第35話 【炎の魔術師】VS【魔力ゼロ】

 炎が収まった時、地面の上で煙を上げながら横たわっている姉さんの姿があった。


「姉さん!!」


 俺は観客席から飛び出す。

 観客がざわめき、メラン公爵が顔を歪める中、俺は構わず姉さんに駆け寄った。


「姉さん!!」


 抱き起すと、姉さんの体はまだ熱を持っていた。体からは煙が上がっており、とても熱い。

 姉さんは完全に気を失ってぐったりしている。

 どこからどう見ても火傷だらけ。

 俺は怒りと悲しみでどうにかなりそうだった。

 姉さんを抱いたまま、俺はメラン公爵を睨み付ける。


「卑怯だぞ……!」


 すると奴は笑ったではないか。


「くくっ。何を勘違いしているのかは知らぬが、これもわたしゅの力だよ」


 こいつ……! 卑怯なことをしても誰からも咎められない。それもまた自分の力だと言い張るつもりか……!

 ……いや、それよりも今は姉さんをどうにかしてあげなければならない。

 しかし、この場には誰も味方はいない。オキクもこの屋敷に入ることは許されていないから。

 だから俺は、目の前の男に頼むしかない。

 俺は怒りを抑えつけて頭を下げた。


「……お願いします。とにかくまずは姉さんを治療して下さい」

「ダメだ」

「……は?」

「その者はどうも反抗的だからのう。そのままの状態で初夜を迎えるのだ。一度ちぎってさえしまえば少しは大人しくもなろう」


 ……こ、こいつ。姉さんをこんなボロボロの状態で……!!

 俺は頭が真っ白になった。

 もはや余計なことは考えられなかった。

 俺は姉さんの体を抱き上げると、そのまま観覧席の方へと運ぶ。


「それはもうわたしゅの妻だ。妻に勝手なことはしないでもらえるかな?」


 ……それ、だと?

 俺は怒りを通り越し、あくまで冷静な口調で答える。


「……ご安心ください。そこの観覧席まで連れて行くだけです。ここにいては危険ですので」

「……危険、だと?」

「はい。あなたには俺との勝負を受けてもらいます。それで俺が勝ったら今後二度と姉さんに手を出さないと誓っていただく」

「は?」


 俺のセリフに辺りがぽかんとした後、一気に爆笑の渦に巻き込まれた。


「あははは! 【魔力ゼロ】が何か言っておるぞ!?」

「先程の勝負を見ていなかったのか!? 【魔力ゼロ】がA級魔術師のメラン公爵の相手になるはずもあるまい!」

「言うてやるな! ボウヤはボウヤなりに必死なのだ。……くくっ」

「これだから現実が見えておらぬ餓鬼は!」


 誰も彼もが勝手なことを言っているが、もはや俺の耳には入って来ない。

 俺は黙って歩き続けると、観覧席の誰もいないところに姉さんの体を横たえた。


「ごめん、姉さん。苦しいだろうけど少しだけここで待ってて」


 俺は立ち上がると、メラン公爵の方をキッと睨み付ける。

 奴はただあざ笑っていた。


「スカイフィールドのガキがいきがりおって」


 俺は無視して近付いていく。


「【魔力ゼロ】はどうしたところで【魔力ゼロ】。その現実が見えておらぬのか?」


 その言葉に再び笑いが巻き起こるが、全て無視。

 俺は先程の姉さんのようにメラン公爵と対峙する。


「もう一度言います。この勝負、俺が勝ったらもう二度とストロベリー姉さんに手を出さないと誓ってもらう」

「生意気な口を利きおるわ、ガキが。……だがまあ、いいだろう。その代り私が勝ったら貴様の家にそれ相応の責任を取ってもらうぞ。ここにいる貴族の皆が証人だ」

「……分かりました。それで構いません」

「どうやら貴様には美しい妹君がいるようだの? その者をついでにもらうとしようか」


 ……ついでだと? ルナを……ついでだと?


