第52話 箱貸し宿。



「…………えっ!? の、ノノンさんたち、あっちの輝ける雌鳥めんどり亭じゃないの!?」

「ええ。私たちはアッチの泥炭の黒豚亭に泊まります」


 カレーも食べて元気いっぱい。そんな私たちがその日のちょっと早い夕方頃に辿り着いたのは宿場町。

 駿馬で急げばその日のうちに、駄馬でも一日半から二日で王都から来れる絶妙な位置にあるそこは、お隣の街と王都を繋ぐために作られた旅人の為の場所だった。

 王都に近い宿場町なので、当然貴族の移動も多く、それに見合う宿も存在する。

 私の財力は言わずもがな。ルルちゃんだって半獣であることを除けば高級宿の一人娘って肩書きで、アルペちゃんとクルリちゃんも冷遇されてるとは言え豪商の娘である。

 ネネちゃんは孤児院出身だけど、このグループのメンバーはその背後にお金の山が見え隠れするメンツなのだ。


「そっ、そんな…………」


 だから、ハル何とか王子は思ったんだろう。

 私たちは当たり前のごとく一番高い宿を使うのだと。

 宿場町に入る列に並び始めた頃に、何やら貴族キッズが街に走って行くと思ったら、どうやら先触れを出して高級宿に当日予約を入れてたみたいだ。

 しかし私たちは全然違う宿を利用する。高級宿どころか場末と言って差し支えない箱貸し宿に泊まるのだから、私にしゅきしゅきアッピルしたいハル何とか王子の反応も頷けようものだ。


 ははっ、ワロス。


 何やらモニョモニョとなにか言いたそうにするハル何とか王子と、その後ろで私を睨んでる取り巻きに会釈をして距離をとる。


「あっ、ノノンさん……」

「では、そんな訳なので。明日は昼前の鐘で出発しますので、それまでに反対の門で合流しましょう」


 言いたいことを言って、失礼しますとその場を離れた。

 明日から二日ほどは街に寄らない旅程になってる。だから昼までゆっくり休んでから出発する予定だ。

 町を経由していくルートなら、町から町へと移動するのに日暮れを警戒して朝早くに出発するのがセオリーだけど、日暮れまでに宿まで辿り着けない予定なら別に朝早く出る必要は無い。

 それにベガ馬車の速度は通常の馬車よりずっと早いので、多少ゆっくり出ても巻き返せる。

 いや、本当なら私たちも普通に隣街を目指すルートで朝早く出るべきなんだけど、私たちが企画した旅程だとここから安全な回り道などは減らして、レイフログ方面になるべく真っ直ぐ向うルートを選んだのだ。

 なので数日の野営は確実。

 と言うか、お泊まりキャンプが楽しかった四人がどうしても野営がしたいと言って聞かないので、わざわざ色々と理由を考えて野営出来るルートを構築して学園に提出したのだ。


『都外修学とはその旅程に経験する日常さえも学びであり、我々学徒は普段経験が出来ない事柄に対して積極的であるべきだと思われる。それこそが都外修学に臨む我々学徒がとるべき姿勢だと確信して止まない。ならば、あえて厳しい環境で野営を経験するのも学びであり、これからの人生において糧になると断言出来る。しかし我らは学園に入ったばかりの幼子であり、その身で野営を経験するのならば、体力が有り余っている旅程の序盤でなければ、必要以上の危険と過酷が予想される。よって、我々はこのような道筋を--……』


 とか長々とご高説を書き上げて、レイフログまでの最短を行く計画を学園に提出。

 その時、もちろん無茶が過ぎたり危険に対して考慮されてない計画書だとボツを食らうのだけど、金等級探索者ゴールドシーカーたるレーニャさんを護衛として雇った事と、執拗いくらいの安全管理を訴えかけまくった私の計画書によって、今回の企画は通ったのだ。


 そして、私は計画書に宿なんて書いてない。


 ふははっ、書かないよ莫迦野郎。

 誰が王族ハッピーセットが着いてくるって分かってるのに、根回しとかされそうな宿とかを予め教えるかって。

 一緒に旅がしたいって理由で手のひら返したミナちゃんは信用出来ないし、私にしゅきしゅきアッピルしたいハル何とかはそもそも論外。筋肉さんはマシになってきたけど、初対面がアレだったからまだ分からない。

 そんな状況で、取り巻きの貴族まで居る中で、半獣が三人も居るメンツで同じ宿に泊まる???

