Turn179.剣聖『元賢者の帰還』
「ニュウ・レンリィ……降参してくれ。これ以上、お前に危害を加えたくない」
かつての仲間に剣先を向けるアルギバーの表情は、どことなく悲しげだった。
そんなアルギバーを、ニュウは忌々しげに睨み付けた。
「裏切り者が! 私はあなた達を倒すまでは、絶対に負けたりはしないんだからぁああぁあ!」
ニュウは雄叫び、剣を払うと野獣の如くアルギバーに掴みかかってきた。
アルギバーは咄嗟にニュウの体を押し退ける。元より非力なニュウは、簡単にその場に尻餅をつく。
「誤解よ、ニュウ。私たちはあなたを裏切るようなことはしていないわ」
「そうだ。いい加減に目を覚ませ!」
アルギバーが再びニュウに剣を突き付けた。
すると、ニュウはケラケラと笑い出す。
「これが証拠じゃない! 私がどんなに挑んでも、あなた達には敵わない……。それ程にも強力な力を持っているの、あなた達は全力で魔王に挑まなかった。だから、お姫様が拐われたのよ!」
「そんなことはない。俺達も必死で戦ったさ」
感情的なニュウを宥めようとアルギバーは静かな言葉で言った。
──だが、その態度が余計にニュウの神経を逆撫でてしまったらしい。
「だったらどうして魔王を倒せなかったの!? どうしてお姫様を守りきれなかったのよ!」
剣を突き付けられていることなどお構いなしに、ニュウはアルギバーに食ってかかった。
攻撃をしようというのではない──。
アルギバーの襟首を掴んで、抗議の声を上げた。
「あなた達のそれ程の力を持ってすれば、お姫様を守り切ることができたはずよ! それなのに……あなた達はいつまでもいつまでも魔王を倒してくれず……私の魔力が尽きるまで弄んでいたじゃないの!」
ニュウの脳裏には、戦闘を楽しむかのように口元を歪めるアルギバーの顔が思い浮かんでいた──。あの表情からは、余裕の色が感じられたものだ。
いつしか熱く訴えるニュウの頬には、涙が伝っていた。
「私は不安だったのよ……。魔力も尽き果てそうだった。……それでも、お姫様を守り抜かなきゃって……。それなのにあなた達は力を抜いて、私たちのことを裏切ったのよ。許せないわ! あんた達なんて!」
ニュウは悲鳴のような叫び声を上げると、嗚咽を漏らしながらその場に泣き崩れてしまった。
アルギバーもテラも、ただ黙ってニュウの内なる感情を聞いてあげることくらきしかできなかった。
「俺達だって、お姫様を守りたかったさ……」
「じゃあ、どうして今のあなた達のその力を使わなかったの!? お姫様のために、全力で挑まなかったのよ!」
「お前は勘違いをしているよ……」
あくまでも、アルギバーは感情に流されず静かな口調で呟いた。
「あの時の俺達は全力だったんだ。全力で挑んで……それでも歯が立たなかったんだよ。足止めくらいしかできず……俺達は負けたんだ」
「そんな……!」
アルギバーの言葉に、何故だか激高しているはずのニュウがショックを受けたような顔になった。
「そんなことって……だって……」
動揺をして、ニュウの目線が定まらなくなる。
「俺達も全力だったさ。……それ程までに、魔王は強かったんだ。俺達を片手で弄ぶくらいにな。……それに、考えてみろよ。相手は勇者様も手に負えなかった魔王だぜ? 俺ら如きが敵うわけがないだろう?」
アルギバーの内心の告白は、ニュウの耳には届いていないようである。ニュウはオロオロと狼狽していた。
「そんなわけ……そんなわけないじゃない!」
ニュウがアルギバーに詰め寄った。
──今度はアルギバーも、それを押し退けるようなことをしなかった。
ニュウは必死に訴えかけた。
「あなた達は強いじゃない! 絶対に……絶対に負けたりなんてしないわっ!」
ニュウはアルギバーの襟首を掴み、揺すった。
──そんな叫びにアルギバーは応えられず、俯いてしまう。
「……お前が思ってくれているより、俺らはずっと弱いんだよ。……あの時だってそうだ。お姫様を……お前を守りたかったのに、結局、あのザマよ……」
テラも、申し訳なさそうに顔を伏せた。
「ごめんなさい。私も魔力が尽きるまで全力で立ち向かったわ。……でも、魔王を取られなかったの」
「聞きたくない! 聞きたくない! 聞きたくないっ!」
二人からの謝罪の言葉にニュウは発狂し、頭を掻き毟った。
「で、でも……あの時、笑ってたじゃない……」
ニュウはこちらを見て笑っている二人の顔を思い浮かべながら叫んだ。その余裕の表情に勇気付けられて、ニュウも力を振るい続けたのである。
「言ったはずよ、ニュウ……」
テラは真っ直ぐにニュウを見詰めながら言った。
「最期は笑ってお別れしましょうって……」
テラの言葉で、ニュウはハッとなった。
──最後は笑ってお別れしましょう。
その言葉は、ハッピーエンドを想定したものではなかった。
戦場で死ぬことを覚悟し──そして、その時が来たのでそれを行ったに過ぎない。
だから、あの時、二人は笑ったのだ。
ニュウとの約束を果たすため──。
ニュウに心配をかけないため──。
「そんな……」
結果的に、ニュウたちは魔王に生命は助けられ、お姫様だけが拐わられてしまった。
ニュウはその場にへたり込む。
「……本当は、分かっていたのよ……」
俯くニュウの表情は、前髪がかかっていて分からない。ただ、その瞳からは涙が溢れていた。