「……あんたは本当に救いようがないな」


 俺は声が震えるのを止められなかった。


「かかってこい。身の程を教えてやります」


 俺のそのセリフに辺りではもう大爆笑だ。【魔力ゼロ】の言葉は憐れさを越して滑稽でしかないのだろう。

 メラン公爵の顔も、嗜虐な笑みに彩られていた。


「でゅふう。これは良い余興じゃ。我が誕生日にパトリオトの娘を手籠めにし、生意気なスカイフィールドのガキを甚振れるとは、わたしゅは何という幸せ者だろうか」


 メラン公爵が右手に火球を浮かび上がらせる。それは先程、姉さんに投げつけた物とは比べるまでもなく小さかった。俺を舐めている証だ。


「ほれほれ、怖いか? 今なら泣いて侘びれば許してやらんことはないぞ? どうかせめて姉さんを末永く幸せにしてくださいとでも言わんか。ほれ?」

「………」

「でゅふぅ。怖くて声も出ぬか。つまらんのぅ。ならば無理矢理にでも泣かしてやるわい。ほれ、食らえ!」


 メラン公爵は火球を俺に向かって投げつけてきた。

 俺はそれを手で弾く。

 逸れた火球は俺の後ろで爆発した。


「へ?」


 先程まで爆笑に包まれていた会場は呆気に取られている。


「い、今、何が起きたのだ?」

「さ、さあ? 私の目には火球が手で弾かれたようにしか……」

「は、ははっ、そんなわけあるまい」


 俺が何をしたかと言うと、一瞬だけ火球の魔術式を書き換えたのだ。

 メラン公爵の火球はチェリーの雷の魔術よりも遅い。だから完璧に術式を書き換えることは出来なくても、弾くくらいならば出来る。

 しかし、それを知らないこの場にいる者たちは、何が起きたか全く理解出来ていない。

 いや、説明したところで理解出来ないに違いない。何故ならこれは俺オリジナルの【流体魔道】を応用した技術なのだから。

 メラン公爵も不思議そうに首を傾げている。


「ぬう? わたしゅとしたことが魔術をミスってしまったのか? でゅふぅ、命拾いしたなガキ」


 そのセリフに周りの者たちも納得した顔になる。あー、なんだ。メラン公爵のミスだったのか、と。


「では、今度こそ食らえ、ガキ」


 ぞんざいに言い放たれて、また火球を撃ってきた。

 が、今回も俺は手で弾く。

 後ろで爆発する火球を見て、今度こそ顔を引き攣らせるメラン公爵と一同。


「……や、やはり手で弾いていないか?」

「い、いやいや、今度もメラン公爵による演出でしょう」

「ああ、きっとそうに違いない」


 周りの者たちはそう言って無理矢理納得しようとするが、しかしメラン公爵の顔は引き攣ったままだった。


「バ、バカな……? な、何が起きて……」


 メラン公爵は茫然としている。

 まあ、理解出来なくても無理はない。なにせA級と言われる彼でも見たことがない現象だろうから。

 ――この力を使って、今からメラン公爵を倒す。

 俺はゆっくりとメラン公爵の方へと向かって進み出した。

 するとメラン公爵の顔が歪む。


「ガ、ガキが! 調子に乗るな!」


 再度、火球を投げて来るが、俺はまたも弾く。


「ぐっ……!」


 さらに両手で火球を二連続で投げて来るが、それもバシッ、バシッと簡単に弾く。


「な、何がどうなって……!?」


 そこからも火球を投げまくってきたが、俺は全て弾いて見せた。

 火球を弾きながらも俺はメラン公爵へと近付いていく。

 ゆっくりと、ゆっくりと。


「ひっ……」


 少しずつ近づいてくる俺に恐怖を覚えたのか、メラン公爵の顔が恐怖に歪んだ。

 ただ、そこでようやくあのことに気付いたのか、


「そ、そうだ! 罠を発動させれば……!」


 罠って言っちゃったよこの人。

 だが、残念ながら、それも発動しない。

 メラン公爵が何度指をぱちんぱちんと擦ろうが、全ては不発に終わるだけ。


「え、え!? な、なぜ罠が発動しない……!?」


 メラン公爵の顔がこれでもかというくらい焦燥に駆られている。

 実は俺は、歩きながら地面に設置された魔方陣の術式を全て書き換えていた。

 こんなただ置いてあるだけの魔法陣など、俺の【流体魔道】の前では児戯に等しい。


「ひ、く、来るな……! 来るな……!?」


 恐らく今の彼には俺が未知の存在に映っていることだろう。

 ……怖かろう。何をやっても通じず、前にゆっくり進んでくるだけの少年は。

 奴は恐怖に怯えながらも、特大の魔力を練り上げ始める。

 ……なるほど。その魔術か。

 魔力の流れから、先程姉さんに放たれた炎の渦の魔術が来るのだと悟った。

 しかし、それでも俺はゆっくり近づいていくだけ。

 そして――


「炎よ、我が敵を焼き尽くすがよい!!」


 メラン公爵の体から大きな魔力が解き放たれ、彼の両手から炎の渦が巻き起こった。その炎の渦は一直線に俺の方へ向かってくる。

 俺は右手を前に出す。

 が、炎の渦が触れた瞬間、俺を中心として炎の竜巻が巻き起こった。

 当然、俺はその炎の竜巻に飲み込まれている。


「でゅふ……でゅふふぅ! どうやらこの圧倒的な魔力を込めた魔術の前には成す術がなかったようだな!」


 メラン公爵の勝ち誇った声。

 確かに俺はその魔術を防げなかった。

 ああいう常に更新され続けるタイプの魔術は、術式の書き換えが追い付かない。

 結果、俺はメラン公爵の攻撃を食らってしまった。

 目の前に立ち上がる炎を前にして、メラン公爵が歓喜の声を上げる。


「でゅふふぅ! わたしゅとしたことが本気を出し過ぎてしまいましたかな? これではあのスカイフィールドのガキは助かるまい。しかし、これは致し方ない事。あのガキが反抗的だったのがいけないのだ。それに、これが正式な決闘の結果である事はここにいる全員が証人で――」