 

「有り得ないよねぇ〜」


 そんな訳で、夕方の当日であろうと宿を取れるくらいに場末で、程々に薄汚い箱貸し宿に私たちは突撃した。

 ここは泥炭の黒豚亭。

 場末で、汚く、利用客も少ない。質の悪い宿に分類されるだろうここは、それでも集めた情報でだと分かっている。


「………………ぁん? ガキぃ?」

「どうも。部屋は空いてますか?」


 薄汚れた二階建ての木造建築。

 その開きっぱなしの入口を潜ると、すぐ右手に付け台カウンターがあり、そこにはヤル気が欠片も感じられない髭面のオジサンが居た。

 私は冷やかしだと追い出させる前に、オジサンに向けて銀貨を一枚弾いて渡した。


「……ッッッ!?」

「釣り銭は要りません。お部屋の鍵を頂けますか?」

「まっ、ちょっと待ってや!」


 すんなり通るかと思ったけど、オジサンは目を剥きながらもカウンターから飛び出してきて、私に視線を合わせるようにしゃがんでくれた。


「ここは箱貸し宿っつぅ、場末のねぐらだぜ? 嬢ちゃんみてぇなガキが来るとこじゃねぇ。金があるのは分かったから、この金でもっと良いとこ行きやがれ。な?」


 む、この人普通にいい人では?

 銀貨を得られる機会を棒に振ってまで、私たちを諭して安全な場所に追いやろうとしてる。マジでいい人なのでは?

 ふむ。情報通りか。


「いえ、私たちはここが箱貸し宿だとわかった上で来ました。人から情報を集めて、泥炭の黒豚亭が良いと思ったからここに来たんです」


 このお宿は、建物は大きいけど薄汚れてて、立地も微妙で客層もだ。

 だけど、この宿の管理人がある程度のマナーには煩く、食堂で裸になって体を拭いたり、酒を持ち込んで酔って暴れたり、そう言った問題を腕っ節でシャットアウトしてる宿なのだ。


「はぁ? なんだってウチなんか……」

「商人さんに聞いたんです。自分で料理が出来る宿で、食堂を綺麗に使える箱貸し宿を知りませんかって。そうしたら黒豚亭の名前ばかりが出るんです」


 基本的に、箱貸し宿は治安が悪い。

 ほとんどの場合、食堂はキッチンの役目を果たしてないし、持ち込みのお酒とツマミでならず者が日々宴会を開いてるような場所で、うるさ過ぎて宿泊客は普通に寝ることさえ難しい。そんな場所だ。

 だけど、この宿は食堂で暴れる莫迦を宿のご主人がぶん殴って黙らせるし、食堂で体を拭き始める莫迦も「汚ぇもん出してんじゃねぇ」ってぶん殴る。

 そんな訳で、箱貸し宿の中ではピカイチで治安が良い。そんな情報がたくさん集まった。


「なので、ここがいいんです」

「…………チッ! だとしても、銀貨はやり過ぎだ。こんなデケェの、釣り銭も出せねぇよ。コッチは返すからちゃんと半銅貨を寄越せや」


 ご主人に滔々と説明して、なんとかお部屋ゲットだぜ。

 ここは一人部屋が一泊賎貨十枚、五人部屋が一泊半銅貨となってる。

 私たちは確かに五人だけど、小さい子供なので二人部屋か三人部屋で十分なんだ。

 だけど、黒豚亭には一人部屋と五人部屋しか無いらしい。まぁ広い分には文句も無いよね?


