第33話 話術

 メラン公爵は満面の笑みで俺たちを待ち受けていた。いや、厳密に言えば姉さんを、だ。

 奴の姉さんを見る目は、それはもうねっとりとしている。

 横から見ている俺でさえ生理的嫌悪感を隠しきれないというのに、あの視線を直接向けられている姉さんは一体どんな気持ちなのか?

 もうこいつがロリコン公爵なのは間違いない。

 近くまで行くと、一先ず本音を隠して俺たちは頭を下げる。


「お久しゅうございます。ストロベリー・ラム・パトリオトでございます」

「お初にお目にかかります。エイビー・ベル・スカイフィールドでございます」

「メラン公爵におかれましては、ご機嫌麗しゅう」


 俺と姉さんでそこまで挨拶すると、目の前のメラン公爵が口を開く。


「でゅふふぅ……相変わらず可愛らしい見た目ですな、ストロベリー殿」


 メラン公爵は姉さんを見てニヤニヤと笑う。

 ……思った以上にガチだった。

 でっぷりと太った大柄なメラン公爵が、小柄な姉さんを見下ろしている状況はかなり危ない。しかも、メラン公爵の目は血走っていて、今にも姉さんに襲い掛かりそうなほど。ここが日本なら即通報レベルの案件である。

 しかし悲しいかな、ここは彼こそが絶対の権力を持ったメラン公爵邸。

 姉さんは感情を微塵も出さず挨拶を続ける。


「メラン公爵。我がパトリオト家から誕生日のお祝いとして――」

「よい、よい。そんな堅苦しい挨拶など。ストロベリー殿、あの話は考えてくれましたかな?」

「……あの話、とは?」

「またまた、とぼけちゃって。そういうところも可愛らしいですのぉ。でゅふぅ」


 鼻息を荒げるメラン公爵。

 ……こいつマジでヤバくない?

 というか俺、完全に空気なんだけど……。

 しかし、あの話とは何の事だろうか? そう思っていると、メラン公爵が答えを出す。


「わたしゅの妻になって欲しいという話ですよぉ」


 メラン公爵は太っているせいか「わたし」という発音が上手くできず「わたしゅ」になっていた。

 いや、そんなことは今どうでもよい。

 ……妻だと?

 メラン公爵は四十代半ばだ。対して姉さんは十六。この時点でも既にふざけるな。

 一方で姉さんは淡々と答える。


「その話はお断りしたはずですが」

「ほう? このわたしゅに逆らうというのかな?」

「………」

「貴殿の家を潰すことくらい、このわたしゅにとっては造作もないことなのだがねぇ」


 ……こいつ。早々に権力をチラつかせてきやがって。


「それをしないのはひとえにストロベリー殿への愛があるからこそなのだよ、でゅふぅ」


 ……なんだこいつは。前世でもこんな酷い奴はいなかったぞ……。

 姉さんはそれでも全く感情を出す気配はない。


「私は女を捨て、武人として生きると決めました。ですので、私のことはどうか諦めていただきたいと申したはずです」


 なるほど。そうやってこれまでメラン公爵の申し出を断ってきたわけか。

 ただ、とうことはメラン公爵はそれを承知の上で今回、姉さんのことを呼んだはず。

 もし何か仕掛けてくるとしたらここか。

 メラン公爵が言ってくる。


「なるほど、そうでしたなぁ。そうやってわたしゅの申し出は断られていたのでしたなぁ。しかし噂に聞くと、ストロベリー殿はそこにいるスカイフィールドのガキとつるんでいるそうではないか?」