 と、そこまで言いかけた時、彼の前で起こっていた炎が不意に晴れる。

 そこには未だ健在な姿の俺がいた。

 と言っても無傷ではない。全身にやけどを負っている。

 しかし、俺はずっと魔術を無効化するために術式を変え続けていた。それが追い付かずこうしてダメージを負ってしまったが、それでもダメージを軽減することには成功した。

 勝ったと思い込んだメラン公爵が途中で魔術を撃つのをやめたのも大きい。おかげで最後の方の魔術は全て打ち消すことが出来た。

 深手は負ったが、俺は打ち勝ったのである。

 俺はまたゆっくりとメラン公爵に向かって進み出す。


「あ、ひゃあ……」


 奴は遂に尻餅を着いた。

 そりゃ怖かろう。自分が何をしても通じない少年が、全身から煙を上げながら、自分に向かって近付いてくる様は。

 俺は構わず近付くと、奴の肩に手を置いて呟いた。


「あなたにもらった炎、そっくりそのままお返ししましょう」


 瞬間、奴の体から炎が巻き起こる。

 俺がメラン公爵の魔力を操って、奴の体から炎を発生させているのである。

 奴の魔力の波長は何も変えていない。メラン公爵はまさしく自分の炎に焼かれていた。


「少しは姉さんの味わった苦しさを思い知れ!!」

「あぐああああああああああああああああっ!!」


 炎の柱が巻き起こり、メラン公爵が苦しみの声を上げるが、俺は一切手を緩めない。

 しかし、奴が白目を剥きかけたところで俺は魔術を止めた。

 そして、ぎりぎりで気を保っている奴に向かって囁きかける。


「今後、一切姉さんに関わらないと約束してくれますか?」

「あ……ぐぅ……」

「約束、してくれますか?」

「す、するぅ……するからぁ……」


 これで奴の心はへし折った。これは敗北者の目だ。

 この世には権力でも実力でもどうにも出来ない者がいると思い知ったことだろう。

 だが、これだけでおしまいにするわけにはいかない。


「それと、他の少女たちに手を出すのもやめてもらえますか?」

「そ、そそ、それは……」

「やめて、もらえますか?」

「しょ、しょれはぁ……」


 む、しつこいな。

 仕方ない、もう少し脅すか。


「俺は誰にも気づかれずあなたのことを殺すことが出来ますが」

「ふぇ!?」

「一切の痕跡を残さず、好きな時にあなたを殺すことが出来る術があります。もし約束をしないのであれば、あなたは元より、メラン公爵家はここまでです」

「しょ、しょんなぁ……」


 もちろんそんなことは嘘である。しかし、今奴の目には俺が得体のしれないモノに映っているはず。つまり、本当に出来るかもと思わせることが可能というわけだ。


「約束して下さい。もう二度と、罪のない少女たちに手を出すことはやめると」

「わ、分かったからぁ……」

「約束ですよ? もし約束を破ったら……」

「ひっ……ぐおぇ」


 俺はメラン公爵の体内魔力を操って体内魔力をめちゃくちゃに掻き乱してやる。

 今、奴は未知の感覚に苦しんでいるはずだ。


「俺の言った事が本当だって分かってもらえましたか? あなたが約束を破ったら、この百倍の苦しみがあなたを襲うと思い知れ」

「わ、わがっだ……わがっだから、もう、や、やめ……!」


 メラン公爵が苦しそうに呻き声を上げるが、俺は止めなかった。

 限界まで苦しませれば、目が覚めた時、奴は俺という恐怖に縛られることだろう。

 どさり、という音と共に地面に崩れ落ちたメラン公爵が気絶しているのを確認してから、俺はようやく立ち上がった。

 俺は振り返る。

 そこには呆気に取られた目がたくさんあった。その目には驚愕の他に、やはり恐怖の色も多分に混ざっている。

 中には畏れの目を向けてきている者さえいた。

 メラン公爵の護衛たちですら俺のあまりの気味の悪さ、得体の知れなさに動けないでいる。

 泡を吹きながらぴくぴくと痙攣している様を見れば、一応メラン公爵が生きているのは誰でも理解出来るだろう。

 俺は彼らに構わず歩き出す。

 割れる人垣の中を歩き続け、姉さんの元へとたどり着いた。


「さあ、帰ろう、姉さん」


 俺は姉さんの小柄な体を持ち上げると、そのまま会場を後にした。



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