第65話 光と影
俺たち一行が大都に着いたその夜――
帰還した第三王女を祝って盛大な宴が開かれた。
大きなホールには一面に赤い絨毯が敷き詰められており、ところどころに料理や飲み物が乗ったテーブルが置かれている。
しかし椅子はなく、いわゆる立食式のパーティだ。
もちろん、この宴の目的は色鮮やかな料理を食べることなどではない。一種の政治的闘争の場だ。
そんなわけでファラウェイはあちこち引っ張りだことなっている。あっち行っては笑い、こっち行っては笑い、彼女の笑顔には強面の武人ですら顔を綻ばせていた。
ファラウェイのところだけ自然な笑顔が咲いている。正直、あの仁徳は大したものだと思う。
一方で、第一王子タンヨウもファラウェイとは違う場所で文官たちを相手に話し込んでいた。
彼は彼で自分の派閥を切り崩されまいと必死なのだろう。
ちなみにクロの姿は見えない。そりゃあんな陰気くさい奴がいたら興も冷めるわな……。
と、まあ、そうやって冷静に場を分析している俺の周りには誰もいないのでした。
皆、【魔力ゼロ】の俺のことをあからさまに遠ざけているからだ。
――いや、別に寂しくないッスよ? 慣れてますから。
でも辛たん……。
あー、飯が美味い! 俺の周りだけ空いてるから、料理が盗り放題ですわ!
……さっき料理を食べることが目的じゃないって言ったばかりなの誰だっけ……? それに同じセリフをロリコン公爵の時も言ったような気がする……。
あまりにも暇過ぎて、自分で自分にツッコミを入れられるレベル。
そうやって壁際で腐っていると、不意に横から声を掛けられる。
「ニャンニャンの婿ともあろう者が、何をこんなところで壁の花となっておる」
「桃戦華さま」
婆さんだった。
杖を突きながらよちよちと俺の元へ寄って来る。
しかしこの婆さん、子供の俺よりもさらに大分背が低いな。手足も枯れ枝のように細いし、よくこれで生きていると思う……。
「おい、なにか失礼なことを考えていないかい?」
「い、いえ、滅相もない!」
こえー! 年の功で心を読まれたんだけど!
「ふんっ、それにしても、こういう場はいつ来てもつまらないねえ」
「え?」
「どいつもこいつも、下心丸出しの顔をしているよ」
「はは、まあ、そうですね。でも、仕方ないですよ。そういう場なんですから」
「……お前は妙に大人びているね。まるで本当に大人が中に入っているようだ」
ぎくり。鋭すぎる指摘に俺は体をこわばらせるしかなかった。
「ま、それはそうと、あいつらも見る目がないよ。これではこの国の行く末が心配さね」
「え?」
「だってそうだろう? こんな大物を前にして誰も寄ってこないなんざ、阿呆にも程がある」
「え? お、俺は別に……」
「謙遜しなくてもいいよ。あやつらもいずれ分かるさ。いずれ、な」
そう言って、婆さんは黙って酒をすする。
「……一つ訊いてもいいですか?」
「なんだい?」
「第一王子のタンヨウ様は、昔からああだったんですか?」
「ほう……」
「確かに嫌な目をしていましたが、俺には根っから悪い人間には見えなかったのですが……」
「ふんっ、婿殿は人を見る目があるようだね」
「では、やはり……」
「ああ、アレは元々ああではなかった」
そのセリフに続くようにして、反対側から声がかかる。
「兄様は、昔は優しかたアル」
「ファラウェイ……」
いつの間にか彼女が近くまで来ていた。
「兄様がああなったのは、ワタシのせいアル……」
悲しそうに顔を俯かせるファラウェイに向かって、婆さんが口を挟む。
「何度も言っているだろ? あれはお前のせいじゃないよ」
「どういうことです?」
「まあ、いいさね。少し説明してやるよ」
そのように前置きしてから婆さんが話し始める。
「アレが元々病弱だったことは既に知っているね?」
「はい」
「アレは体の弱い自分に激しいコンプレックスを抱いていたのさ。本当は第一王子として国を、民を導きたかったろうに、それが出来ない自分にね。それでも国を想い、体の弱い自分に鞭打って勉強し続けていた。いずれ、国を導く時が来た時のために。だが、アレの体は一向によくならなかった。
それでアレは自分が第一王子に相応しくないと判断し、自ら王位継承権を放棄しようと考えていたのさ。本当はとても悔しかっただろうにね。
しかし、その前にアレの父親――大然が無理矢理王位継承権をはく奪しちまった。それがアレの心にあった闇を増大させちまったのさ。そして、その隙をあの黒いのに捕われちまったというわけだよ」
大然の失策だねあれは、と、婆さんは話を締めた。ちなみに大然とは現王のことだ。
……なるほど、全然ファラウェイのせいじゃないな。彼女は結果的に王位継承権を奪う形になってしまっただけで、彼女自身は何も悪くない。
それでも顔を歪めているファラウェイが見ていられなくて、俺は婆さんに訊ねた。
「どうにか昔のタンヨウ様に戻すことは出来ないのですか?」
「あの黒いのがいる限り難しいだろうね。タンヨウはすっかりアレに取りつかれちまってる」
