第70話 ちょうだい。
このクソみたいな地獄に落ちて、何日経っただろうか。
「…………今日はここで休むよ。みんな、頑張ったね」
まだギリギリ、限界まであと少し、私たちは正気を保ったまま巣窟を進めていた。
幸いだったのは、レイフログでポーチを解禁していた事と、バカンス中に大量の海鮮を買い漁っていたこと。
おかげでゲーム時代からポーチに入れっぱなしの、味気ない携行食にだけ頼る行軍みたいな生活を避けられた。
「《コキュートス》」
私はこの巣窟に落ちてから新しく組んだ、比較的使わないバフの枠と交換してショートカットに登録した四十八節の座標指定氷魔法を使って、私たちが今入って来た広間の入口を塞いだ。
そうやってある程度の安全を確保した私は、みんなを休ませるべく動き出す。休む暇など無い。
「よーし、じゃぁ今日は何食べようか? 魚はもう飽きただろうけど、我慢してね?」
人は、暗い閉鎖空間に長時間居ると、壊れてしまう生物だ。
これは厳しい訓練をしても、壊れるまでの期間が長くなるだけで根本的な解決が出来ない。人が人という生物として持ってるどうしようも無い性質である。
ましてや、ここに居るのは全員が十歳以下の子供なのだ。もはや体感で何日過ぎたのかも分からない場所で、未だに正気を保っていられる方が奇跡なんだ。
「……ノンちゃん、むりしないで」
「ふふ、ありがとルルちゃん。でもごめんね、そのお願いは聞いてあげられない」
私が無理をしないと誰かが死ぬ。というかみんな死ぬ。
子供たちが少しでも安心できるように振る舞って、休ませて、可能なら笑わせて、そして全ての負担を私が背負う。
入口を凍らせたと言っても、見張りも無く寝れる訳じゃない。私は巣窟に落ちたあの日から、ただの一睡もしてない。
何も憂いのない戦闘なら簡単にこなせるけど、連れてる子供たちは魔物の攻撃が掠っただけで死ぬ。……どころか、魔物の吐息だけで死にそうな、か弱い子供たちなんだ。
そんな儚い存在を連れたままの戦闘は、私の精神をゴリゴリ削っていく。
落ちた階層も悪かった。千三百以降の階層は魔境なのだ。
私なら、油断せずにちゃんと戦えば、普通に勝てる。
だけど、逆に言うと油断してる私なら殺せる魔物しか周りに居ない。
深度千四百の私を、到達者で二つ名持ちで、ジワルドでランカーだった私を殺しうる、そんな存在が居る場所なんだ。
この場所で、私一人で、魔物の吐息で弾けそうなシャボン玉を無傷で守りながら戦う。そんなの、いくら私だってさすがに骨が折れる。
この場合の骨が折れるって表現は、比喩じゃなくて物理も含む。攻撃特化に育てた「ののん」の体はこの場所では存外に脆く、普通なら余裕で避けられる攻撃でも場合によっては、子供たちを守るために私が肉壁になる必要があったのだ。
もう何回、回復魔法を使ったか分からない。魔力節約にポーチからMPポーションとか出したの、凄い久しぶりだよ全く。
「今日はお魚のフライでーす。パンに挟んで食べてね。さぁみんな、取りに来てー」
神経をゴリゴリ削りながら、睡眠も取れずに回復が追い付かない中で、子供たちを不安にさせないように強気で、そして優しく振る舞い、こうして精神を保つ為に料理までする。
正直に言おう。限界が近い。
でも、限界が近いのは私より子供たちだ。
今も私が無理してるのを何となく理解してるのか、みんなも出来るだけ笑顔を見せようとして無理に笑ってる。
病は気からというけれど、限度がある。
このままだと、遠くない内に破綻する。ポーチにマトモな生鮮食品としてレイフログで買ったお魚が無かったら、みんなの数少ない楽しみを提供出来てなかったら、今頃誰か狂って死んでた。
