1−6

 夜9時を過ぎて加那は帰宅した。

「ただいま」

 靴を見ると、母親は帰宅していて、父親は不在だった。

 靴を脱ぐのにもたついていると、玄関に母親が迎えにでてきた。

「加那、本当に夕飯いらないの?」

 心配げに聞いてくる。

 ゼミに行っていると思っている母親は夜遅い帰宅自体には何も言わない。

「いらなーい」

「ちょっと加那、話くらい……」

 リビングを素通りして、自分の部屋へと向かう間にも母親の声は追いかけてくる。父親への愚痴を高校生の娘に聞いてもらおうというらしい。

 加那は無視して手を振り、母親の声を遮った。

「ゼミ、疲れてんだ。宿題もあるし」

(私に話したって、どうにもならないっての)

 自室に戻り、加那はバフンとベッドへと倒れ込んだ。

 手にはスマホを握っている。 

 疲れていた。

 朝6時過ぎに家を出て、毎日帰ってくるのは9時過ぎだ。

 体は疲れて同然かもしれない。

 けれど、家にいない間は心は自由なはずなのに……毎日心の中も荒れ果てていた。

 寂しいとも違う。

 怒りとも少し。

 ただ、毎日が虚しくくだらない。

 ベッドの上でうつらうつらとしていると、霞んだ視界の何かが光った。

 スマホの着信を知らせる明かりだ。

 加那は仰向けになって、スマホを開いた。

「何これ……」

 夕方消したはずの『居衣』のアプリが再ダウンロードされていた。

 開いてみても何も変わらない。

「何か、またどっかで貰っちゃったのかな……」

 迷惑メールかなにかの類のように思えて消そうとした所で、梨里からライン電話がきた。

(まあ良いか)

 加那は梨里の電話に出た。そして、『居衣』のアプリのことはすっかり忘れてしまった。


 その日。

 朝から両親は今度はお互いにだんまりだった。

(……くだらない)

 加那はいつもの通り両親を放っておいて、6時半には家を出る。

 と、マンションを出た所で、近道にと横切った公園の金網近くに何かが居るのを見つけた。

 毎年ツツジが咲く垣根の脇あたりだった。

 薄茶色の、小さな生き物の長い耳が僅かに動く。

(こんなところに、うさぎ?)

 思わず加那は足を止めた。

 そっと後戻りして、近寄ってみる。

 うずくまって垣根の下を覗くと、やはりウサギだった。丸まって、伏せた耳だけが時折ピクピクと動いている。薄茶色の毛はふっさりと長めで、少し痩せていたが短めの尖った耳が可愛かった。額から鼻先にかけてが白く可愛かった。

(どっからか、逃げてきちゃったのかな)

 加那は動物は嫌いではない。

 しかし、両親はどうだか知らないが、飼おうという話題さえ家庭内では出たことがなかった。だから、一度も何も飼ったことはない。

(……残念だけど、またね)

 あまり構っていたら電車に乗り遅れてしまう。

 ウサギが顔を上げて加那の顔を見たような気がしたが、後ろ髪を惹かれながら加那はそこから駆け出した。

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