あの黒いのとは黒の軍師のことだ。ということは、
「結局、黒の軍師をどうにかしないと話にならないわけですか」
「そういうこった。しかし、あの黒いのを殺るには大義がない上に、こっそり殺ろうとしたところで、あの黒いのは少なくても今のわたしより強い。全盛期のわたしならやりようはあったがね」
婆さんは口惜しそうに舌打ちした。
しかし、この生きる伝説の最盛期をして、「やりようはあった」と言わしめるにとどめるのか……。やはりあのクロはつくづくおかしな存在だ。
恐らく、俺の叔父、クウラ・ベル・スカイフィールドならあのクロを倒せると思う。あの二人は同じ領域にあるが、それでも叔父の方が強いはず。
だから少なくてもあのクロをどうにかできないようでは、いずれにせよ叔父には届かないというわけだ。
――なら、話は早い。
「桃戦華さま。俺をあのクロより強くしてください」
俺はあらためて婆さんに向かって頭を下げる。
しかし、婆さんはというと、
「甘ったれるんじゃないよ。お前の本質は魔術師だ」
「!」
その言葉に俺は電撃を受けたような気持ちになった。
「お前に八卦掌の真髄を叩き込んでやることは出来るが、それではお前は本当の意味で強くはなれない。あんたが本当にやるべきなのは、魔術師としての伸び代を伸ばすことさ」
「………」
「だが、困ったことにこの中華大国にはあんたに魔術を教えてやれるほどの魔術師はいない。だから本当に強くなりたいのなら、一度スカイフィールドに戻って、あんたの叔父に頭を下げることだね」
「!」
それは目からうろこが落ちる提案だった。
……なるほど。それは考えたこともなかった。確かに叔父に魔術を習うことが出来れば、これ以上ないほどの師となることだろう。
――しかし、だ。
あの叔父が俺に魔術を教えてくれるとはとても思えない。確率はそれこそゼロだ。
だが、だからと言って諦めるいわれはない。何故なら俺はずっと一人で魔術の勉強をしてきたのだから。
「桃戦華さま、あなたのお力でこの国の魔術書庫に入れてもらうことは出来ませんか?」
「ああ、それくらいはわけないよ」
「俺はこれまでずっと独学で魔術を勉強してきました。だからこれからもそうするだけです」
本来は優秀な師がいればいたに越したことはないが、こと魔術に関しては別にいなくても構わない。その理由は先程も言った通り、魔術なら俺は一人で成長出来るからだ。
それに【流体魔道】において最も大切なのは、魔力コントロール。それはひたすら自分との戦いである。
覚悟を決めると、そんな俺を見ていた婆さんがいきなり笑い出した。
「くくく、まったく、つくづく面白い男を連れてきたもんだね、ニャンニャンよ」
「ばっちゃにはあげないアルよ?」
「これなら力を取り戻して、若き日の姿を取り戻すのもありかもしれないね」
「ばっちゃにはあげないアルよ!?」
「かかか、冗談さね、冗談。誰が可愛い曾孫から婿殿を取るもんか。だから泣くんじゃないよ」
……な、なんか凄い会話だな。曾祖母に男を取られることを心配する曾孫って……。
というか、俺、まだ婿になるって言ってませんけどね!
しかしまだ心配だったのか、ファラウェイがとんでもないことをのたまう。
「ワタシ、エイビーとは毎日一緒に寝ているアルし、たまに一緒にお風呂も入る仲アルから! ばっちゃが間に入る隙間はどこにもないヨ!」
おおい! だからこういう公共の場でそういうこと叫ぶのは禁止だから!?
辛うじて周りには聞こえなかったようだが、案の定、婆さんの目が鋭くなる。
「……一緒に寝ているだって?」
……やべ。もしかして殺される?
「いいよ。どんどん一緒に寝な」
まさかの推奨派だった!
いや、何も良くないと思うのだが……。
ほらー、密かに聞き耳を立てていた爺さんがまた啜り泣きしているし。
「だが、婿殿。責任の取り方は分かっているね?」
ひぎぃ。段々逃れられない状況になってきてる……!?
ま、まさか、これはファラウェイの罠? こうなることが分かって、ずっと前から罠を張って……!?
疑惑の目でファラウェイを見ると、彼女は「ほあ?」と首を傾げるだけだった。
ごめん。純粋な彼女を疑った俺が悪かった。
あれ? つまりやっぱり俺が責任を取らなきゃいけない状況? おや? どういうこと? 誰の罠?
俺の頭が混乱している間に、ファラウェイは呼ばれてどこかに行ってしまい、また婆さんと二人きりになる。
「………」
「………」
「婿殿、夜の方を教えてやろうか? 今でも魔力を全開にすれば、少しの間は若い姿を取り戻せるよ」
「………。え?」
「冗談だよ」
「………」
「………」
「あの、そもそも俺、まだ子供なんですが……」
「ああ、そういえばそうだったね」
さも忘れてたとばかりにケロッと言う婆さん。
というか、かなりとんでもないことを言われた気がするが……。
しばらく俺は何も喋れなくなった。
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