そして一人死ねば、ダムが決壊するが如く狂気は連鎖して、芋づる式に子供たちは死ぬんだろう。
いやぁ、キッつい。キッついよぉコレ……。
せめて、せめてウィニーを呼ばせてくれぇえ…………。
ウィニーさえ呼べたら、分身して子供たち一人一人に護衛を付けられるし、小さくて可愛いからみんなの癒しになるだろうし、ウィニーの持つポーチスキルで黒猫荘から食料を持ってこれる。
マジで今の私に何より必要なのはウィニーだよ。頼むからウィニーを呼ばせて欲しい。どうか私を助けてくれ……。
「……先生、少し休まれた方がっ」
「いやぁ、無理でしょう。みんなの命を使った賭け事なんて、私には出来ないよ」
「有事の際は、ちゃんと起こしますから」
「無理無理。ミハくん達じゃ反応速度が足りない」
この一団で一番年長の、ミハイリクさん改めミハくんは、それでも私たちと一歳しか変わらない。生まれた月も含めて二年生の中でも一番上ってだけなんだ。
それでも年長として振る舞おうとする彼の心意気は買うけどね。でももし、氷を叩き割って魔物が中に入ってきたら、私を起こす前にみんな死ぬ。この階層に居る魔物の速度に、子供たちは反応すら出来ない。敵が動いた瞬間すら理解できないだろう。
階層千三百に深度一桁が居るって、そう言う世界なんだよね。
ちなみに、ミハくんの呼び方は今日まで巣窟で過ごす中で、長いと有事の際に呼びずらいからって縮めさせて貰った。
その時、せっかくだから敬語も要らないと彼が言うので、ミハさんでは無くミハくんになり、喋り方もこうなった。
ふふ、私が怒らずに敬語を外すのはレアなんだぞミハくん。光栄に思い給えよ?
「ノノンさん、いまどれくらいなの?」
「恐らく千三百のボスだって思う部屋を越えて、二階層登ったから、……千二百と九十八階層だね」
幸運な事にソロ殺しじゃなかった千三百のボスを越えて二階層。その前に落ちた階層から三階層登ってて、今はあの場所から計五階層ほど移動して来た計算だ。
大人の足ならまだしも、全員体力も無ければ歩幅も小さい子供しか居ないこの一団。ここまで来るだけでも相当に大変だった。
上に行けば行くほど魔物が弱くなるとは言え、なんの気休めにもならない。
だって、みんな深度一桁なんだもん。最悪一階層ですら死ぬからね。そんな儚い子供たちにとって、どれだけ先へ進んでも即死の危険は無くならないのだ。
……マジなんなんだこのクソゲー。護衛ミッションは誰も喜ばないって言ってるだろ運営莫迦野郎。
せめて、この先ランダムポップのセーフティエリアを見つけないと、確実に詰むよ。
「じゃぁみんな、食べ終わったらゆっくり休んでね。怖いだろうけど、帰るためにちゃんと寝て、しっかり回復してね」
ポーチから毛布を配ってみんなを寝かせる。
元々そんなもの入ってなかったけど、今まで倒して来た魔物のドロップや、ポーチに入れっぱなしだった素材を使って縫い上げた即席毛布だ。命には替えられないと、もう二度と手に入らないかも知れないユニコーンシルクとかも大量投入した逸品なので、肌触りは一級品だよ。
「…………あのっ」
「ん、どうしたの?」
今まで守り続けてきた実績が信頼になり、みんな素直に私の言うことを聞いてくれるようになった。
地上に帰るために、素直に睡眠を取り始める子供たちの中から、一人が私の傍にきて袖を引いた。
この子の名前は、タユナ・フリーデンス。貴族の女の子だ。
「…………ありがとっ、ね」
「……ふふ、うん。タユナちゃんも、わざわざありがとね。元気出たよ」
「うんっ」
