第64話 交錯

 あの後、玉座の間は紛糾した。

 理由は言わずもがな、第三王女であるファラウェイの王位継承権の復権宣言にある。

 第一王子派の者たちは当然反対の声を上げた。しかし、「ならば先に放棄し復権を果たした第一王子の王位継承権も再び剥奪せねばならんな」という王の一言で静まり返ったという。

 ……あの王の機転はさすがだ。一度会っただけでかなり優れた王であることが分かった。少なくてもあの人に嫌われるよりは気に入られたようで良かった気がする。

 取りあえず、そんな感じで有耶無耶のうちに第三王女の王位継承権への復権が認められる形となり、差し当たっての目的は果たした。後は第一王子との継承権争いに勝てばミッションコンプリートとなる。まあ、それが言う程容易いことではなく、長い戦いになることを覚悟せねばならないが……。

 それでも、ルナが成人する前までには決着を着けなければならない。俺はいずれスカイフィールドに帰らねばならないのだ。それまでに少なくてもファラウェイの確実な安全だけは絶対に確保する。

 宛がわれた部屋に案内されながら、俺は心の中で目標を明確にした。

 その道中――王宮の中を歩いていた俺たちに、横手から声を掛けてきた人物がいた。


「ニャンニャン!」


 ――それは突然だった。

 声を掛けてきたその人物……背の低い、枯れ細った老女はファラウェイを見るなり、猛然と突っ込んでくる。


「ばっちゃ!」


 一方でファラウェイも老女に応えるようにして構えを取った。

 そして、人目もはばからず格闘戦を始める老人と少女。

 ――それはけして老人と少女が見せるような戦いではなかった。

 辺りには凄まじい格闘戦の音が鳴り響き、二人が見せる技の応酬による風圧が辺りに吹き荒れる。


 ……というか、ナニコレ? いきなり何が始まったの?


 先生や爺さんは巻き添えを食らわないように避難するだけで、特に慌てた様子もない。まるで日常茶飯事のような感じだ。

 ――ただ、俺は驚いていた。

 あの婆さん、ファラウェイと互角に戦っている……? いや、俺の目が確かなら、あの婆さん、ファラウェイ以上だ!