「ふんっ、まぁウチに文句がねぇなら、金さえ払えば嬢ちゃんらも客には違いねぇ。だが食堂では騒ぐんじゃねぇぞ? 騒いだらガキでも殴って黙らせるからな。それがウチの流儀だ」

「はい。分かりました」


 私とご主人のやり取りを見てた幼女四人は、ちゃんと泊まれる事を理解して小声でワイワイしはじめた。可愛い。

 鍵を受け取った私はご主人にお礼を言ってから皆と部屋に向かう。

 ちなみに、馬車と荷車は宿場町の入口付近にある預かり所に任せてあるし、ベガとポチ達も同様だ。調教師向けの施設もあって助かる。

 レーニャさんは積荷の護衛もあるので別行動だけど、夕食時にはこっちに合流する。箱貸し宿はその辺ゆるいので、宿泊客のお客が訳知り顔で食堂まで来ても文句は言われない。

 黒豚亭のルールは食堂で暴れない。それ以外は場末と呼ばれるに相応しい無法地帯だ。


「ほ、本当になにも言われなかったぁ」

「びっくりだねぇ」


 アルペちゃんとクルリちゃんがひそひそとそう言う。

 それは半獣の姿で対応した私に、宿のご主人が普通に対応した事に対する言葉。

 つまり、半獣に対しての迫害が思ったより少ない事に驚いてるのだ。


「言ったでしょ。ここは大丈夫だって」


 私はビッカさんに聞いたことがあった。

 町から遠い農村などでは、半獣の迫害がとても少ない。と言うか半獣って存在すら知らず、獣人の一形態でしかないって認識が一般的なんだと。

 だからビッカさんも初めて会った時、半獣の姿をした私を見ても特に何も言わなかったし、ザムラさんもそう。

 そもレーニャさんはエルフだし、ケルガラの半獣蔑視なんて微塵も関係ない。

 過酷な肉体労働をこなす農村は、そこが寂れて居れば居るほど、肉体的な即戦力を欲している。だから『獣人以下の膂力や身体能力しか無い半獣』だとしても、『技人よりも力があってたくさん働ける』なら半獣だろうと即戦力なのだ。わざわざ獣人と半獣を分けて迫害するほど、農村は暇じゃない。

 そんな場所で育った獣人たちも長い世代交代を繰り返せば常識が刷新され、半獣に対する蔑視なんて無くなる。

 ケルガラという国で半獣が迫害されるのは、あくまでも都会の話しなのだ。


「ここのご主人は辺境の農村から出て来た人だから、そもそも半獣って言葉に馴染みが無いの」


 宿の階段を登って部屋をめざしながら、私は手に入れた情報を再度、可愛い双子に向かって口にした。


「ノンちゃん、そんなことより今日のゆうげはなんですかっ!」

「ふふ、どうしよっか。わりと時間に余裕が出来ちゃったし、馬車と荷車から食材持って来て、それから考えよっか?」


 ルルちゃんがシュピッと手を挙げて夕餉の催促。

 私はカツ丼でも作ろうと思ってたけど、お昼にアレだけ食べまくったこの子達はガッツリしたカツ丼を食べ切れるだろうか?


「たのしみぃー!」

「ノノ姉様のお料理すきぃ」

「ノノ姉様すきぃ」

「…………ネネ、太らないか心配なの」


 ふふん、ぷにっぷににしてやんよ。

 幼女はぽてぽてしてるくらいで丁度いいんだよぉ!


