第51話 【創生の錬金術師】 その二

 アル・シェンロンの家は小舟がないとたどり着けないような場所にあった。

 しかも船を直付けしないと玄関にすら上がれないタイプの、まさに水辺の家。

 大きめの水路の横に、まるで池のような巨大な水たまりがあり、その中央に木造の一軒屋がぽつんと建っている。

 建物は小さく、しかも町の外れなのでどこか哀愁すら感じた。

 俺はつい呟いてしまう。


「こんなところにこの国一番と言われる錬金術師が……?」


 俄かには信じ難かった

 何故なら錬金術師には大きめの工房か研究所が必要なはず。それなのにこの小さな木造の建物の中にそれらがあるとは到底思えない。

 ファラウェイも首を捻っていた。


「むぅ、おかしいアルね。あのアルが研究をやめたとは思えないヨ」

「……とにかく、行ってみるしかないか」

「うむ。そうネ」


 俺たちは船頭にあの家まで行って欲しいことを伝えると、船頭は家の正面に船を横づけした。

 そこで俺たちを降ろし、船頭はすぐに立ち去る。

 帰りはどうしようかと思ったが、家の横に小舟が浮いているので、それを使わせてもらうしかない。……最悪泳げばなんとかなる。


「じゃあ、ノックするヨ?」

「ああ、頼む」


 俺が頷くと、ファラウェイがノックする。コン、コン、と、木製の扉が乾いた音を立てた。

 しかし、しばらく経っても何も返事がない。


「むむ、留守アルかね?」

「………。いや、いるな」


 俺はこの家の中に気配を感じ取っていた。俺の【流体魔道】に居留守は通じない。

 ただ……これは。

 もしかしたら居留守ではないのかもしれない。


「ファラウェイ、入ろう」

「勝手に入って大丈夫アルか?」

「多分、向こうはノックに気付いてないんだ」

「え? どうしてそんなことが分かるアル?」

「行けば分かるよ」


 そう言って俺はドアを手前に引いた。すると幸い鍵はかかっていなかったようで、キィ……と古めかしい音を出して開く。


「勝手ながら失礼します」


 聞こえていないだろうと思いながらも、一応一言かけて中に入る。ファラウェイも恐る恐る続いて入って来た。しかし、


「あれ? いないアル?」


 ファラウェイがきょろきょろと仲を見回す。

 建物は外から見た通り小さく、部屋と呼べるものは一つしかなかった。だから件の人物――アル・シェンロンがいないことは一発で判明する。

 首を捻っているファラウェイを他所に、俺は床に視線を向けていた。

 ……なるほど。魔力の流れから見て、あそこか。

 俺は部屋の端のその場所に目星をつけると、一見したら単なる木の板の床にしか見えない場所に手を這わせる。

 すると、一か所、僅かに手ごたえが違う箇所を見つけた。

 この感じは――俺は試しにその場所に魔力を流してみる。すると――

 ガコッ! 

 床の木の板が持ち上がり、その下から階段が現れた。


「か、階段が出てきたアル!?」


 ファラウェイが驚いていた。


「よ、よく分かったアルネ?」

「この場所だけ空気と魔力の流れに違和感があったからね」

「で、でも、外から見た時は、この家の下に家が伸びているようには見えなかったアルよ?」

「多分だけど、外から見た時は見る側の視覚に錯覚を及ぼす仕掛けが成されているんじゃないかと思う。錬金術は門外漢だからどういう仕掛けかは分からないけど、知識さえあれば僅かな魔力でそういう仕掛けを施すことは出来るかもしれない」


 なにせ俺の元いた世界では視覚の錯覚を利用したものはたくさんあった。

 それなら、高度な腕を持つ錬金術師なら、そういう知識さえあればそういった仕掛けを作ることは簡単なのではないか、というのが俺の推測である。


「ほああ……ワタシには何を言ているのか分からないが、エイビーは強いだけじゃなく、頭も凄く良いてことだけは分かたネ」

「お、大げさだな。単なる予想だよ」

「大げさじゃないネ。これでもワタシ、学がある方ヨ? それなのにエイビーの言ていることが理解出来ない。だけど、エイビーが何か意味のあることを言ていることだけは分かるアル」


 ファラウェイはキラキラとした眼差しを送って来るが、俺は恥ずかしいのでつい目を逸らしてしまう。


「そ、それよりもまずはアル・シェンロンを探そう」

「あや、そうだたネ。早く勝手に上がたことを説明しないと怒られてしまうヨ」


 そう言い合って俺たちは見つけた階段を降りていく。

 階段は水圧に押しつぶされないようにするためか、全て金属製。恐らく鉄だが、それにしては錆一つない。……ここにも何か仕掛けが施されているのだろうか?

 思ったよりも長く階段を下って行くと、あるところで広い空間に出る。と言っても色んな物が置いてあって、ごちゃっとした空間だ。

 しかしそれらは錬金術に関係あるものというよりも、干し肉や乾パンといった保存食や食器などの類ばかり。

 テーブルの上には皿などが乱雑に置かれているし、どうやらここはダイニングキッチンのような場所のようだ。

 ……それにしても、地下だというのに妙に明るい。

 見れば天井がほのかに発光しているように見える。

 ……何だあれは? あれも錬金術なのか?

 しかしこれまで、この世界であのような仕掛けは見たことが無い。ということは、アル・シェンロン固有の錬金術なのだろうか?