 しかも、技の冴えだけでファラウェイを圧倒している。既に八卦掌の達人であると思っていたファラウェイを、まるで赤ん坊をあやすようにして捌いていた。

 ――とんでもない達人だ。

 やがて婆さんはファラウェイの突き手を絡め取り、後ろへと投げ飛ばす。

 轟音を鳴らして壁に激突したファラウェイは、頭を擦りながら立ち上がり、


「あたた……やはりまだばっちゃには敵わないネ」

「ふんっ、大分腕を上げたようだね。修行も大事じゃが、修行よりもやはり一度の実戦さね」


 老女は何でもないようなことのように言った。

 その老女に、爺さんが敬愛の目を向けている。


「さすが華様! 相変わらず美しい技の冴えでございました!」

「ふん、世辞はいいよ」

「ああ、お世辞などではございませぬのに」


 ん? あの爺さんの熱の入った目、もしや……。昔、あの婆さんのことが好きだったとか? ま、まさかな。どの道、老人の恋愛感情など俺には関わり合いのないことだ。

 ただ、この人がきっと以前ファラウェイが話していた彼女の曾祖母だろう。彼女が「ばっちゃ」と呼んだことといい、今しがた見た八卦掌の達人ぶりといい、恐らく間違いない。

 ファラウェイがその婆さんを指して言ってくる。


「エイビー、紹介するネ。この人が前に説明したワタシのばっちゃ……曾おばあちゃんネ」


 やはりそうだったか。


「これでもワタシが小さい時は、とても若くて綺麗な姿をしていたヨ?」

「ふんっ。ある魔族との戦いで力を使い果たしちまってね。今じゃ年相応以上にしわがれちまってこの姿さ」


 ……なるほど。この人があの有名な【桃戦華】だったか。


「あなた様のご高名は帝国まで響いておりました。お初にお目にかかります。私はエイビーと申します」


 俺は深くお辞儀をした。心から尊敬の念を込めて。

 ――彼女の名前は項花華(シィアン・ファ・ファ)。そして二つ名が桃戦華。

 主に魔族との戦いで数々の戦功を上げてきた女将軍であり、女戦士だ。

 引退してからは主に裏で活躍していたようだが、それでも数年前のある魔族との一騎打ちは帝国にまで響き渡るほどの有名な話である。

 その彼女は頭を下げる俺の顔を下から覗きこんでくると、ふむ、と一つ頷く。


「……ほう? ニャンニャン、お前、いい男を連れてきたもんだね」

「さすがばっちゃ! エイビーの良さが分かるアルか!?」

「ああ。お前は純粋過ぎていつか絶対悪い男に騙されると思っていたから、こればかりは意外だったよ」

「ひどい、ばっちゃ!」


 いじられるファラウェイというのも中々新鮮だった。どうやら彼女は曾祖母には頭が上がらないらしい。

 それとファラウェイを心配する曾婆さんの心配は痛いほどよく分かる。良くも悪くもファラウェイは純粋過ぎるからな。


「で、婚姻はいつにするさね、婿殿?」


 そのセリフには俺は吹き出すしかなかった。


「い、いきなり何を言い出すんですか!?」

「ん? そのつもりで来たのだろう?」

「そのつもりだたアル」


 ちょっと? ファラウェイは黙っていようか?


「い、いえ、俺はですね……」


 俺が言いかけると、先生が俺の肩に手を置いてくる。


「諦めろ坊主。婆さんがこう言い出したらもう決まったようなもんだ」


 ちょっと、先生?


「ケッ、羨ましいこって!」


 単なる僻みだった件……。

 一方で爺さんは何やら苦悩している。


「まさか華様にまで認められてしまうとは……! しかし、姫はまだ幼く、婿を取るにはまだ早い……ああ、わしはどうすれば!」


 ぶんぶんと頭を振る爺さん。

 いや、そこは反対してくれ。いつもの勢いはどうした?

 そんな時だ――


 ――ゾクリ……俺の背に悪寒が駆け巡った。


 俺はとっさに後ろへ振り返る。

 ――そこには二人の男がいた。

 一人は二十代前半の若い男。前世の俺が見たら拒絶反応を起こすほどの爽やかなイケメン。

 もう一人は異様の風体で、黒いローブを羽織り、黒い覆面姿の人物。

 ただ、二人に共通している点は、揃って嫌な目をしているというところだ。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 ――俺は黒づくめの人物から目が離せないでいた。

 ……なんだこいつは?

 内心で驚愕している俺を気にすることもなく、二人はゆっくりこちらに近付いてくると、イケメンの方が口を開いた。


「これはこれは、皆さん。おそろいで」


 色素が薄いのか、少し茶色かかった柔らかな髪。切れ長だが優しげに微笑んだ目。

 見た目こそ豪奢ではないが、高そうな生地で作られた涼しげな宮中服。

 彼は一見したら優しい風貌をしている。

 ――だが、その目はどうも気に入らない。

 彼に向かってファラウェイが答えた。


「ヨウ兄様」


 ……なるほど。こいつが噂の第一王子か。

 となると、あの黒づくめの方は【黒の軍師】ということになるのか……。


「ニャンニャン。無事で何よりだよ。こうやって再び妹と話せて僕は嬉しい!」


 第一王子タンヨウは手を大仰に広げて言った。

 何と白々しい……。自分で妹の命を狙っておいて……!