「さて。じゃぁお料理しますかねぇ〜」


 ◇


 荷物の護衛をしてるレーニャさんは、やっぱりお肉が苦手なので結構な頻度で別メニューを作る必要がある。

 本当なら荷物より私たちの護衛としてコッチに居るべきなんだけど、ぶっちゃけコッチには私が居るからね。問題ないんだよね。

 なので、食材などを取りに行った時に相談した結果、レーニャさんは別に料理を作って後で届ける事になった。


「ふむ。よし、幼女組はカツ丼で、レーニャさんは野菜の天ぷらを使った天丼にしよう」


 食材と道具を持って黒豚亭のくりや、キッチンに来た私は、幼女らしい身長でも料理が出来るように持って来た組立式の台座を用意した。


「……んぉ? なんかちびっ子がいるぞ」

「はん? ぅおホントじゃねぇか」

「何してんだあれ?」


 キッチンは食堂にそのままくっ付いてるので、私が料理を始めれば食堂で酒盛りをしてる宿泊客にも見られてしまう。

 簡単に図解すると、四角い部屋にテーブルと椅子を乱雑に並べた食堂の一角、壁にズラっと調理台と窯と排水台が五セットくらい並んでる感じだ。

 私は見られてることも気にせず、部屋の隅にある調理台セットに陣取って台座を組み立て、食材と包丁やクッカーなどの料理道具を台に並べた。魔法コンロなども持って来てある。


「《水よ》《湧け》」


 調理場にある水瓶からは使わず、魔法によって自前の水をクッカーの一つに用意して手を洗う。


「あ、ノノンさん、ネネも手伝うの!」


 料理の準備をしてると、食堂の入口からネネちゃんがやって来た。


「あぁネネちゃん、ありがと。じゃぁご主人に言って薪を貰ってきてくれる? お金は持ってるよね?」

「もちろんなの! ここは安宿だから薪は別料金なの?」

「まぁ、薪も高いからねぇ。料金に含めたら赤字でしょうよ。…………ところで、他の子は?」

「疲れて寝てるの!」

「なるほど。……まぁ料理が出来るまでは寝かせとこうか」


 ネネちゃんはすぐに宿の入口でぐでーっとしているご主人から薪を買ってきてくれて、私はそれを窯に突っ込み火を入れる。

 本当なら火口ほくちなど色々と準備が要るけど、私なら太い薪に直接焚き付けできる。

 非常識な魔法は禁止したけど、今のところ二節詠唱の単純魔法しか使ってない。焚き付けも「《火よ》《灯せ》」である。

 基礎中の基礎。レーニャさんに聞いてもいわゆる生活魔法だと納得してくれる魔法しか使ってない。


「ネネは次、何すればいいの?」

「じゃぁこの、カチカチに干したパンをおろし金で粉々にしてくれる?」

「わかったのー!」


 一つの調理場に備え付けられた窯は二つ。足りないので魔法コンロも二つ持って来て調理台にセット。

 まずはお米をといで、魔法コンロ二つに大きなクッカーで炊飯。ぜったいお代わりが入ると予想して、たくさん炊く。余ったらおにぎりにでもして、オヤツにすればいい。

 焚き付けた炎が安定したら窯に底の深い鍋型クッカーをセットして油を温める。まずはトンカツを作らねばカツ丼は作れない。


「できたのー!」

「お、早いね。…………うん、粗さもいい感じ。これは美味しく出来るわ」

「ほんとなのっ!?」

「ん。とびっきりをご馳走するよ。次は……、ネネちゃんって包丁使える?」

「できるの! 孤児院でもお料理のお手伝いするの!」

「偉いねー。じゃぁこの野菜を切ってくれる? これは千切り、こっちはクシ切りで。コレとコレとコレは輪切りでお願いね」


 厚めに切った豚肉に隠し包丁を入れて火入れの助けと筋切りをする。その後フォークで刺してさらに火入れが易い加工をして、塩コショウをまぶして少し寝かす。

 そして現地で、つまり王都で買った卵を器に割る。……うん。現地の卵とか雑菌が怖すぎるから、念入りに消毒したし、生食は絶対にしない。

 カツ丼も半熟卵がトロットロ! とか絶対にやらない。サルモネラ菌が怖すぎる。しっかり火を入れて殺しきる。


「…………これは、どういう料理なの?」

「これはね、まずトンカツって料理を作ってるの。豚のお肉に小麦粉をまぶしてから溶いた卵に潜らせて、その後ネネちゃんに砕いて貰ったパンの粉、パン粉にまぶして……」


 思ったより料理が出来そうなネネちゃんが、チラチラとこちらを見ながら聞いてくる。

 私はそれに答えて料理の手順を教えながら実践して、そして白い衣を纏った豚肉を温めた油にサッと落とした。


 --ジュゥゥゥゥウウウウウウウウッッ……!


