236話 まだ渡りきってはいない

 長雨と聞いたが、4日連続の大雨だ。

 ちょっと極端だな。


 せき止めたダムを確認させたところ、いつ決壊してもおかしくない、と報告を受けた。

 最初は余裕だったプリュタニスの顔がひきつっている。


「これ……決壊したら、どうなるのでしょう」


「それは、城は水浸しですね。

すぐ水は引くでしょうが、何人生き残れるかは謎です」


 プリュタニスは、頭を振った。


「既に勝負ありですね……。

でも実際に水が流れてこないとわからないのでしょうね。

わかる前に溺死するかもしれませんが……」


 俺はそれに返事をせずに、チャールズを呼び出す。

 チャールズがすぐにやってきた。


「ご主君。

そろそろでしょうかね」


「ええ。

ここまで水は来ないでしょう。

ですが最初に作った防御陣地に、敵が攻めてくるかと思います。

夜間の警備を強化させてください。

また夜間に轟音がなったら、絶対に下に降りないよう徹底してください」


「承知しました。

こんな規模の水攻めは……はじめてですなぁ」


 プリュタニスはため息をついた。


「私も初耳ですよ。

水攻めは伝承でしか聞いたことがありません。

ここまで水が来ないことを祈りましょう」


「ここまでは、勢いよく来ませんよ。

方角的に城に一直線です。

人事は尽くしましたから、天命を待ちましょう」


 プリュタニスとしてはひとりでも多く救いたいだろう。

 その思いとは裏腹に、果たして何人生き残るか考えられないようだ。

 

「最初の戦いで捕虜になった者たちは、かえって幸運でしたね……」


 それに対してコメントする気はなかった。

 俺は捕虜になったわけでもないから、気持ちがわからない。

 敵の心情を考えても詮無きことだ。


                  ◆◇◆◇◆


 その夜雨音を聞きながら眠っていると、突如ドーンと轟音が鳴り響く。

 俺はパッと起き上がって、外に出る。

 いざという時も考えて、平服のまま寝ていた。


 外は真っ暗で何も見えない。

 だが轟音と共に、かすかな地鳴りがしている。

 それを聞いた全員が、テントから出てきた。

 頭がボサボサのプリュタニスが、こちらに走ってきた。


「アルフレードさま! ついに決壊しましたか!」


「ええ。

ですが暗くてまったく見えませんね」


 篝火かがりびを掲げても暗闇だけで、不気味な音がしているだけだ。


 全員が沈黙していると、水の流れてくる音がした。

 音量からして、ここは大丈夫だろう。


 しばらくすると、下から水の跳ねる音がした。

 じっと耳を澄まして聞いてみた、それから大きな音はしない。

 これ以上、水位は上がらないだろう。


 俺は指示を仰ぎに来たであろうチャールズに向き直る。


「最初に作った防御陣地の確認を急いでください。

濁流から逃げるため、ドリエウスの後詰めがそこに避難するでしょう。

生きるために、死兵になっている可能性が高いです」


 チャールズは一礼して、馬を駆っていった。

 プリュタニスは暗くて見えない城の方角を凝視している。

 俺はプリュタニスの肩に手を置く。


「明日にならないと、詳しい状況はわからないですね。

ですが、全滅はしていないでしょう。

濁流は一撃だけですから」


 俺の言葉に、直接返事はなかった。


「過去に戻れたら、父を殺してでも戦いを止めたのに……」


 雨の中テントに戻る俺に、かすかに声が届いただけだった。

 俺は黙って眠ることにした。

 明日はきっと忙しくなる。

 

 睡眠不足は判断力を鈍らせる。

 今になって俺が被害に関して云々いうのは白々しいというものだ。


                  ◆◇◆◇◆


 翌日、水攻めの結果がわかった。

 水は一部を除いて引いている。

 城壁の一部は崩れていた。

 城壁は完全に崩壊してはいない。

 だが濁流の直撃を受けた方面の上部は崩壊している。


 ダムの建材が武器になって城に襲いかかったようで、城壁に木が刺さっている部分まであった。

 そこまでは考えていなかったが、高速で流れてくる流木か……。

 これはきついな。


 俺が出てくる前から、じっと城を凝視しているプリュタニスの隣に立った。

 いつも背後にいるプリュタニスの護衛は、小刻みに震えて顔面蒼白そうはくだった。

 プリュタニスは目が充血している。

 どうやら寝ていないようだ。

 ずぶ濡れではないから、ずっとここにいたわけではないだろう。


「もしかして、ずっと起きていたのですか?」


 プリュタニスは力なく肩をすくめた。


「さすがに寝ようとしました。

結局、眠れませんでしたよ。

そのうち明るくなったから諦めました」


「疲れているでしょう。

休んだほうがいいですよ。

ここからしばらく忙しくなりますから」


「いえ……。

どうせ眠れませんよ」


 そこにチャールズが、馬を駆ってやってきた。


「ご主君、見立てどおりです。

敵との戦闘がありました。結果、敵は全員降伏しました。

300人ほどです」


 結構、生き残ったな。

 こっちは、全軍で来ているわけではない。

 600名ほどだ。

 食事量が増大する上、監視も一苦労だな。


「こちらの被害は?」


「死者1名、重症3名、軽症5名です」


 死兵を相手に、死傷者9名は少ないと思うべきなのだろうか。

 今、感傷に浸っている暇はない。

 俺は深いため息をついてから、プリュタニスに向き直る。


「会ってみますか?」


「アルフレードさまの許しがあれば……。

是非」


 俺は黙ってうなずく。

 プリュタニスはチャールズと共に、馬を駆って捕虜のもとに向かった。


 この成果をどう生かすか。

 今回の犠牲で増した心の重みを感じながら、強く頭を振った。


 まだルビコンを渡りきってはいない。

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