第81話 別れの時
あれからまた数十日が経ち、いよいよ別れの時がやってきた。
長らく親しんだこの中華大国を離れる時が遂に来たのである。
大都の王宮――その門前には、多くの人が見送りに来てくれていた。と言っても、俺が親しくしていた人たち限定だった。それでもその全員が顔を見せてくれている。
先生、婆さん、玲さん、爺さん、張真将軍、そして第一王子のタンヨウと、加えて項大然王その人の姿まで。前世でぼっちだった俺にしてみれば、これほど多くの人が別れを惜しんでくれることは嬉しい限りだ。
旅支度を終えた俺に向かって、まずは婆さんが口を開く。
「まったく。婿殿は婿殿のくせに、一体どこに行こうというのかね」
その親愛の籠った嫌味に、俺は苦笑いするしかなかった。
「すいません」
「ふんっ、謝るくらいならずっとここにいればいいのさ。ま、ここはもうあんたの家も同然さね。いつでも帰って来ればいいよ」
その温かい言葉に俺は頭を下げるしかない。
次に大然王が言ってくる。
「あれほどの領地を提示してやったのに士官を断るとは、つくづく欲のない奴だ。だからこそ益々欲しくなる。かくなる上は、いずれスカイフィールドを侵略してでもお主を……」
「大然! 言ってよい冗談と悪い冗談があるよ!」
「バ、ババ様、しかし、このままエイビーを逃すのは国にとっての損。ここは無理矢理にでも……」
「バカ者! こういう男はそれでもどうにもなりゃしないよ。それで逆に敵に回そうものならもっとでかい損になるだろ」
「ぐぬ……」
さすが大然王も婆さんにだけは頭が上がらないようだ。それにしても大然さんは冗談と言ったが、婆さんみたいに止めてくれる人がいなかったら本気でやりかねないから怖い。そういう王なのだ。
まあ、それだけ買ってくれているのは正直嬉しいけど……。
最終的にはスカイフィールドの三倍くらいの領地を提示されたからな。それってこの国一番の領地持ちになるほどの提示内容だった。こわ。逆に引いたわ。
二人が言い争っている間に、玲さんが前に出てくる。
「これでお別れとは名残惜しいな」
「……はい」
思えば彼女とは話した時間よりも戦っていた時間の方が長かったかもしれない。
それでも、言葉以上に交わしたものが色々ある。
「また、いつでも帰ってこい」
「はい」
「また、勝負しよう」
「はい」
「わたしはもっと腕を磨く。お前もさらに腕を磨け」
それがわたしたちの間の繋がりだ。彼女の目はそう言っていた。
「はい」
俺は頷き、彼女に誓った。またいつかあいまみえる日のために。
そして俺は、辺りを見回す。
でも、やはり彼女の姿だけは見当たらなかった。
「あの……ファラウェイは?」
玲さんは気まずそうな顔を見せる。
「……すまない。朝からどこを探しても姿が見えないんだ」
「……そうですか」
俺はため息を吐くしかなかった。
実は未だにファラウェイにだけは、俺がスカイフィールドに帰ることを伝えられていない。
何度も話そうとしたが、その度に逃げられたり、はぐらかされたりして、終ぞ彼女には直接伝えることが出来なかった。
そして、今は姿を現してさえくれない。
それはきっと、薄情な俺に対する彼女のささやかな抵抗なのだろう。
でも……このまま彼女に黙ってここを去るわけにはいかない。
門の外に向けていた足を、俺はもう一度王宮の方へと向ける。
「俺、やっぱり探してきます」
「……そうか。すまないな」
「いえ……。悪いのは俺ですから」
そう、悪いのは俺だ。
彼女には散々世話になったのに。
ずっと好意を向けてくれていたのに。
その全てを捨てて俺はここを去ろうとしているのだから。
彼女が怒るのは当たり前だった。
でも……それでも。このまま顔も見ずにお別れなんて出来ない。
俺は王宮に向けて駆け出していた。
**************************************
ファラウェイの姿は簡単に発見することが出来た。
いつも彼女と一緒に鍛錬を積んでいた王宮の中庭。
そこに膝を抱えて座っている彼女の姿があった。
俺が近付いてきているのに気付いているはずだが、ファラウェイは背を向けたままこちらを見ようとしない。
「ファラウェイ……」
名前を呼んでも無反応。彼女と出会って三年余り、こんなことは初めてのことだった。
いつもは活発に揺れていた右側のお団子から伸びるサイドテールも、今はそよ風に揺れているだけだ。
思えばベッドに入られたり、勝手に風呂に入ってきたり、彼女には色々と困らされたが、こんなに困ったことは他にない。
「ファラウェイ」
俺はもう一度名前を呼んだ。今度はハッキリと、大きな声で。
すると、ようやく、彼女はこちらを振り向く。
……その顔は……涙で濡れていた。
彼女の涙を見たのも、これが初めてだった。
ファラウェイはこれまで聞いたこともないような、とてもか細い声を絞り出すようにして言ってくる。
「エイビー……ワタシを置いて行ってしまうアルカ?」
………。
それは過去、前世も含めて、最も罪悪感が込み上げた瞬間だった。
俺は何も言えなくなる。身じろぎすることすら出来ない。
呼吸が浅くなるのを感じた。
――こんなに辛いことが他にあろうか?
もしかしたら、そんな想いが顔に出ていたのかもしれない。
彼女は立ち上がると、ゆっくりこちらへ近づいて来て――
優しく俺に抱き着いてくる。
そして、耳元で小さく呟いた。
「嘘ネ……。ワタシ、覚悟はしていたアルヨ」
「……!」
それは彼女の優しさだった。俺を困らせまいとする、最大限の……。
彼女はすすり泣く声を殺しながら、最後にこう言った。
「エイビー……大好きネ」
知っていた。知っていたが、これほど大きくて暖かいものだということを、俺はここに来て思い知らされた。
俺は自分の涙が流れるのを止められなかった。
「俺も、大好きだ……ファラウェイ」
自然と、俺の口から毀れた言葉。
それは俺が初めて彼女に「大好き」と言った瞬間だった。
いや、前世も含めて初めてのことだった。
それだけ俺は本気で彼女のことが好きだった。
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