 パチパチジュウジュウと良い音が響く。

 匂いや見た目で食欲を誘う料理は数あれど、音だけで食欲を刺激する料理法なんて、揚げ物以外に私は知らない。


「揚げ物にも色々あるんだけど、トンカツの場合は一度揚げで大丈夫。ただ、たくさん作ろうとして、一度に鍋へ入れると、油の温度が一気に下がるから絶対にダメね。揚げ物は油の温度が凄い大切だから」


 ふふ、懐かしいな。

 揚げ物に手を出し始めて、唐揚げの二度揚げなんて方法を知った昔の私は、お父さんとお母さんに美味しい唐揚げを作って上げたくて、たくさん食べて欲しくて、油に大量の鶏肉を投入して、…………結果、二度揚げまでして八割が生焼けと言う惨劇が起きた。

 悲しかったし悔しかったし、調子に乗った結果お父さんとお母さんにそんな物を食べさせた自分が腹立たしくて、私は生焼けの唐揚げを前に大泣きした。

 お母さんが「こんなの、レンジでチンすれば大丈夫よ! ちゃんと食べれるから、泣かないで?」とフォローしてくれたっけ。

 お陰で唐揚げは無駄にならなかったし、ちゃんと美味しく食べれたけど、私はそれ以降、揚げ物には細心の注意を払う様になった。


「……わわわ、こんがりなのっ」

「美味しそうな色と匂いでしょ? これを見た後だと、この揚げ音さえ美味しく感じるから不思議だよね」


 カラッと揚がる小麦の匂いは反則だ。胃袋をじわじわと削ってくるような香りが漂ってくる。

 私はカレーを振る舞った今日の昼を経験して、旅のメンバーが持つ胃袋を幼女だからと侮らないことにした。ウチの幼女はめっちゃ食べる。

 だから私もお代わりを前提にお米を炊いてるし、ならばお代わり用にトンカツもたくさん揚げなければならない。

 レーニャさんは天丼にするから、私を含めた幼女五人が複数回お代わりするとして、トンカツ十五枚。……いや多いな? 多いけど、アレだけカレー食べて、みんなが寝る前に聞いたら「たくさん食べる!」と豪語してたので、これくらいは多分無くなる。

 というかコレでもちょっと不安なので、二、三枚は余分に揚げておく。


「…………ふふ、味見してみる?」

「ふぇあっ、えと、いいの?」

「お手伝いしてくれたんだから、当然の報酬だよ」


 仕事には対価を。当たり前のことだ。

 私は揚がったトンカツを一枚サクサクと切り分け、ネネちゃんの可愛いお口に一切れ放り込んだ。


「んんんん〜!」

「おいし?」

「んっ、んー! おぃひぃのぉー!」

「そか。ふふ、よかった」


 カツは揚がったので、次は天ぷらの準備だ。

 このままカツ丼を一気に仕上げてもご飯が炊けてないし、何より揚げ物に使ってる窯は口が大きいので、カツ丼に使う小さなクッカーに合わない。出来ればご飯が炊けた後に、ご飯を蒸らしてる時間に魔法コンロで仕上げたい。

 さすがにカツ丼を作る時に使う専用の浅い手鍋なんかは持ち込んで無いけど、近しい形のクッカーを使った方が感覚的に慣れてるからね。


「ノノンさん、それはなんなの?」

「これは天ぷらって料理にするの。ほら、レーニャさんってお肉が苦手だから、お野菜を主材にして夕餉向けに立派な料理にするの」

「お、お野菜だけで夕餉なの?」


 ネネちゃんも孤児院では野菜スープだけの夕食なんてザラだったはずだけど、だからこそ好きにお肉が使える状況であえてお肉を使わない選択肢に驚いてるみたいだ。

 たぶんネネちゃんにとって、お肉が入ってないスープや料理なんて物は、お肉が無いから仕方なくそうしてるだけなんだろうね。

 まぁ私も、本当ならえび天とかも入れたいから、お野菜だけってのは苦肉の策ではあるんだよ。この旅行の縛りだと生鮮のエビなんて手に入らなかったから、仕方ないよね。

 目的地が港町なので、旅の終わりに期待しようか。


「カツを作るのに使った小麦粉にコチラ、発泡麦酒ラガーを混ぜて溶いたら、薄切りの野菜を潜らせて--」


 --パチャチャチャチチチチチジュァアア……!


