235話 病気は軍の大敵

 エンジニアと人夫が到着次第、渓谷のせき止め作業が始まった。

 敵は妨害したくても妨害できない。

 というよりリスクが高すぎる。

 不気味ではあるが危険を承知で、こちらに攻撃を仕掛ける気にはならなかったのだろう。

 湿地帯にでての攻撃は、退却時に大損害をかぶる。

 ただの陽動と考えることもできるからだ。


 ドリエウスのこもっている城からは、馬鹿にした声がたまに届くくらいだ。

 俺はここまで届く声を出すのは大変だろう、と逆に感心していた。

 そうしたら皆から白い目でみられてしまった。

 

 少人数の奇襲はあり得るので、人夫には十分護衛をつけている。

 好奇心で視察しにいったら、材木でダムを造るようだ。

 洪水で流されてしまうが、今回はそれが目的なのでちょうど良いらしい。

 土を落として造ると思ったが、違うのだなぁと感心してしまった。

 

 これまた、めったにない工事なのでエンジニアが楽しんでいると…。

 これ、戦争なんだけど…モチベーションが上がるならいいけどさ。


 それと同時に、アーデルヘイトに医療スタッフ10名ほどの派遣を依頼した。

 新しく加わった獣人にも、適性があれば医術を教えたい。

 土木作業に従事していない女性から教えていこう。

 新しく加わった人数が多いから医療従事者の増員は急務だ。

 首都でも、人手がいるだろう。

 派遣を依頼できるのは10人が限界だな。


 他にもやりたいことはあるが、まずは戦争を終わらせる。

 今のところは、飢えたり病気にならなければ良い。


 工事は順調で二週間もして、ほぼ満足いくダムができあがった。

 水はせき止められているが、全然たまってはいないようだ。


 工事中に、ドリエウスの後詰め近くに魔族の軍が布陣したとの報告を受けている。

 なにか目立つ旗を立てていて、プリュタニスから話題の賢者さまの旗印ときいた。


 俺にはそんな自己アピールする気がしれない。

 世の中、目立ちたがりもいるからな。

 転生前も自分の顔を、でかい看板に張り出すようなヤツがいたな。


 旗自体は否定しない。

 古代ローマも軍団に旗手がいたくらいだ。

 士気高揚と団結のためにも役立つのだろう。


 軍の規模が大きくなったら、導入を考えている。

 多民族だけに、なにか団結するシンボルは欲しいからな。


 工事の終わりが近づくと、皆露骨に俺から視線を背け始めた。

 雨が降らないことに気を使っているのか?


 俺自身は、降らなくても仕方ない程度の認識だった。



 そんな中、雲行きが怪しくなって大雨が降り始めた。

 軍の中から歓声が起きる。

 俺の知識じゃないから称賛されても、なんの感慨も湧かない。

 皆の視線を感じて、俺は肩をすくめた。


「先人の知恵を借りただけですよ」


 

 大雨の対策はしていたから俺たちは、難なく対処できた。


 ドリエウスの後詰めは、遠目からも大慌てなのが分かる。

 魔族の賢者さまは、軍をより高台に動かした。


 念のためってところか。


「ロッシ卿、長雨で兵士に病気が広がる可能性があります。

兵士たちの病気予防とストレス解消のため、入浴小屋でも作ってあげてください。

幸い材木は多いですからね。

われわれの分はあとで良いでしょう」


「承知しました。

病気が広がるのですかな?」


 俺は嫌な記憶を思い出して苦笑した。


「ドリエウスの城が水浸しになったら、疫病がはやりますよ。

湿気が多いところに長期間、人間が固まって暮らすと病気がちになります。

われわれの中でも、注意はしますが病人がでる可能性がありますからね」


 チャールズが疫病ときいて渋い顔をした。


「あれは勘弁してほしいですな…」


「今までの生活環境が劣悪でしたから、獣人たちにもかかる人がでるかもしれません。

今回の病気は深刻ではありませんが、兵士が病気にかかる可能性があります。

そうなると戦力が大幅低下しかねません」


 チャールズが一礼して出て行った。

 隣にいたプリュタニスが、しきりに感心していた。


「アルフレードさまは、いろいろなところに注意されているのですね。

軍に疫病が広がると考えているのですか」


 第二次世界大戦で日本軍の一番の死因は、飢え死にと病気だ。

 ジャングルの奥地の湿地帯で、栄養不足になれば病気になる。


 古代中国でも、長期の籠城で疫病がはやって軍が壊滅している。

 指揮官が一番注意するのが、兵士の健康だ。


 兵士の健康に注意を払えない、そんな指揮官は失格だと思っている。

 少なくとも俺の配下には絶対要らない。


「人が多いと、必然的に広がるものです。

戦場のようなストレス環境は平時より、病気にかかりやすいのですよ」


「アルフレードさまは実に、人の心理に注意されていますね…」


 俺は思わず苦笑してしまった。


「戦争は人がやるものです。

つまり、心理状態を知らないといけないのですよ。

規律の維持や士気の向上なんて、心理と密接に関わります。

実際の運用はロッシ卿に一任しています。

ですが、運用ができるように基本的な条件を整えるのは私の仕事ですよ」


 プリュタニスは遠くの魔族の陣地を眺めていた。


「賢者さまは難しいことはない。

必死に働くように追い込めば良い。

そんな風にいっていました」


 それも正解の一つだ。

 油断すると、兵が逃げ散るのが常識な孫子の論法だが。

 逃げ散らない俺たちの軍は、それを基本にしなくても良い。


「間違いではない、とだけいえますね。

ですが、その考えが基本なら、その賢者さまは兵士から嫌われてそうですね。

明るい人格なら、それでも人気があるかもしれません」


 霍去病は傍若無人で、兵士が飢えている時に自分たちは宴会をしている。

 そんなことをしても、不思議と兵士に人気があった。


 人気とやらは実に不可解だ。

 なにか思い当たる節があるのか、プリュタニスは苦笑した。


「明るくはないですね。

賢者さまは自分自身以外に嫌われていると思いますよ。

『私のいう通りにすれば、全部がうまくいく』が口癖ですよ」


 プリュタニスも好きではないようだ。

 とても賢者にはみえんな。

 でも、失敗はしていないから、なんとか地位を保てているのか。

 もしくは、責任転嫁の賢者なのか。

 失敗を極端に恐れるなら…あまり心配はしなくて良さそうだな。


「私も、そんな風に自分を無条件に信じてみたいものですよ」


 降り注ぐ雨を眺めながら、俺は心にもない回答をした。

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