 きっと同じ思いのはずなのに、しかしファラウェイは笑顔で答える。


「ワタシもアル、兄様」


 ……いや、あの笑顔は本気でそう思っているのか? だとしたら、どこまでお人よしなんだ彼女は……。

 ただ、彼女の答えに、一瞬、第一王子の顔が歪んだのを俺は見逃さなかった。

 しかし、すぐに爽やかな笑顔に戻った彼は、


「それでこそ僕の妹だよ。聞いたよ? 王位継承権を復権させたんだって?」

「はい、アル」

「そうか。僕は悲しいよ。せっかくもう少しで国がまとまりそうだったのに、これではまた争いが起きてしまう」

「ですが兄様、こればかりはワタシも引けないアル」

「なっ……!?」


 ファラウェイの答えに第一王子が絶句していた。きっと彼女を揺さぶろうとしていたのだろうが、逆に揺さぶられたのは第一王子の方だったというわけだ。

 今のファラウェイは何の物怖じもしていない。真っ直ぐ第一王子の目を見返している。


「ワタシがいなくなたせいで、多くの者を傷つけてしまた。多くの有能な臣はいわれなき罪で裁かれ、民は重税に苦しんでいる。いくら兄様とはいえ、許せないことアル」


 ファラウェイは別に普通の顔をしている。彼女からは兄に対する憎しみなど一切感じない。ただ、事実を述べているだけに過ぎないのだ。

 むしろ、そんな彼女の風格に押され、顔を歪ませているのは第一王子の方だった。

 恐らく彼からしたら予想外の形で器の違いを見せつけられたことだろう。しかもこの短時間で。

 一目見て分かった。彼は王の器ではない。

 ……いや、もしかしたら王の器だったのかもしれない。だが、相手が悪かった。ファラウェイの器が大きすぎるのだ。

 しかし、第一王子は取り繕うように笑みを浮かべると、


「い、言うようになったじゃないか。それでこそ僕の妹だ」


 それが精一杯の強がりであることは言うまでもないことだった。


「しかしニャンニャン。出来れば王位継承権の復権を撤回することをおススメするよ。今の僕には宰相の李高を始め、たくさんの有力な家臣が付いている。君のやっていることは単に国を乱すだけだ。それに、気の短い家臣は君に害を加えようとするかもしれない。妹にもしものことがあったら僕は悲しい」


 そう言って悲しそうに目を伏せる第一王子タンヨウ。

 ……よくもまあぬけぬけと言えるものだ。

 俺がキレそうになっていると、しかし口を挟んだのは婆さんだった。


「タンヨウ、白々しい真似はおやめ」


 その言葉に第一王子の眉がぴくりと動く。


「これはこれは、ババ様。あなたは公平なお立場だったはずですが、ニャンニャンに肩入れなさるおつもりですか?」

「わたしはあくまで公平さね。二人ともわたしの可愛い曾孫だからね。だが、あまりオイタが過ぎるようなら話は別だよ」


 そのセリフにさらに第一王子の顔が歪む。どうやらこの婆さん相手に駆け引きは通用しないことを悟ったらしい。


「ニャンニャンが一番可愛いのだと、ハッキリそう仰ったらよろしいでしょう!?」


 婆さんは盛大なため息を吐く。


「いい加減、くだらないことを言うのはおやめ。わたしは同じことを何度も言うのが嫌いだよ」


 第一王子はしばらく悔しそうにファラウェイと婆さんの二人を睨んでいたが、やがて踵を返す。


「……こう見えて僕は王位継承権第一位で忙しい身です。これで失礼させてもらう」


 そう言って、最後にチラリと俺を見下ろして、興味無さそうにすぐ視線を外し、


「クロ、行くぞ」


 そう言って去って行った。

 クロと呼ばれた黒づくめの男は、何も言わずその後に続く。

 二人の姿が見えなくなって初めて、俺は自分の手の平に汗が浮かんでいたことに気付いた。

 ………。

 ……アレは別格だった。あの黒づくめの男は、俺の叔父――クウラ・ベル・スカイフィールドと同じ領域にいる実力者だ。

 とんでもない魔力量と、洗練された魔力の流れを体内に抱えていた。しかも、あのどす黒い魔力……。あんな魔力は見たことが無い。

 ……なんであんな奴がこんなところに……?

 あの叔父でさえ異常な存在なのだ。それと同様の存在がこんなところに、しかも無名のまま、黒の軍師などという怪しげな立場で甘んじていることが不思議でならなかった。

 ――しかしそれは同時に、俺の予想が当たっていたことの裏返しでもある。

 そう……あいつは恐らく、この国に戦争をもたらすために敢えてあのポジションにいるのだ。


「婿殿、あの黒づくめの異常さが分かったのかい?」


 突如、婆さんが話しかけてきた。

 俺は手の汗を服で拭いながら答える。


「……はい」

「フッ、だったら大した婿殿だよ。一目であれを見ぬいちまうなんてね」


 というか、【流体魔道】もないのにそれを見抜いた婆さんの方が凄い。

 それとナチュラルに婿殿と呼ぶのはやめていただきたい。


「? あの黒づくめがどうかしたアルか?」

「このバカ娘。早速今日から地獄の特訓を再開してあげるよ。覚悟おし」

「ほあ!? なんでアルか!?」

「力を意図的に抑え込んでいたとはいえ、相手の本質くらい見抜けるようになるんだね」


 ……そう、あの黒づくめは一般的に感じられる魔力は抑えていた。俺は【流体魔道】で包み隠さず魔力の流れが見えるからこそ、あの男の異常な魔力を見抜けたに過ぎない。

 俺はファラウェイに忠告する。


「ファラウェイ。敵は思っていた以上に強大だ。今、それがハッキリ分かった」

「エイビー……?」


 俺は先生に耳打ちする。


「先生。申し訳ありませんが、今日からしばらく錬金術の修行はほどほどにさせていただいて、出来れば俺もこのお婆さんから特訓を受けたいのですが……いいでしょうか?」

「あ、ああ、それは構わねえが……この婆さん、おっかねえぞ?」

「覚悟の上です」

「……ガキども。聞こえてるよ。わたしは普通の老人の何倍も耳が良いんだ」


 ぎろりと睨まれ、俺は思わず腰を抜かしそうになる。

 ……この婆さん、何て殺気を放つんだ!? ほんとに老婆かよ!?