私はタユナちゃんの頭を撫でると、そのまま寝れるように傍に居てあげる。
うん、もうちょっと頑張れそうだ。
「……で、ルルちゃんは寝れない?」
「…………ノンちゃん、アレちょうだい」
私の背後で横になってる愛しい兎が、なかなか寝付かない気配を私は感じてた。気になって声をかけると、暗い声でそう言われる。
ルルちゃんは毛布から手を出して、私に何かを要求している。
何が欲しいのだろうか。ルルちゃんの要求なら大体二つ返事であげちゃうけど。
「……あのお薬。つよくなるやつ」
「………………経験値薬のこと?」
「そう、それ」
「ダメだよ」
ごめんやっぱ二つ返事は無理だわ。
確かに、私がルルちゃんやミハくんに経験値薬を飲ませれば、事態は多少好転する。だけどそれは聞けない。聞く気は無い。
「ちょうだい」
「ダメだって。どうしたのルルちゃん」
「だって、ノンちゃんが辛いんだもん…………」
「良いんだよ。私はルルちゃん達を守れれば、それでいいの。労ってくれるなら、地上に帰った後にいっぱい私とイチャイチャしてね?」
「………………お薬、ちょうだい」
見つめ合うことは無く、ルルちゃんに背中を向けたままの状態で、タユナちゃんの頭を撫でながら私は笑う。だけどルルちゃんはそれを無視して、私の脇からにゅっと手を伸ばして要求を続けた。
どうしたんだろう。いつも聞き分けの良いルルちゃんが、いつに無く頑なだ。
「だーめ。いくらお願いされても出しません」
「おねがい」
私が経験値薬を渡さないのは、色々と理由がある。
まず、ほぼ意味が無いから。
私の有り余った余剰経験値を蓄積した薬を全部使えば、恐らく誰か一人に絞って深度を千近く上げられる。もしかしたら千二百は行くかもしれない。そしたら多少、事態は好転するだろう。
だけど、それだけだ。多少好転するだけ。解決はしない。
せいぜい、私が寝てる間に私を起こす役目が出来るくらいで、その他には何も出来ない。一人だけ歩く速度が上がって疲れなくなり、即死しなくなる程度の変化しかない。
それにレベルをただ上げればステータスも爆増する訳じゃない。成長値って数値が有り、ステータスとはレベルかける成長値で算出される。そして成長値は凄まじい訓練の先に伸びるのも。
子供達のレベルを上げたって、大した戦力にならない。
それだけでも十分かも知れないが、むしろ私的には足並みが一人だけズレる方が怖い。
深度が突然千二百まで上がったからって、それだけじゃ大して戦力にならない。戦い方を知らないステータスお化けなんて、肉壁にしかならない。
魔力も欠片も増えるけど、魔法の使い方をロクに知らない初心者。この辺の魔物の攻撃的モーションも、属性も特性も知らなければ、攻撃の当て方も避け方も知らない、武術の素人。
戦闘スキルもロクに無い、ゲーム的な戦いすら出来ない一般人。
なのに、下手に力だけ増えて強気になる。他の子と足並みがズレる。
厄介だ。大いに厄介だ。
それに、そんな深度になった後の人生の責任なんて、私には取れない。
「……おねがいノンちゃん」
「だーめ。私はルルちゃんを戦わせたくないの」
「あたしも、ノンちゃんが無理するの嫌だもん」
「しょうがないの。無理した分、あとでいっぱい癒してね?」
「………………嫌だもん」
いくら言われても、泣かれても、渡せないよ。
深度千二百になったルルちゃんの人生に、責任が取れない。
そうなったら、私はシェノッテさんになんて言えばいいの? パパおじさんに何を言うの?
ルルちゃんを心から愛して可愛がってる二人の親に、お宅の娘さんをバケモノにしちゃいましたっ、テヘペロ☆ って言えばいい?
