Turn016.勇者『病』

眼鏡を掛けたざんばら頭な白衣の男が、突如として姿を現した。

池谷も教頭も目を丸くしている。僕も同様だ。


白衣といえば、医者かあるいは科学者か──誰がそんな人間をこの場にお呼び立てしたというのだろう。教師陣が目を丸くしている時点で、この学校の関係者ではないことは明らかだ。


「えっと……どちら様で?」

教頭が尋ねる。


白衣の男は僕を一瞥してくるなり、ハァと残念そうに溜め息を吐いた。何だか腹の立つ態度だ。

そして、白衣の男はこんなことを言い出してきた。

「申し訳ありません、先生方……。私は彼の主治医でして……精神科医のクルブシと申します」

そう言いながら精神科医は、白衣のポケットから名刺を取り出して教頭に差し出した。

「はぁ……」と、教頭は状況が飲み込めず困った顔になった。

「精神科医の先生が、何の用でしょうか?」

「彼の病気のことが心配になりましてねぇ。……彼、自分を抑制することが困難な病気なんですよ。思い立ったら行動というか……それが例え反社会的な行動であっても、自分を抑えることが出来ないんです」

言い方はあれであるが、精神科医の言うことは的を得ていた。確かに僕は自分の衝動を抑えることが難しくなっている。


しかし──。

「あの……貴方は誰なんですか……?」

「しーっ!」

僕が尋ねると、精神科医は自分の口元に人差し指を当てた。

──黙れ、ということなのだろう。


本当に僕は、この精神科医とは面識がなかった。精神科に罹った経歴も、勿論ない。それに、このような衝動にかられるようになったのも、つい先程のことである。前々からそれがあった訳ではないのだ。

──そもそも、この精神科医を語る男が、僕がそんな状態にあることを知っている筈もないである。

知り合いでもなければ面識もない。いったいどこで、そのことを嗅ぎ付けてきたのだろうか。

知り合い面してくるこの精神科医が、僕はなんだか薄気味悪く思えてしまった。


「これ以上、先生方に迷惑を掛けるべきではありませんよ。素直に謝った方がいいですね」

「はぁ……」

精神科医の意図は分からなかったが、少なくとも僕の味方ではあるようだ。

この場は精神科医の言う事に大人しく従うことにして、僕は教師たちに向かって頭を下げた。

「申し訳ありませんでした!」


池谷と教頭は、顔を見合わせた。

「教頭これは……どうしましょう?」

「うぅむ……」

精神科医も同様に、深々と頭を下げて陳謝した。

「本当に申し訳ありません。私がきちんと見張っていれば良かったんですけど、彼もなかなか私の意見を聞き入れてくれませんからねぇ」

精神科医が僕を見ながら笑いを浮かべる。


──見張る?

彼の言葉の意味が、どうにも引っ掛かった。

例え、僕が本当に心の病気を患っていたとしても、せめて精神科医のできることといえばカウンセリングや投薬くらいなものではないか。

それを『見張る』などとは、精神科医の業務の範疇を越えているような気がするのだが──。

考えれば分かりそうなものであるが、教師らには微塵も精神科医の話を疑う様子はない。

「なる程。彼のおかしな行動ばかり目立つと思ったら、そういうわけでしたか!」

「うーん……。そうなると、警察への通報はどうしますか?」

池谷が指示を仰ぐように、教頭に視線を送る。

「その点は、申し訳ありませんが、取り下げさせて貰っても宜しいですかね」

すかさず精神科医が口を挟む。

「彼は心の病気なのです。彼の行動を罪に問うことは出来ません。大事なのは、彼の病気を周囲の人々が理解してあげることなのです」

「はぁ……」

熱く訴えかける精神科医の言葉に、教頭は圧倒されたようである。

「……まぁ、学校としても、穏便に済ませられればそれで良いですからね。……幸い、怪我人も出ておりませんし」

「申し訳ありません。先生方、ご協力感謝いたします」

ペコペコと精神科医は頭を下げ、教頭たちに感謝の言葉を述べた。


僕はそんな謎な展開に──成り行きに身を任せることしかできなかった。

自分が取った行動も不可解ではあるし、突然登場した精神科医も不思議な存在である。──分からないこと尽くしであった。

もしかしたら僕は本当に、精神科医の言う通り心の病気を患っているのかもしれない──。


そのまま僕は精神科医に校舎から連れ出された。

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