「いいだろう。ニャンニャンの婿に相応しいよう、このわたし自らしごいてやろうじゃないか」


 そう言って嗜虐的な笑みを浮かべる婆さん。

 ……う。かつてないほどヤバい師に巡り合ったかもしれない。

 俺は少しだけ後悔し始めていたが、ファラウェイの次の一言で癒される。


「やた! これからはずっとエイビーと一緒アルね!?」


 ……なんなのこの子。可愛すぎて死にそう。


「喜んでいる場合かい? ニャンニャン、お前も一から鍛え直してやる。泣いても許さないからね」


 一瞬で笑顔が凍り付いた哀れなファラウェイだった。



 ************************************



「くそっ! ニャンニャンめ!!」


 第一王子のタンヨウは、自室の机に思い切り拳を振り下ろした。しかし体が弱い彼は拳を痛めてすぐに手を擦る。

 その様子を見ていた黒の軍師は机の前に立ちながら声を掛けた。


「少し落ち着かれるがよい」

「これが落ち着いていられるか! せっかく妹の居場所を見つけて暗殺出来るかと思ったら、返り討ちにされた挙げ句、戻って来るなり王位継承権を復権させられたんだぞ!?」

「それがどうかされたか?」

「……なに?」

「それがどうかされたかと聞いている。そうであろう? 未だタンヨウ様の圧倒的優位は変わってはおらぬ。何を慌てる必要があろうか」

「……ぬ。それもそうだが……」


 釈然としない顔ながらも黙るタンヨウ。

 黒の軍師が話を続ける。


「宰相の李高を始め、有力名家の多くはこちらの陣営に付いている。彼らの多くは身分関係なく人を扱うニャンニャンに危機感を抱いているからな」

「……だが、あいつの仁徳の高さに惹かれている者もまた多くいる」

「仁徳の高さだけで政治は務まらぬ。王に相応しいのはあの小娘ではなく、あなただ」

「そこまでハッキリ言われると、まあ、悪い気はしないが……」

「何も心配する必要はない。確かに頑なにあの小娘に引っ付いている者たちもいるが、その中で厄介な者は既に排除したではないか。少なくても既にそやつらは力を失っている」

「ああ」

「それに、利権にうるさい者は私が絶対に放さないよう手綱を握っておく。そういう者を操るのは得意だからな」

「ふっ、まったく頼りになる奴よ」


 全幅の信頼を置く軍師の言葉に、不敵な笑みを浮かべるタンヨウだった。先程までの取り乱した様子は既にない。


「ところでクロ。ニャンニャンが連れてきたあのガキをどう見る? あの小僧が手練れだという話は本当だと思うか?」

「あの小僧からは何の力も感じなかった。【魔力ゼロ】という噂は本当のようだ。報告してきた暗殺者は何か見間違えたか、もしくは李高が失敗を誤魔化そうとでもしたのだろう」

「なるほど、そういうことか。李高め! 自慢の暗殺者などとほざいておいて、二度も失敗したどころか、よもや誤魔化そうとすらするとはな……!」

「よいではないか。厄介な者が増えなかっただけでも、幸いだったと考えるべきだ」

「……お前、見かけによらずプラス思考なんだな」

「考え方に見た目は関係ない」


 何だかよく分からない方に話がずれた二人だった。

 タンヨウは咳払いを入れると、


「それじゃあ、あの小僧は警戒しなくてもいいんだな?」

「ああ。取るに足らんただのガキだ」

「ふっ、一年も放浪しておいて、連れて帰ったのがあのガキ一人とはニャンニャンも落ちたな」

「そういうことだ」

「これは本当にニャンニャンも敵ではないかもしれないな」

「だが、油断は禁物だ」

「分かっている。だけどお前がいれば僕も安心だ。これからも頼むよ?」

「御意」


 クロは恭しく頭を下げた。

 その覆面の奥がほくそ笑んでいることも知らずに、タンヨウは満足げな笑みを浮かべる。

 しかし、彼らは一つだけ見誤っていた。

 ――そう、エイビーのことである。



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