過ごせないのよ」


「あの血の神子をつくったのは人じゃないのですか?」


 人のやったことに介入するとは思えないのだが……。


「誰がやったかの問題じゃないのよね。

違う次元の話なの。

この世に存在してはいけないもの……。

負の魔力から生まれる存在だからね。

この世界は、正の魔力でできているの。

負の魔力は微量にこの世に存在するけど、それなら問題ないのよ。

自然にあるものだから」


 負の魔力なんて初耳だな。

 そして見過ごせないほど厄介なのか。


「死霊術みたいなものですか?」


 俺の疑問に、アイテールは楽しそうに笑った。


「残念ながら外れぞ。

これは説明をしないと、吾主わぬしの万全の協力を得ることは能わぬな」


 人間社会では戦争。

 それ以外にも、爆弾が転がっていると。

 悪霊を弱体化させると、こんな副作用があるとはなぁ……。

 俺が悩んでいると、ラヴェンナは少しバツの悪い顔をした。


「理屈にうるさいパパでゴメンなさいね。

こんなときは、本当に面倒くさいわ」


 俺が悪いのかよ!

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