第32話 姉と弟
その男、デュルフ・レイ・メラン公爵はいかにもといった見た目だった。
ポマードでまとめられた、べとべとでぎとぎとの髪。
でっぷりと肥えた中年貴族の肉体に高級な白い礼服を纏い、至る所にじゃらじゃら付けている宝石や貴金属の数々。
脂ぎった唇は常に吊り上っており、生理的悪寒すら覚える。
貴族のマイナスイメージをこれでもかというほど詰め込んだ男がそこにはいた。
そしてあの目――姉さんを見る目の奥には隠しようもない執着心が宿っており、俺の彼に対する警戒心を数段とびで跳ね上げさせた。
しばしこちらを睨み続けていたメラン公爵だったが、自分に注目が集まったことに気付き、すぐに笑顔の仮面を張りつける。
「これはこれは、皆さん。遠いところからはるばるようこそおいで下さった」
一応ホストとしての自覚はあるのか、客に対する挨拶を始めるメラン公爵。
そこから彼は「自分の誕生会に来てくれてありがとう」という趣旨の挨拶を長々と十分以上も続けていた。
彼はここにいる中で恐らく一番身分が高いので、誰も面倒くさそうにしている者はいない。俺以外。
最初からそんな挨拶など聞く気はない俺は、さりげなく周りの戦力把握を図っていた。
――至る所に配置されている護衛の騎士や魔術師。
オキクが調べた限りでは、上級魔術師がこの屋敷に多数詰めているとのことだったが、俺が見た限りではそんなに大した奴は見当たらない。あれではスカイフィールドの屋敷とそう変わらなさそうだ。
問題は――俺は壇上で未だスピーチを続けるメラン公爵に視線を向けた。
帝国が指定する最高位の魔術師に送られるAランク。どうやらその噂に嘘はなかったようだ。
メラン公爵の体内魔力の大きさはこの屋敷に詰めている誰よりも大きい。彼の赤い魔力が炎のように体内で渦巻いているのが視える。
……くそ、俺としては噂は噂に過ぎないことを願っていたのだが……。というか、名声すら金で買っているのではないかと予想していたのだ。これは嫌な方向に予想が裏切られた形になる。
最悪の場合は暗殺を考えていた俺だが……あれでは中々難しい。辺りの護衛の目を掻い潜った上で、あれほどの実力者を痕跡も残さず殺すのは至難の業だ。
そも、暗殺とは下策の中の下策と言える。仮に成功したところで、どんなリスクがあるか分からない。
出来ればこちらとしてもそんな手は使いたくないのだが……しかし、先程のメラン公爵の姉さんを見るあの目――あれは前世の最後の日にレンタルビデオ店に来たあのクレーマーと同じ目だ。相手をどのように甚振ってやろうかという、ただそれだけしか考えていない目……。
相手のことを慮る気持ちなど一切含まれていない目。
相手を甚振らないと気が済まない目だ。
もちろんそんなこと、絶対にさせるわけにはいかない。
絶対に俺が何とかする。例え正面からでも止めてみせる。
最悪、俺はどうなっても構わない。
問題はスカイフィールドの家に迷惑がかかることだが……まあ、それは実のところあまり心配していない。ウチの叔父はかなりのやり手なので、恐らく何が起きても上手く切り抜けることだろう。身分はメラン公爵より伯爵の叔父の方が下だが、それを超える名声を持っているのが叔父のクウラ・ベル・スカイフィールドという男だった。
だからルナのことも大丈夫であると確信できる。……まさかこんなところであの叔父に感謝することになるとは思わなかったけど。
そんなことを考えていると、長々と続いていたメラン公爵のスピーチが幕を引く。
「それでは皆さん、引き続きパーティを楽しんでくだされ」
壇上から降りるメラン公爵。
そこからは周りの者たちが順番に彼の元を訪れ挨拶していく流れとなった。
皆、メラン公爵のご機嫌取りに来ているので、それこそがメインイベントと言ってもよい。
