Turn35.異世界の少女『失われた勇者様の絵』
テラは尖った石を持ち、静かに絵を描き始めた。
それを見守る人々から声を発する者はいない。テラの意識を妨げて、それで神からの啓示が途絶えてしまっても困るからだ。
毎日のように、会合場所の洞穴は変えられていた。壁や床一面にテラが絵を描くので、スペースがなくなってしまうからだ。
だから、テラはまたゼロから絵を描くことになってしまっている。
これまでテラは奇想天外な異世界の町並みばかりを描いてきたテラが、今宵に描いたものは──。
──鋼鉄の箱に車輪のついた乗り物──。
その上で剣と盾を装備した勇ましい少年の絵──。
「これは……」
誰の目にも、その少年が勇者であることは明らかであった。
この世で魔王に唯一対抗することができる存在──世界の希望。魔王の手によって、この世界を追いやられた勇者の姿がそこにあった。
絵を眺めていた人々がざわめいた。
中でも、一番に驚いていたのは恰幅の良い男ピピリ・ガーデンであった。
「そんな……あり得ないのね……」
まるで勇者の存命を、信じられないといったように首を振るっていた。
「勇者様……勇者様が、生きておられるのか!?」
「我々を、この村から助け出してくれるぞ!」
「魔王をやっつけろ!」
人々は歓喜し、叫び声を上げ始めた。
場が慌ただしくなり、テラもその手を止めてしまった。レイリーはそんな混乱を静めようと、人々の前に立ってパンパンと手を叩いた。
「はいはい、色々な感想はございましょうが、お陰で族長様の意識も削がれてしまったようです。今晩は、この辺でお開きにしましょう」
「そんな……」
ざわざわと人々がざわめくが、レイリーはお構いなしである。
「場を混乱させたのはあなた方でしょう! 即刻、この場から立ち去りなさい!」
レイリーの怒声が部屋の中に響き渡り、口々に声を上げていた人々もしぃんとなる。
あらぬ叱責を受けた人々は不満気な表情を浮かべたが、渋々に腰を上げて部屋から出て行った。
洞穴の中に残されたレイリーは、テラに近付いた。そして、その頬を平手打ちを食らわせる。
「ンゥン……」
無抵抗なテラは勢いのまま床に倒れてしまう。手に持っていた石が地面を転がった。
そんなテラの髪を引っ張り、顔を上げさせたレイリーは怒りの籠もった瞳を彼女へと向けた。
「愛しいテラ。駄目じゃないか。民に、そんなあらぬ希望を与えては……縁起でもない」
「ンゥ……ンンゥ……」
横たわりながらも、まるで救いを求めるかのように壁画の勇者に手を伸ばすテラ──。
それが、レイリーは何だが憎らしく思えた。
「そんなに欲しいのなら、くれてやるよ! 私は親切だからね。続きを描けば良い!」
そう言って、レイリーは地面に転がっている鋭利な石を拾い上げた。テラの手を踏み付けると──レイリーは石を思い切り振り上げた。
──グサッ!
「ンゥンンゥンンッ!」
レイリーが振り下ろした石が、テラの手の甲に突き刺さる。痛みに悶絶し、テラは床をのたうち回ったものである。
そんな痛みに悶えるテラの姿を、レイリーはうっとりとした表情で見詰めたのであった。
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