高校一年生~ぬばまたの夜に君の手を~編
第5話「相談と決断」
部活の休憩時間、体育館外の蛇口をひねり、水で喉を潤す。うちの高校のバスケ部は実力があり、きつい練習には半年以上たった今でもこの汗の量だ。
この際服を脱いで全裸で水を浴びたいものだが、変質者に思われたくはないので我慢。
冬風に湯冷めするどころか、むしろ外気と体温の温度差で体から湯気が出ている。
「あ、やばいタオル忘れた」
「ほら、お疲れ。なんか今日動き良かったな」
「大智か……あ、サンキュ」
投げられたタオルを受け取り、顔にこすりつける。にじみ出る汗がタオルに吸収されていく様を直に体感し、顔を離す。
大智も水を飲みに来たようだが、やはり汗の量から僕と比にならない。練習中ずっと走っている姿しか見ないのも、彼がスタメンに選ばれる理由としては十分だと思う。
三年生が引退し、一二年生での練習において、一年生を引っ張ってくのは間違いなくこいつだ。
秋にあったウインターカップ(WC)予選大会。東京は二校出場できるのだが、全国常連の興嶽高校に敗北。泉徳時高校に惜しくも惜敗。僕らのウインターカップは、全国の切符を掴むことができずに終わった。
先輩たちは僕らを前に涙を見せることはなかったが、目尻が赤くなっていた。追及するなんて無粋な真似はしない。ただ、次のWCは、絶対に全国へ進もうと誓った。まずは当然、一月の新人大会だが。
「そうか? 黛先輩から絞られたからかな」
「それは前からだろ。PG(ポイントガード)の黛先輩がお前を機にかけまくってるのは面白いけどな。スタメンとられるとは思われてないってことだぞ」
大智からの注意喚起を受け、自覚している感情を再確認する。黛先輩は上手い。能力の高さは当然として、精神的支柱の役割もはたしているからだろう。
「だったら黛先輩よりうまいと思われるところをなんかしら見せないとな」
「スタメン枠で待ってるぜ」
余裕綽々の表情で笑う大智により一層奮起することを誓う。とにかく、今日の動きは先輩たちと何度も練習を繰り返したからだろう。僕も、それを実感し他人からもわかるほど成長しているということだ。
「いや、どうせ茅野だろ?」
お互いの意思を結束したところで、後ろから肩を組まれ驚く。それと同時に汗が絡み合う何とも言えない不快感が相まって、僕ら三人は反射的に飛び退いた。
「ってなんだ。健斗か。てか何。いつから話聞いてた」
「ケン……それやめろって。部活中は。いや、待ってくれ。また茅野さんと何かあったのか!?」
驚いた表情で首を九十度僕のほうに向ける大智に健斗は楽しそうに笑う。大方その通りなので、僕も否定はできない。せっかく部活中はみんな集中してるおかげでからかわれなかったのに、この休憩時間でさえ道楽の餌食となるのか。
「帰るんだろ? はぁ、これからさみしくなるねぇ」
「声に気持ち籠ってなさすぎだよ」
思ってもなさそうな冷やかしは雑に対処するが、大智のほうは、
「おいおい……茅野さんと付き合ってすぐに帰れるとか女慣れしすぎだろ」
うん、僕も恋愛についてはからきしだが、大智のこの純情さには敵わない。むしろ少し心配になるくらいだ。中学時代からずっと同じ人を好きでい続けているその忍耐力や好意に気付かない鈍感さも、彼の魅力といえば魅力なのだが。
「いや、誘われたんだろ。多分こいつ茅野の言うことなんでもはいって答えるだろうし」
「いや、僕が誘ったから」
小馬鹿にされてるようで言葉を返してから後悔する。背筋がゾクゾクする原因は、果たして今吹いた風のせいか。はたまた目の前の男のせいか。
また健斗はおもちゃを見つけた子供――それより質の悪い顔で僕の顔を覗き込む。
「え、まさか康幸君自分から誘ったの? えー嘘かっこいいー」
「僕が悪かったからその顔やめてくれ。水かけるよ」
冗談半分で蛇口をひねって脅す僕に、健斗も冗談半分で静止をかける。しかし、鈍感王の大智は僕を見て感心した表情だ。からかいに来ないのはありがたいが、これはこれで対処に困る。
「ヤスはすごいなやっぱり……」
「これはそろそろいい加減大智も椎名に告白するべきじゃないか?」
「い、いや! 椎名さんとは別にまだそんなに」
「見ろ、康幸。これが俺の目から見た、お前らの関係だ」
「あー、見てる側はいい気分だわ」
僕と健斗はニヤついた表情でお互いに頷く。大智と椎名の関係が両片思いな分、余計に変な心配をせずに見てられる関係だ。なるほど、健斗の言うことが少しわかる気がする。
「ひどいなヤスも……大体、椎名は今バレーに夢中で俺なんか眼中にないだろうよ」
「お前あんな感じ」
「嘘……さすがにこんなにひどくはないだろ……」
「さっきからなんなんだよ本当に!」
ついに僕から位置を奪った大智が蛇口をひねり指で僕らを水で狙ってきた。顔面にもろに食らった僕は堪らず仰け反り、健斗は鼻に入ったようでせき込んで悶絶。一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図の完成だ。明るい部活動はどこへやら。大智は高らかに大笑いする。
「ごほっ、げほっ……ああ、でもそうか。康幸にいろいろ先越されたな。クリスマスデートとか。初デートがクリスマスってどうなのよ」
「え」
タオルで二度目の顔洗いをしているところにいきなりわき腹を小突かれ、声にならない声を上げる。クリスマス……デートとは……?
