第6話「招待と嗚咽」
待ち合わせの体育館前に、彼女はいた。
別れてから二時間程度しかたっていないのに久しぶりだと感じてしまうのは、部活のせいだろうか。それとも、すっかり夜空になってしまったせいか。一日の充実感が増えたのだ。普通なら時間はあっという間に感じてしまうのに。
「あ、茅野だ。康幸が馬鹿しないか見守っててくれよな! じゃあな!」
そんなバスケ部員のからかいに、茅野は若干の戸惑いと気恥ずかしさを押し殺した表情で手を振る。
嬉しいことに、僕らの関係をからかうことはあっても邪険に扱う奴らはいない。その対応をわかっているからこそ、茅野もああして待ってくれているのだろう。
灯り越しの彼女の表情は、昼間と比べてわかりにくいものの、身振り手振りが彼女の気持ちを代表している。
「ごめんね。待ってたでしょ」
「全然。ちょうどいい時間だと思うよ」
マフラーをまいた彼女は、それはもうモデル並みの可愛らしさで。制服姿がより一層彼女を愛らしく見せる。
こんな子が本当に僕の彼女なんだ。慣れてしまえば、こんな彼女を誇らしく思い、彼女と過ごす一分一秒がワクワクでいっぱいになるのだろう。
けれど小心者の僕はそれよりも先に緊張してしまう。寒さでごまかせてはいるが、緊張で全身が震えていて、焦りでじんわりと汗がにじみ出ている。それが寒風に冷され、頬を伝わず、今こうしてバレていないだけなのだ。
その時だろう。
「おっす茅野。康幸をよろしくな!じゃな!」
「あ、三科君。うん、また明日」
硬直してしまった僕の背を叩き、健斗が校門まで走っていく。咄嗟に健斗のほうを見ると、健斗はちらりと僕のほうに目を向け、そのまま何も言わずにこの場を去っていった。
つくづく、感謝しなければならないなと思う。
「じゃあな、健斗……じゃあ、帰ろうか」
「うん!」
マフラー越しの彼女の笑みも、なんて可愛いんだろう。僕はそう思った。
冬はすぐに太陽が顔を隠す。夏は元気に帰り道を照らしていてくれても、この季節のこの時間は月が顔を出すほうが早い。こんな寒い日にあんなに暑い太陽が逃げるのは当たり前だなんて、まだ理科のことをよく知らない僕は子供ながら親に言い聞かせようとしたことがある。
どんなものにだって心はある。子供の可愛い戯言だ。
もしもそれが本当なら、光を失った歩道はいつ踏まれるかわからない恐怖におびえているのか。こうして隣を歩く茅野と僕から飛び出る白い息は、まじりあって何を思うのだろう。
「じゃあ、そのころから理科が嫌いだったの?」
僕の昔話に興味津々な茅野が、僕の顔を覗き込む。しなやかな体がこちらに向けられたのを確認して、僕は彼女の疑問に答えるよう、話をつづけた。
「うん、理屈っぽいのが苦手でさ、それよりも心に寄り添うような国語とかが好きだった。あとは道徳とかかな。自分で自分のことを表すのは、なんか嫌いじゃなかったんだよなぁ」
「わかるかも。道徳ってなんでか小学生で終わっちゃうよね。高校であってもいいと思うのに」
「茅野もそう思うんだ」
僕のこの感性を誰かに話すと、決まって別に要らないだろと言われてしまうので、この反応は少し以外だ。それでいて似た感性を持っていることをうれしく思う。
「うん。私は道徳のペアワークが好きだったな。誰かのことを知れるし、誰かに自分を知ってもらうのはすごい嬉しかった。家族にも褒めてもらえるし。音楽も好き。曲で人の心を打つって凄くない!?」
爛爛と目を輝かせ話に熱帯びる茅野に僕は深く頷く。音楽というのは不思議なもので、一度目に音だけを聞いてると明るい気持ちになるのに、歌詞に注目すると泣けてくる。そんな魔法の曲さえあるのだから奥深い。その点でいえば絵描きや小説家、写真家なんかもそうで、みんな何かしらで僕らの心を打つ。
「だから軽音部に入ったの。私たちの作る曲が、誰かに必要とされたらとっても嬉しいもの」
「すごいね。そんな風にいろんな事考えてるんだ」
明るく、それこそ今にも踊りだすような調子で話す茅野を初めてかっこいいと思った。今まで幾度となく可愛いと思ったことはあったけれど、こんなにまっすぐな意味を持っている彼女を、うらやましくも思ってしまう。
「八代君は? どうしてバスケ部に入ったの?」
「え」
「中学でもバスケ部だったんでしょ? きっかけは?」
そう問われて、僕は一瞬言葉に詰まってしまった。覚えてないからではない、明確な記憶のもと、僕は言葉が出なかったのだ。
「どうして……か。姉さんがやってたから、かな」
「え、お姉さんがいるんだ。いいなぁ。私一人っ子だから」
「うん。まぁね。すごい上手で憧れだったんだよ」
「いいなぁ」と笑う彼女をよそに、意表を突かれた僕は硬い表情を懸命に和らげていた。
「ねぇ、八代君はどっち方面で帰るの?」
僕が言葉に詰まったのを察知してか、それとももっと話したいと思ってくれたのか。多分後者だろう。気まずい空気は流れなかったし。
とにかく、話の方向を変える茅野に乗っかる。
「僕は東京方面」
「あ、逆だ。じゃあ駅でお別れになっちゃうね」
「そっか、残念だ」
「私も」
おどけた、明るい空気が冬の風に冷めていく。悲しそうにぽつりとつぶやく彼女に僕もまた共感したが、同時にある考えが浮かんだ。
……お膳立てしてくれているのか?
健斗に目配せされたものの徒歩十分。一度もデートを話題にしてなかった僕に最上級のトスをしてくれたのではないだろうか。バスケ的に言えばフリーになった時にくれたパス?
ともかく、僕は今しかないと思った。
躊躇い、おびえ続けた僕のほんのささやかな勇気。
桃色の頬と吸い込まれるほどきれいな瞳、赤みがかった耳、それらすべてが僕の言葉を待ってるように思えて、僕は口を開いた。
「あの、さ……来週のイブの日、予定あるかな。部活とか家族とか。そういうのなら平気なんだけど!」
ああ、やはり彼女は優しい。それに比べて僕はなんて意気地なしなのだろう。彼女の表情が、花のように明るく美しくなっていく。
そして、
「僕と、デートをしてくれませんか?」
パッと、彼女の顔がより一層色づいていた。キラキラ輝く瞳という言葉が似合うほどに喜ぶ彼女に、僕は深く恋していく。
「……はい!」
二学期の終わりが近づきそして、新たな恋のつぼみが開く。
そして――。
「ただいま。父さん母さん」
明るい調子で家族のいるダイニングキッチンに顔をのぞかせる。手料理のかぐわしい香りを楽しみ、僕は自室に荷物を置いてからキッチンの奥へ進む。
声の調子は良かったのに。表情も明るくみえたのに。歩みを深めるたびに沈んでいくこの気持ちは、きっとこの先何年たっても変わることはないのだろうと悲しくなる。
だから、
「……ただいま、姉さん」
あの日から二年。
仏壇の前で正座した僕は、僕と同い年となってしまった写真の中の女性――
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