第29話 姉の憂鬱

 ブロンド髪のメイド長に執務室へと通されると、叔父のクウラは立ち上がって俺たちを迎えた。


「ストロベリー殿、わざわざご足労いただいて申し訳ない」


 俺が一人で訪れた時とは全く違うこの態度よ。

 いつもは冷たい印象のある叔父だが、対外的にはそうではない。外交が上手いのは伊達ではなく、今も姉さんに向かって愛想笑いを浮かべている。しかも言いたくはないが叔父はかなりのイケメンなのでその笑みがサマになっていた。


「いや、ワシも世話になっておる身ですからな。そのように恐縮されてはかえって心苦しいというものです」


 一方の姉さんもいつもの粗暴性が鳴りを潜めている。……むぅ、これが貴族の外交か。前世の俺がやっていた営業に似ている部分があるが、こちらの方が繕っている感じがする。


「それでクウラ殿、ワシらに御用とは一体どのようなことですかな?」

「はい、それなのですが……厳密に言えば私の用ではありません」

「と、おっしゃられると?」

「実はメラン公爵の誕生会が今度行われるのですが、ストロベリー殿がその場に招待されているようなのです。それであなたのお父君が一度、ご実家の方に帰ってくるようにとおっしゃられております」

「メラン公爵の誕生会……ですと?」


 姉さんの眉がぴくりと動いた。

 ……なんだ?

 ちなみにメラン公爵はこのスカイフィールド伯爵家や姉さんのパトリオト伯爵家の直属の上司となる家だ。


「……分かり申した。それでは一度実家の方へと戻ることにいたそう」


 姉さんはそう答えた。

 ……何か一瞬、逡巡したように見えたのは気のせいだろうか?

 俺が首を捻っていると、叔父がこのように付け加える。


「実は私もメラン公爵からご招待いただいているのですが、重要な用があり、どうしても出席できないのです。そこで我がスカイフィールドからはそこにいるエイビーを代理として出席させることにいたしました」


 ……は? なんだって?

 この俺に社交の場に出ろだと?

 え? 俺、そういうマナーは何も勉強していないんだけど……。

 内心で慌てるしかない俺を他所に、会話は進行していく。


「もしストロベリー殿が出席されるのなら、我が愚息をエスコート役としてお付けいたしましょう」

「ほう、それは心強いですな」


 姉さん? 何も心強いことなんてないよ? ここにいるのはマナーゼロの男ですけど。ついでに魔力もゼロ。


「愚息はどうしようもない出来損ないではありますが、風よけくらいには使えるでしょう。もし邪魔であれば適当に遠ざけるも結構。いかようにでもストロベリー殿のお好きに使ってくださって構いません」


 にこやかな顔からは想像も出来ないくらい冷たい言葉が吐き出された。

 わー、さすが叔父。俺にはとことんですな。

 一方、好きに使ってもらって構わないと言われた方の姉さんは、しかし、顔を歪ませていた。


「……クウラ殿、前々から申そうと思っていたのだが、何故そこまでエイビーを目の仇にするのじゃ?」

「別に目の仇になどしておりませんよ。ごく普通の、当たり前の対応です」


 本当に当たり前のように、あっさりと帰ってきた答え。

 姉さんの顔がより一層歪む。


「申し訳ないが、ワシにはそうは見えぬ。クウラ殿、貴殿はどのようにお考えか分からぬが、このエイビーはワシから見ても稀代の才能を持ち合わせており――」

「ストロベリー殿。これは我が家の問題です。いくら貴殿には世話になっているとはいえ、この件に関しては口を挟んで欲しくはありませんな」


 叔父の顔はにこやかだが、その目はあくまで冷たかった。


「じゃがっ! それではあまりにもエイビーが不憫では……!!」


 俺は姉さんの手を取って、その言葉の先を止めた。

 姉さんは俺の顔を見てハッとして、そして叔父に向かって頭を下げる。


「……クウラ殿。出過ぎた真似をいたした。どうかお許しいただきたい」

「いえ、構いません。いくら出来損ないとはいえ情が移ってしまうのは仕方のないことです」


 そのセリフを聞いた姉さんからくぐもった声が聞こえてきたが、しかし俺の意思を汲んでか、それ以上何か言おうとすることはなかった。

 そして、そのまま俺と姉さんは退出する運びとなった。



 ***************************************



「すまなかった」


 執務室を出て、すぐに姉さんが俺に向かって頭を下げてきた。

 俺は慌てるしかない。


「や、やめてよ姉さん!」

「余計なことを言ってしもうた。クウラ殿のお主に対する印象をさらに悪くしてしまったかもしれん。……じゃが、黙っておれんかったのじゃ……」


 その声もしょんぼりしていた。


「姉さん! やめてってば!」


 俺は彼女の肩を掴むと無理矢理に頭を上げさせた。

 そして、彼女の顔を真っ直ぐ見て、


「俺は嬉しかったよ。姉さんがああいう風に言ってくれて」

「………」

「本当の姉さんがいたら、あんな風に言ってくれるのかなって、そう思ったよ」

「エイビー……」


 俺の言葉に嘘はない。本当に嬉しかった。俺は既に諦めているのに、俺のためを想ってあんな風に言ってくれて……。


「姉さん。それよりも今はメラン公爵についてだよ」

「むぅ……」


 何やら姉さんが不満そうな顔をしているが、そんな場合ではない。

 なにせマナーゼロの俺が姉さんのエスコートをすることになったのだ。この人に恥をかかせるわけにはいかない。

 と、その前に一応聞いておこう。


「姉さんはメラン公爵の誕生会は行くつもりなの?」


 俺がそのように訊くと、姉さんはしばし黙った後、このように答えた。


「……そうじゃな。今回は行くとしよう」


 今回は?


「前にも誘われたことあるの?」

「ん? ああ、まあな」


 どうも歯切れが悪い気がするが、しかし次の瞬間、姉さんは悪戯っぽくニヤリと笑うと、


「くくっ、まさか弟子にエスコートされる日がこようとはのう」

「か、からかわないでよ。今から胃が痛くなってきた……」

「ははは! マナーをしっかり勉強しとくがよいわ」


 姉さんは心底楽しそうに笑ってから、準備があるから実家に帰ると言ってすぐに去っていった。

 結局、俺は先程の姉さんの様子がおかしかったことについて何も聞けなかった。




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