「は? おい来週クリスマスだぞなにやってんだ。茅野絶対期待してたぞ」
「いや、デートって……いきなり過ぎない?」
付き合えたという達成感から正直完全に頭から抜け落ちていたのだが、それはそれとして早すぎるだろう。付き合って一週間、それもクリスマスというのはハードルが高すぎるのではないか。もう少し時期を見て、落ち着いてからのほうが……。
心の中でも言い訳を続ける僕に、あきれ返ったような健斗はわかりやすく大きなため息を漏らす。
「大智、どう思う? こいつ」
「うん、ひどいね」
「ちょっと大智?」
恋愛能力ゼロの大智が深く頷くものだから僕は思わずツッコんだ。健斗はともかく大智は僕と同レベルだろう。なぜ結託して僕が受け手に回っている。
「思い切っていけよ。クリスマスとか、彼女もちにだけ許されたイベントなんだぜ?」
「いや……いきなりすぎるでしょ。それに今はウインターカップの全国大会や新人戦もあるのに」
恥ずかしさを誤魔化すように、言い訳をまくしたてる僕に今度は大智がため息をつく。
「大智さん言ってやってくださいよ!」
「なんでケンはそんな子分っぽいんだよ。まぁいいや。ヤスにも言ったけど、今日調子よかっただろ? 茅野さんはきっと喜ぶだろうし、お前はお前でそうしたほうが練習にも熱が入りそうだし」
「けどそうは言ったて恋愛にうつつ抜かして部活に全力とうきゅ――あだぁ!?」
下を向いて否定ばかりする僕の額に、衝撃と痛みが鮮烈に走る。勢いに額を抑え正面を見ると、大智が手刀を僕のほうに向けていた。僕があまりにも弱気だったので、我慢できなくなったらしい。
「うじうじうじうじ赤ちゃんかお前。早口になるのはなんなんだ」
「ほんと、小学生でも聞き分けがいいぜ?」
続けざまにチョップをくらわされ、僕はもみくちゃにされる。髪はぐしゃぐしゃにされ、健斗には三回チョップをくらわされた気がする。
「両方頑張ろうって思えよ」
「どうせいけなかったらいけなかったで辛気臭く言い訳するだろうしな」
「それな。そんなこと言ってもバスケで俺には勝てねぇよ」
そのたくましい巨腕から生まれる力こぶを見せびらかし、大智は僕の背を押す。力が強くて痛いのだが、不思議と不快感はない。それどころか勇気づけられる。
「ほんとほんと。それにお前このチャンス逃したらずっと引きずるだろうし」
「ここで宣言しとけって。僕は茅野をデートに誘いますって」
「……わかった。帰り道、デートに誘うよ」
「よく言った」と二人が僕にハイタッチを求めるのでそれに応じる。快音が鳴り、照れくささに面と向かって感謝を伝えきれず、僕は「助かった」とだけしか言えない。
「素直じゃないなぁ」
「そういう子だし」
「子ども扱いかよ」
「違ぇのか?」
「……その通りです」
感謝をちゃんと伝えきれない僕に要求するわけでもなく、茶化す程度の健斗とあやすような大智。大智は身長が180cm以上もあるセンター(C)を担当する男なので僕より全体的に一回り大きいのだが、それでも同い年だ。
だからこそ健斗はこうつぶやく。
「大智がお父さんっぽいんだよな」
「うぶなお父さんってなにさ」
「知らね」
自分から振った話を強引に切り、からからと笑う健斗に、お父さんっぽいという評価に不服そうな大智。
こうしてみるとふざけて馬鹿なことをする奴らなのだが、いろいろなことで救われすぎた。いつか何かで恩返しをしようと思う。
「あぁ! お前らここにいたか。早く戻って来いよ! 練習再開するぞ!」
「おお、裕大。今行く今行く」
スマホで確認したら、休憩時間の終わりぎりぎりだ。わざわざ知らせに来てくれたというのか。
「裕大サンキュ。すぐ行くわ」
タオルを丸め、体育館まで走る僕らだが、いきなり健斗が止まって、
「あぁ!!」
「どうした?」
「もしかしてこのままだと初詣も康幸いない!?」
上半身を半回転して指さす健斗に「可能なら」とだけ僕は返す。高いハードルだなとは思うけど、もしもデートに誘えたら初詣にも誘えるんじゃないだろうか。
全部が全部希望的観測で、まだ僕は滑り止めはおろか受験も受けてないようなものだ。それでも、目標は高いほうがいいだろう。
しぶしぶおしきられた形に見えるが、彼らの言葉のおかげで決心したのは事実だし、それなら次は僕自身でしっかりと彼女を誘うべきだろう。
「寂しくなるねぇ」
「はぁ、しょーがない、裕大たちで我慢してやるか」
子との別れを惜しむお父さんのような大智と、捨て台詞のように言葉を吐き捨てる健斗。ただ、二人の表情は確かにほころんでいた。
僕は、こいつらがいてくれてよかったと、心の底から思った。
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