皆、自分の贈り物が何かを自慢げに告げて、メラン公爵はそれに対し満足そうに頷くやり取り。
……これが貴族社会か。
前世の俺からしてみれば雲の上の出来事ではあるが、いざこうして自分がその立場になると、面倒なだけで特に何も楽しいことなどないと分かった。
誰も彼も下心だけで動いており、心底誕生日を祝おうとする者など皆無。
また、メラン公爵もその下心にどれだけの価値があるかしか見ていない。
人のネガティブなオーラが会場に渦巻き、それにあてられた俺は気持ちが悪くなった。
「む、どうしたエイビー? 少し休むか?」
「……いや、大丈夫だよ。それよりも姉さん。俺たちはいつごろ挨拶に行けばいいの?」
本当は行きたくないが、スカイフィールドの家を代表している限りは行かざるを得ない。
「位の高い順に行っておるから、もう間もなく我らの番じゃぞ」
……そういえば俺たちの家も格式は上から数えた方が早いんだよな。
と、その前に姉さんには釘を差しておかねばならない。
「姉さん、出来れば一緒に挨拶に行きたいんだけど、いい?」
「おお、いいぞ。元よりそのつもりじゃ」
「それでなんだが、多分俺はメラン公爵や周りの人たちから色々と言われると思うけど、絶対に感情的にならないと約束して欲しいんだ」
「な、なんじゃと?」
「約束してくれる?」
「な、なにを言っておる! そんなもの、ワシが黙っておられるはずが……」
「頼むよ、姉さん」
「な、なぜ……」
「この通りだ」
俺は頭を下げた。
「よ、よさんか、バカ者。わ、分かった。分かったわい」
「約束だよ?」
「ぬ……ぐ。し、しかし、何故お主が色々と言われなければならんのじゃ?」
「それはメラン公爵が姉さんのことを手に入れるためさ」
「なっ……!? お、お主、どうしてそのことを……!?」
「オキクに調べてもらった」
「な、む、むぅ……」
気まずそうな顔をする姉さんだが、続けて訊いてくる。
「じゃが、どうしてワシを手に入れるためにお主が色々と言われることになる?」
「簡単な話だよ。わざと姉さんを怒らせ、無礼を働かせて、負い目を作らせて姉さんに逆らえない状況を作り上げるんだよ。そのために姉さんの前で俺をけなすのが最も効果的だから。こんな誰もがいる中でそれをやれば言い逃れ出来ないからね」
「な、なんじゃと?」
「そこをパトリオト家取り潰しやらなんやらいちゃもんを付けられれば、いずれにせよ姉さんの立場は悪くなるでしょ? 例えぎりぎりで回避できたとしても、あと一手二手何か策を講じられれば、姉さんは絶対にメラン公爵の手から逃れられなくなるよ」
「な、なんと……」
姉さんは驚いた目で俺のことを見ていた。
「お、お主、頭良いのう」
そのセリフに俺はずっこけるしかない。
「感心している場合じゃないだろ!? 姉さん、自分の立場分かってるの!?」
「わ、分っとるわい。そんなに喚かなくてもよかろうに……」
「とにかく、絶対にキレる真似だけはしちゃダメだからね? 分かった?」
「わ、分かったぞ。……むぅ、これでは姉と弟が逆みたいではないか……」
何かぶつくさ文句を言っているが無視だ。
あとは俺が出来るだけ上手く立ち回れば取りあえずの危機は回避できるはず。
と、そこで二人ほどの貴族と挨拶を終えたメラン公爵の視線がこちらを向いた。
「よし、我らの番じゃな。行くぞエイビー」
「ああ」
俺は頷くと、姉さんと共にメラン公爵の待つ方へと足を向けた。
人の波をすり抜ける度に、メラン公爵の視線が俺と姉さんを捕えてくる。
さあ、いよいよご対面だ。
噂のロリコン公爵に、な。
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