第20話 チェリッシュ・ラム・パトリオト

 俺が家を出て行かねばならないことをルナに告げることが出来ないまま一週間が経過していた。

 ルナは俺のことを慕ってくれているからなぁ……。正直とても言いづらい……。

 だが、俺はこれで良かったと思っている。何故なら俺はどの道、いつかは家を追い出されていたと思うからだ。

 あの時、叔父から出た「家を出て行け」というセリフ……あれは日ごろから考えていなければ出てこないセリフだ。つまり元々叔父は俺のことを家から追い出したかったのだろう。

 ならばせめてルナの状況の改善という譲歩を引き出せたのは僥倖と言える。


 それに叔父には言っていないが――俺は追放された後、実はそのうちにまたスカイフィールドの家に戻るつもりである。


 もちろん、ルナを叔父の魔の手から救うためだ。

 俺がルナのことを放ってただ家を出て行くわけがなかろう。家を出るのには他にもそれなりの理由がある。


 そもそも俺はどの道、一度外に出たかった。


 というのも、一度この目で世界を見て回りたかったからだ。

 スカイフィールドの家にいてもそれなりに外の情報は入って来るが、それでも自分の目で見るのではまた違う。

 俺たちの周りは比較的平和で穏やかだが、世界では今も戦争が起きている。不穏な話はいくらでも耳に入ってくる。

 つまり、いつ俺やルナも戦禍に巻き込まれるかも分からないのである。


 ――それにこの世界はどうも何かおかしい。


 いくら何でも戦争がひっきりなしに起きすぎている。

 だから一度自分の目で世界を見て、何が起きているのかを直に知っておきたかった。それが俺の大事な人たちを守ることに繋がると思うから。

 今では師匠やショットだって大事な仲間だ。ルナとオキクだけでなく、彼らのことも守りたい。

 それには世界情勢を知っておく必要がある。それも肌で直接、だ。

 加えて外に出ることは自分のレベルアップにも繋がる。

 世界には宝が封印されたダンジョンだってあるし、家の中にいるだけでは知ることの出来ない技術やスキルだってある。

 どうしても欲しいアイテムもある。

 つまり外でしか手に入らない物がいっぱいあるのだ。

 こうした観点からどの道、俺は家を出たかったというわけである。

 ただなぁ……ルナが何て言うか。あの子がすんなり納得してくれる姿が想像出来なかった。

 必ず家に戻ってくると言っても聞かなさそうなんだよな……。

 差し当たっての俺の目標は、いかにしてルナを納得させるかを考えることだった。


 それはそれとして、外に出るからには俺はさらに戦闘技術を鍛えておく必要がある。

 ショットとの出会いからさらに一年。あれからもショットとの付き合いは続いている。

 ショットはアニキらしく、俺を弟分として可愛がってくれた。

 町に繰り出して一緒に悪さをしたり、俺のことを【魔力ゼロ】と陰口を叩いた奴をぶん殴ってくれたり……。

 何より、ショットは実戦を想定した組手の相手として申し分なかった。

 彼は戦闘の勘というものが異常なほど優れており、戦う度にこちらの裏を掻くようなことを平然とやってくる。

 まさに戦闘の天才……その言葉が彼に最も似合う。

 また、ショットは地道な努力を嫌う傾向があり、彼の強さのそのほとんどは実戦によって成り立っている。腕立て一回やる暇があるなら町に繰り出して冒険者に喧嘩を吹っ掛ける……それがショットという男だ。