 部屋の四方にはそれぞれドアがあり、そこからまた別の部屋に通じているっぽい。

 その中の一つ……階段を下って反対側の部屋から物音が聞こえてくる。どうやらそこに件のアル・シェンロンがいるらしい。

 俺はファラウェイを伴ってその部屋に近付くと、ドアを開けた。

 そこには――

 たった今通って来たダイニングキッチンなど比較にならないくらい広大な空間が広がっていた。

 水槽のような物の中は培養液で満たされており、その中には見たこともない生物らしき何かが浮いている。

 そこらの床には様々な大きさや形のビンが転がっており、テーブルの上には薬草や薬品と思しき物がずらり。

 果ては用途不明で形容を言葉で表せないような意味不明なものまで沢山ある。

 これぞまさに研究者の部屋といった感じ。もはやラボだ。

 ただ、それら全て魔術で成り立っているところが元の世界の科学とは違うところか。

 薄暗い部屋の中、その中央だけが煌々と明かりが灯っている。

 そこらに散らばっている物に触れないよう、俺はファラウェイを置いておっかなびっくりそっちの方――大きな影が怪しく動いている方へと近付いていく。

 物陰から見えてきたのは……大きな魔方陣の上に手を置いている男の姿だった。

 中華風の長いローブを纏っており、髪はぼさぼさで無精ひげの生えた、二十代後半くらいの男性。

 しかし不思議と気品が窺え、よく見れば顔も整っている。

 だが……何だあの複雑な魔術式は? 魔術、錬金術を抜きにしても、あんな複雑な術式は見たことがないぞ……!?

 魔方陣の上には彼の他に、様々な薬品や液体のようなものが容器に入って置かれていた。

 そのあまりの異様さにかける声を失っていると、男は魔方陣に置いている手に魔力を込める。

 ……始まる!

 その瞬間、魔法陣が輝きを放ち始めた。そしてあっという間に辺りは光に包まれる。

 何という魔力だ……! いや、それ以上にこの魔術式の複雑さの方が……!

 だが、すぐにその術式が崩れ、魔力が暴走し始めたことに気付く。

 お、おい、このままだと……!

 そう思ったのも束の間、俺が何を言う間もなく、その魔方陣を中心として爆発が起きた。

 俺はたまらず顔を背ける。

 しばらく濛々と爆風が辺りを支配していたのだが、異変に気付いたファラウェイが後ろから駆けてくる。


「何事アルか!?」

「お、俺にも何が何だか……」


 そう言いながらも、恐らく何かしらの錬金術が失敗したのだろうことは想像に難くなかった。

 ……あれだけ複雑な術式だ。いくら国一番の錬金術師と噂されるほどの人物でも、そう簡単に成功するとは思えなかった。

 術式の難易度は魔術も錬金術も変わらない。要は式の形や根本が違うだけで、難しさは同じ。

 しかし、爆発の中央にいた男性は大丈夫なのだろうか? そう思っていると、


「くそっ! また失敗かよ!」


 煙が晴れると、そこには煤と埃に塗れたかの男性の姿があった。

 どうやら無事らしい。しかしやはり何か失敗したようだ。

 その男性の姿を見るなり、ファラウェイが叫ぶ。


「アル!」

「あん?」


 ファラウェイの呼びかけに、男性はかったるそうにこちらを振り向いた。

 ただ、その眠たげな目が、ファラウェイの姿を見るなり、どんどん開いてく。


「ニャンニャン……? おい、てめえ! ニャンニャンかよ!?」

「アル! 久しぶりネ!」

「ああ、久しぶりだな、コノヤロー!」


 ファラウェイが飛び込んでいくと、男性――アル・シェンロンは彼女を受け止めて持ち上げる。


「ははは! 少し見ない間に大きくなりやがって!」

「元気だたカ? アル!」

「はははは! 相変わらず俺の名前か語尾のアルか分かんねーんだよ!」


 あ、この人もアルアルに混乱してるんだ……。

 しかしどうやら思ったよりも親しい間柄のようだ。

 二人が一頻り再会を喜び合ったところで、アル・シェンロンは煙草に火をつけながら言った。


「それで、ニャンニャンは……」

「あ、その名前は……!」


 そこでファラウェイが気まずそうに俺の顔を見る。

 ん? 名前?

 ニャンニャンとは、確か漢字で「娘々」と書き、その意味は「女の子」だったはずだが……。

 そう思っていると、アル・シェンロンが訝しそうにファラウェイを見て、


「あん? ニャンニャン、お前……」

「い、今のワタシはファラウェイ、アル」


 アル・シェンロンの目が僅かに細まる。


「ふうん。ファラウェイ……ね」


 アル・シェンロンは煙草の煙を吐き出すと、


「で、ファラウェイは何の用事で俺を訊ねて来たんだ? ただ単に顔を見に来たってわけじゃないんだろ?」


 彼の鋭い目は俺を捉えていた。

 ……この人、昼行燈というわけではなさそうだな。


「実はアルに頼みがあって来たネ」

「……言ってみな」

「そこにいるエイビーに錬金術を教えてやって欲しいネ」

「………」


 アル・シェンロンは黙って俺のことを見ていた。その見透かすような目に、俺の背筋は寒くなる。

 やがて、また煙草の煙を吹き出しながら彼は答えた。


「断る」


 ……どうやら一筋縄ではいかなさそうだ。




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