 んー良い音。やっぱ揚げ物って、後片付けが最高に面倒臭いけど、作ってる間は凄い楽しいんだよね。……後片付けは最高に面倒臭いけど。


「油の温度を気を付けながら揚げて、ついでに今のうちにカツ丼の割り下と天丼のタレを作ります」


 と言ってもベースの麺つゆは黒猫荘からの持ち出し調味料なので、大した手間も無い。調味料だけは自重しないよ。


「おっと、ご飯炊けたね。ネネちゃん、そのクッカーなべ下げてくれる? そこそこ重いから気を付けてね」

「あいっ!」


 天ぷらを揚げながらネネちゃんに動いてもらう。

 クッカー一つで八合くらい炊いてるんだよね。だから二つで十六合。カレーの時はコレでほぼ全滅したんだ。びっくりだよね。

 あっ、八合炊いたクッカーは幼女には重いか。やっぱ手伝おう。


「じゃぁ先に、レーニャさんさんの天丼を仕上げちゃおっか」

「そしたら、できたテンドン? をネネがレーニャ様にお届けするの!」

「……えと、大丈夫? 丼三つとか結構重いよ?」

「大丈夫なの!」


 だ、大丈夫かな。

 私としては、そろそろ幼女たちを起こして、経験値薬で深度十まで増やしてあるルルちゃんに配達をお願いするつもりだったんだけど……。


「…………も、もう我慢出来ん!」

「ちょっ、おい!」


 私がネネちゃんの心配をしてると、食堂のテーブルから、つまり料理をしてる私の背後から大きな声が上がった。ちょっとびっくりしてしまった。

 私は何事かと振り向く。見れば、食堂で酒盛りをしていた内の一人が席を立ってコチラに近付いてきた。

 静止する仲間の声を振り切ってそばまで来た男に警戒する私は、次に彼が発した言葉でポカンとした。


「なぁおいお嬢ちゃん、俺がそっちのちびっ子に着いてって物を運ぶからよ、代わりに、俺にもその美味そうなモン食わせてくれねぇか?」


 どうやら彼は、私の料理に、というか匂いにやられてしまったらしい。

 見れば彼が座ってたテーブルには大量の酒樽の他には、適当な干し肉や安そうな燻製肉ベーコンや腸詰めくらいしか無く、あれを食べながら揚げ物の匂いは辛かっただろうと思う。

 確かにトンカツも天ぷらも、お酒のアテには丁度いい。というか揚げ物ってだけで酒飲みには暴力だ。お父さんが昔そう言ってた。


「だめかい?」

「…………あっ、ごめんなさい。いえいえ、お願い出来るなら願ったりです。…………ネネちゃん?」

「ん。ネネも大丈夫なの! このオジサン、悪い人の匂いしないの!」


 さすがにすぐ信用は出来ないかと思ってネネちゃんを見たら、孤児特有の嗅覚でもあるのか、目の前の男性に対して善悪の判定をしていた。


「えと、じゃぁすぐに仕上げますので待っててくださいね。お仕事はネネちゃんの送り迎えと料理の運搬。報酬は、私からのとびっきり美味しいお酒の肴を出しますね」

「おう! 話しが分かるお嬢ちゃんで良かったぜぇ!」

「いえいえ、こちらも助かるので。ネネちゃん、帰ってくる時にさ、馬車から鶏肉と片栗粉を取ってきてくれる?」

「わかったの! …………カタクリコって、あの白くて、ぺたぺたする粉であってるの?」

「そうそれ」


 飲み仲間も何が何だか分かってない内に、ネネちゃんとオジサンは私が仕上げた天丼三杯の運搬を開始した。

 突然の事で驚いたけど、まぁ助かったのも事実だし。


「さて、あのオジサンの分も余計に作っておきますかね」


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