 だからこそ彼は実戦の経験が豊富で、彼との組手は実戦をより彷彿とさせた。

 彼との組手のおかげで俺は本当の実戦になった時も自然と動ける自信があるし、いずれ冒険者になった時に彼から教えてもらったことは絶対に無駄にはならないはずだ。

 ちなみに――今のところ純粋な近接戦闘だけで俺はショットに勝ったことがない。

【流体魔道】を使えばどうかは分からないが、純粋な体術では勝てる未来が見えなかった。

 自分もかなりの速度で成長している自信はあるのだが、信じられないことに彼もまた結構な速度で成長していた。

 彼はまさに天才だった。

 その天才の彼に追い付くためにも、俺は努力するのみ。俺の強みは努力だから。

 まあ、いずれにせよ仲間が強くなってくれることは心強い。一緒に強くなっていけば、これ以上心強いことはないというわけ。

 そんなことを考えながらショットとの模擬戦をやっていたのだが、その模擬戦が終わって汗を拭いていた時、ふとストロベリー師匠がため息を吐いた。


「ふぅ……」


 ……師匠がため息なんて珍しいな。そう思った俺は彼女に声をかける。


「師匠。どうかしたんですか?」

「ん? ああ、いや、ワシの弟もお主らくらい男らしかったらなと思ってな……」


 そういえば師匠――ストロベリー・ラム・パトリオトには弟がいるんだったな。

 とは言い条、彼女の口からその弟の話が出たのは珍しい。

 ショットも気になったのか、


「アネキ、チェリーの奴がどうかしたのか?」


 チェリー?


「アニキ、チェリーって?」

「アネキの弟の愛称だよ。チェリッシュ・ラム・パトリオトだからチェリーだ。そんでアネキ、珍しいじゃねえか? あいつのことでそんなに落ち込んでいるのは」

「そりゃあ落ち込みたくもなるわい。あやつの女々しさは年々酷くなる一方じゃからのう」


 どういうことか分からず俺が首を傾げていると、ショットが説明してくれる。


「アネキの弟のチェリーはちょっと男らしくなくてな……」

「……ちょっと、じゃと? ちょっとどころではないわい! 最近では女装なんかも初めて……はぁ」


 ……本当に珍しいな、師匠がここまで落ち込むのは。


「そ、そんなにひどいことになってんのか? あいつ、あれで結構才能のある奴だったじゃねえか」

「だからこそ嘆いておるのじゃ。あやつ、最近ではさらに自分に自信を無くし始めて、一層女の趣味に熱を入れ始めてのう……。女装趣味もその一環というわけじゃ……。ワシが厳しくすればするほど、あやつは自信を無くし、自分の殻の中に逃げ出すようになってしまってな……」


 どうやら彼女は自分の弟に関してかなり苦戦しているらしい。

 彼女の沈み具合は心配になるほどのものだった。

 どうにか出来ないかと思っていると、ショットが俺を指差して言う。


「アネキが言うから逆効果なんだよ。ここはひとつ、こいつに会わせてやったらいいんじゃねえか?」

「え、俺?」


 急な指名に俺は戸惑うしかない。

 だがショットは構わず続ける。


「こいつに合わせてやったら良い刺激になるんじゃないかと思うぜ。同い年にこんな奴がいるんだって知ったら、あいつも何か変わるかもしれねえぞ」


 そのショットの提案に、師匠は「ふむ」と頷くと、


「……それ、アリじゃな」


 そう言って二人揃って俺のことを見てくる。

 え? い、いや、そりゃ俺だってお世話になっている師匠の問題は何とかしてあげたい気持ちはあるが……。


「あの、物凄いプレッシャーなんですが……。俺なんかが何とか出来るものなんですか?」

「そう肩ひじ張らずともよい。弟の話し相手になってくれるだけでよいのじゃ」


 まあ、それくらいなら……。


「分かりました。どの道、一度会ってみないと何とも言えませんからね」

「……お主は本当に物分りが良いのう。時折、大人が子供の真似事をしているのではないかと思う時があるぞ」


 俺はぎくりとした。


「そ、そんなわけないじゃないですか。い、いやだなぁ、師匠」

「分かっておる。それだけ頼りになると言いたかっただけじゃ。……しかし、たまには子供らしいところを見せてもよいのじゃぞ?」


 そう言って師匠は俺の髪をわしゃわしゃとしてくる。

 俺は意外とこのわしゃわしゃされるのが好きだった。


「ほんとアネキは丸くなったもんだぜ。もしかしてアネキ、本当にこいつのことが好きなんじゃ――」

「余計なお世話じゃい!!」

「ぐぼぉらぁっ!?」


 師匠の一撃がショットの腹にクリーンヒット。彼は変な呻き声を上げて吹っ飛んでいった。

 ……これで丸くなったのかよ……。俺は愕然とするしかなかった。

 しかし師匠の弟か……。一体どんな奴なんだろう?

 この師匠の弟なのに男らしくないという時点でまったく想像が出来ない。

 だが、この師匠がよっぽど困っているのだから、これはその弟を一発ぶん殴るくらいの覚悟は決めておいた方がいいかもしれない。

 俺はこの時、そのように思っていた。


 だが、その考えはすぐに吹き飛ぶことになる。



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