「でも、信じられなかったの……二人が負けるなんて。信じたくなかったの……二人に歯が立たない相手が居るだなんて……」
「お前は俺らを過大評価し過ぎなんだよ。倒せない相手だっているってぇの! ましてや、相手は魔王だぜ?」
「そりゃあ、そうよね……」
ニュウは指で涙を拭いながら頷いた。そのことにはニュウ自身も薄々勘付いていたのだろう。
「……でも、こうして私は敗れたのだもの。不死の軍勢を差し向けても尚、あなた達に追い付けず、敵わなかったわ。力を手にして……実際にそれを使ってみて実感したわ。やっぱり、あなた達は強いって……。そんなあなた達が精一杯に戦って、敵わなかった相手が居たのよね」
独りごちながらニュウは納得した様子だ。
これまで、テラとアルギバーを裏切り者と逆恨みをしていたが、それは全てニュウの勘違いであったらしい。端から、二人は手など抜いていなかったのだ。お姫様を──ニュウを守るために必死に戦った。必死に食らいついて──それでも駄目なだけであったのである。
大きな勘違いから、ニュウは取り返しのつかない大罪を犯してしまった──。
かつては賢者と呼ばれていたニュウは、自身の手を見詰めた。とても聖職者と思えない──邪悪なオーラがその手から発せられていた。
本来、憎むべき相手であるはずの魔王から授かった、その邪悪な力──。
「ねぇ、ニュウ……」
意気消沈しているニュウに、テラはある疑問を投げ掛ける。
「不死の軍勢を差し向けたって言ったけれど……あれはまさか、貴方が仕向けたものなの?」
「いいえ……。あなた達の仲間に紛れた、不死族の長が猛威を振るったに過ぎないわ。今もきっと、猛威を振るっているでしょうね……」
アルギバーとテラは顔を見合わせた。
「どういうことだ?」
「禍々しい邪悪な気配が解き放たれているわ。どこかで、牙を剥いているに違いないわね」
「どこかで……? まさか、お姫様たちが……」
「お前、まさか……そのために、俺達の足止めにきたのか!?」
アルギバーに睨み付けられたニュウは首を振るう。
「違うわ。私はただ、過去の清算に来ただけよ。裏切り者のあなた達に問いただしたかっただけ。……でも、結果的に裏切ってしまったのは、私の方だったようね。仲間を最後まで信じきれず自分がとんでもないことをしてしまったのだから……」
ニュウは深呼吸をすると、覚悟を決めたようだ。目を瞑り、アルギバーから突き付けられた剣を掴む。
「さぁ……。私を殺して、早く仲間のところに行くことね。ぼやぼやしていると、仲間たちの身が危ないわよ」
──この場で命を奪われても仕方がない。
仲間を──人間たちを裏切って、ニュウは魔王の側についたのだ。全ては擦れ違いから生まれた勘違いだったとはいえ、今さら世界にどう顔向けしていけば良いのだろうか。ケジメをつけて、ここで命を断つ他ない──。
アルギバーは躊躇しているようで動かなかった。
表面上は尖っているアルギバーだが、内心は優しい少年である。ニュウの命を奪うことなどできないのだろう。
それを悟ったニュウは、自らアルギバーの持った剣に首を押し当てた。
「これで終わりよ。今度こそ、最期ね……」
──が、不意に体をグイッと引っ張られて剣から引きなされてしまう。
ニュウの襟首を、テラが掴んでいた。
「最後? それは違うわね。私達は仲間だよ? 仲間の貴方のことを、最後まで信じるわ。その罪の意識があるというのなら償えばいいじゃない」
テラの言葉に、ニュウは目を丸くする。
「そんな……償ってどうにかなるものじゃないわ」
「それでも償い続けなさいよ。罪が消えるわけじゃないわ。だけれど、私達は貴方に生きていて欲しいの。だから、生きて償い続けてよ」
「勝手なことを……」
テラの勝手な提案に、ニュウは思わず笑ってしまう。
「そうだな」
アルギバーも頷いてみせる。
「勝手なことをやるだけやって、さようならなんて許されねーよ。こっちだって、お前に文句の一つや二つ言いたいことがあるんだからな。それを聞かねーで、死のうとするなよ!」
「……じゃあ、言ってよ」
「やなこった! それを言うのは、俺らが死ぬ間際まで取っておいてやるよ! だからお前は生きていろ」
ニュウは二人の真意を探ろうと、その瞳を見詰めた。──こんなところで、二人はニュウの命を断つ気はないらしい。
「ここで体力を消耗させられたんだ。お前には、代わりに姫を守るためにキッチリ働いてもらわにゃならんからな! 逃げるなよ! 行くぞ」
話しはそれまでと、アルギバーはニュウに背を向けて歩き出す。テラも同様に、敵対していたはずのニュウに後ろを向いた。
──裏切り者の彼女のことを、二人は今でも仲間と認識していた。
それは、実はニュウが敵意を剥き出して二人の前に姿を現した当初からそうであったのかもしれない。初めから、仲間であるニュウと本気で殺し合うつもりなどなかったようだ。
「ごめんなさい。全部が終わったらきちんとケジメはつけるから……」
「つけなくていいから、生きてろってぇの!」
アルギバーが吐き捨てて言う。
「ふふ、行きましょう」
テラが足を止め、手を伸ばした。
ニュウは差し出されたその手を握る──。
窮地に追いやられている仲間たちの元へ──三人は急いだのだった──。
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