嫌だよ。無理だよ。
そんな、私を両親から奪った地震みたいな真似、自分でやりたくない。
「…………おねがぃ」
「ダメだったら。もう、ルルちゃんは私に守られるの嫌なの?」
「いやだもん。ノンちゃんだけ傷つくの、いやだもん……」
「……もう、ルルちゃんは可愛いなぁ」
背中越しに聞こえる、湿った声が胸に染みる。
大丈夫。この子のためなら命を張れる。この世界で初めて私に、優しく笑いかけてくれたこの子のためなら、私はいくらでもこの命を使えるよ。この程度の無茶なんて笑って押し通せる。
「…………なんで、だめなの?」
「聞きたい?」
「……うん」
「あれは強くなるお薬じゃなくて、力を手に入れるだけのお薬だからだよ」
「…………どう違うの?」
「力があっても、使い方を知らないと戦えないでしょ? それは強くなったとは言わないの」
「…………あたしも、ミハくんみたいに魔法つかえたら、よかった?」
「だめだめ。あの程度じゃ足りないよ」
ああ、違う。そうじゃないのか。
ルルちゃんは、いやルルちゃんも、たぶんきっと、不安なんだよね。
きっと、何かしたいんだ。何でも良いんだ。じゃないと、不安に押しつぶされそうなんだ。
「それにさ、ルルちゃん、深度千二百になったら、シェノッテさんたちになんて言うの? そんなに急に力が増して、シェノッテさんの手を握り潰したり、お家壊しちゃうかも知れないよ?」
「…………やだぁ」
「でしょう? ほら、私も良く怒って暴走するじゃない? あんな時にさ、ここに居る魔物みたいな力で怒っちゃったら、大変な事になるでしょう?」
「……うん。でもっ」
ルルちゃんの不安は、私の責任だ。
その心を含めて守れなかった、私の怠慢。
だから、そう。今は安心して眠れるように、ルルちゃんとのお喋りに付き合おう。
「それでも、いいから……」
「良くないの。私が嫌だもん。ルルちゃんがシェノッテさんやパパおじさんのお手々潰したりするの、見たくないよ」
「……だいじょうぶだもん」
「私が責任取れないもん。シェノッテさんたちのところに、ルルちゃんを無事に返すのが私の仕事なの」
「…………じゃぁ、かえらないもん。ノンちゃんとずっと、いっしょに居るもん」
「ふふ、何それ。
「……じゃぁ、けっこんするもん。あたし、ノンちゃんとけっこんするもん」
「えマジでホントにござるかっ? ………じゃなくてぇっ」
あぶねぇ! 一瞬で理性が持っていかれる所だった!
お、お嫁さんっ、ルルちゃんがお嫁さんッッ……!
白銀のうさ耳幼女なルルちゃんに絶対ウェディングドレスとか似合うじゃん最高じゃん可愛いじゃん。ああダメダメそんなの耐えられませんっ、ルルちゃんとの初夜が盛り上がっちゃうよグヘヘヘヘ…………。
え待って見たい見たいウェディングドレスのルルちゃん超見たい。
…………ふふ、だがしかし、甘いよルルちゃん。
別に結婚しなくても、ウェディングドレス作って着せちゃえば良いだけだよ。うん、正気に戻れ私。八歳の女の子と初夜とかお巡りさん案件だよ。幼女の純潔は法と倫理に守られた難攻不落の要塞であるべきだよ。
いくら私がルルちゃん大好きロリコン幼女だとしても、さすがにこの状況では流されないよ!
「……ノンちゃん、けっこんしよ?」
「ッッッんん……!」
ながっ、されないぞ…………!
「……だめ?」
「ちょっと待ってホントに待って攻撃力やばいからそれ!」
さっさと地上に帰らないと、私この攻撃に耐え続ける自信無いぞ……。
なんか、こう。間違いを犯しそうだ。
八歳の女の子の純潔散らしそうで理性がヤバい。シェノッテさんに殺される……!
「ほら、もう寝よう? 寝ないとチューしちゃうぞ?」
「…………いいよ? ちゅー、する?」
シェノッテさんに、殺される…………!
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