 ……! ここで俺の名前が出るか。


「わたしゅには分からんよ。武人として生きると言ってわたしゅの申し出を断ったストロベリー殿が、どうしてそんな奴と一緒にいるのか」

「……こやつは、エイビー・ベル・スカイフィールドはワシの弟子です。武人が弟子を取るのは普通のこと。けして嘘偽りなどございませぬ」

「弟子ぃ? 弟子だとぉ!? そんな【魔力ゼロ】がぁ!?」

「……!」


 メラン公爵の粘着質な視線が今度は俺を絡み取る。それは俺のことを心底バカにした目だった。


「【魔力ゼロ】などに一体何を教えているというのかなぁ? わたしゅには分からんよ」


 メラン公爵が俺を蔑んだように言うと、周りにいた貴族たちもくすくすと笑い出す。三日月のように細まった目が辺りに満ちていた。


「【魔力ゼロ】が何をやったところで【魔力ゼロ】。成長のしようなどない。それは誰もが分かりきったこと。ねえ、そうでしょう? 皆さん」


 メラン公爵のその発言に、辺りの者たちが一斉に笑い出した。


「そうですとも。魔術師優位のこの世界で、魔力がないのに強くなることなど何の意味もないことですな」

「ましてや貴族に生まれながら魔力がゼロなどと、その時点で無能に等しい」

「そもそも、魔力が一切ないなどという話は他に聞いたことがないぞ?」

「呪われているのではないか?」

「まあ、いやだ。汚らわしい」


 周りの貴族たちまでもが俺のことを悪しざまに罵り始める。


「違う!」


 そのように叫んだのは姉さんだった。

 姉さん、ダメだ。抑えてくれ……。


「我が弟子は……エイビーは無能などではない!」


 初めて感情を見せたストロベリーという少女に、辺りがしんと静まり返る。

 だが、俺は見逃さなかった。メラン公爵の唇が吊り上ったのを。


「ほう? どうやらストロベリー殿はご自分の弟子に随分と自信がおありのようですな?」

「当然! この者はワシの自慢の弟子じゃ!」


 ……姉さん。

 しかし、メラン公爵は待ってましたとばかりに、


「でしたら是非、その優秀な弟子とやらと試合をさせていただけませんかな? もしそれでこのわたしゅが負ければ、その時はきっぱりと貴女のことは諦めましょう」


 ……なるほど。そういう段取りだったか。

 汚い奴だ。誰がどう考えても、普通は十歳の【魔力ゼロ】の少年がAランクの魔術師に勝つことなど出来るはずがない。それを理解した上で敢えてこのようなことを吹っ掛けてきているのだ。姉さんを揺さぶるためだけに。

 だが――これは俺にとっては僥倖と言える段取りだった。何故なら俺はこのメラン公爵に勝てる自信があるから。

 確かにメラン公爵はAランクと言われるだけあって強力な魔力を体内に内包しているが、それでもあの叔父と比べたら天と地、月とすっぽん。

 だからここはその申し出を受けるべきだ。【流体魔道】を他の者の前で晒すことには抵抗があるが、姉さんをこんな奴に渡すくらいなら安いものである。

 そう思った俺は口を開こうとするが、


「お待ち下され」


 そう言ったのは他でもないストロベリー姉さんだった。

 ……姉さん?


「エイビーは他家の者ゆえ、勝手に巻き込むわけに参りません。お互いにクウラ殿への心象が悪くなりましょう」


 クウラ殿への心象が悪くなるというセリフにメラン公爵の表情が歪む。それは帝都で皇帝に次いで権力を持つ公爵である彼が、実質あの叔父――クウラ・ベル・スカイフィールドを恐れていることの証だった。

 ……あの叔父、どこまで凄い人なんだよ……。

 しかし、それで引くメラン公爵でもない。


「……だったら、どうするおつもりですかな?」

「ワシ自身があなたと戦います。それでワシが勝ったらきっぱりとワシのことは諦めると宣言していただきたい」

「そこまで言うからには、私が勝ったら間違いなく私の妻になってもらいますぞ?」

「望むところ」


 あれよあれよという内に話が決まってしまった。

 姉さん、それは……!

 俺が見た限り、魔力の内包量だけで言えば、現時点ではメラン公爵の方が姉さんより上だ。それは姉さんがまだ十六歳という若さであることからして致し方ないこと。

 それでも――まともにやれば姉さんが勝つと思う。彼女はまさしく【武神】の申し子であり、単純な戦闘力ならばあんな肥え太ったメラン公爵に負けるとはとても思えない。体内に流れる魔力の精度の違いが何よりもそれを物語っている。

 メラン公爵は確かに相当な魔力を持っているが、しかし、ただそれだけ。姉さんのように日々鍛錬しているような鋭い魔力ではなく、まるで濁った血流のような魔力の流れをしている。

 だから姉さんが負けるとは思えないのだが……なんだ、この胸騒ぎは?

 何よりメラン公爵に悔しがっている様子は見られない。俺との勝負が出来なくて仕方なく姉さんとの勝負をすることになったにしては、あまりにも余裕の態度に見えた。そう、まるでそれさえも計算の内であるような……。

 だからこそ、俺は口を挟むしかなかった。


「姉さん、俺にやらせてくれないか」


 俺のそのセリフに辺りはきょとんとした雰囲気になった後、ややあってから堰を切ったようにして笑いの渦が巻き起こる。


「ま、【魔力ゼロ】が何か言っておるぞ!」

「俺にやらせてくれないか、だって!」

「ははは! 己の実力も顧みず、恥知らずもいいところですな!」


 一斉に侮辱されるが、そんなことは関係ない。俺は姉さんさえ守れればそれでいいのだから。

 しかし、当の姉さんはこう言った。


「ダメじゃ」

「でも、姉さん、俺は――」

「ダメじゃ!!」


 姉さんは叫んで俺を睨み付けてくる。それは完全に拒絶の目。

 ――絶対にここは譲らない。自分のツケは自分で払う――彼女の目はそう語っていた。

 しかし、俺には分かっていた。――こんなことのために俺を巻き込むわけにはいかない。そのような想いが伝わってくる。

 でも……俺は、巻き込んで欲しかった。もっと俺を信用して欲しかった。

 それなのに、


「では、メラン公爵」

「分かっておるとも。ふほほ、弟子を守ろうとするそういう健気なところも可愛いのう。その顔が歪むところが今から楽しみですぞぉ、ぐふ」


 ……! こいつ……!

 やっぱり何か嫌な予感がする。

 しかし、姉さんはメラン公爵に連れられて歩き始めてしまう。

 俺は所在なくついて行くしかなかった。


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