第7章 永遠に変わらずに

第85話 この場所に寄せる想い

 人通りの少ない平日の朝、大きく澄み渡る初秋の空の下で僕らはのんびりと時を過ごしていた。苗木達は順調に生育し、小さな背丈にたくさんの葉を付け、成長を感じられるようになった。彼らが大きくなることで、この公園も心なしかにぎやかに感じるようになった。

 一方で、僕たちの周りには草が生い茂り、例年よりは雑然とした雰囲気があった。草が伸びるとそこに虫たちが寄生し、僕らの身体にも付着するので痒くてたまらない。いつもの年ならば、隆也が妻の怜奈とともに公園の草を刈り取るのだが、今年はその様子もない。


『ねえ、ルークさん。最近隆也さんの姿見たかい?奥さんも最近見かけないよね』


『そうだよね。一体何があったんだろう?』


『去年のクリスマスの件で隆也さんが警察に連れて行かれてから、全然顔を見てないよね。まだ捕まったままなのかな?』


『どうなんだろうね。あれ以来、剛介もずーっと一人で剣道の練習してるし』


 伸び放題の草を目の当たりにしながら、僕たちは隆也の帰りをひたすら待つしかないのが辛い所である。

 その時、誰も居ない公園に三人の若い男たちがポケットに手を突っ込んだまま現れた。彼らは皆、帽子とマスクを着用し、僕からは顔が良く見えず不審者のような印象を受けた。彼らはケビンの前にあるベンチに腰掛けると、タバコを吸いながらしばらくの間歓談していた。

 平日なのに仕事もせず、この公園に何をしに来たのだろうか?僕はしばらく不審に思っていたが、良く見ると、彼らは片手に鎌や透明な袋を用意していた。

 一体、何をするつもりなのだろうか?

 その時、ケビンが大声で僕に呼び掛けた。


『ルークさん!拓馬だよ。久しぶりだなあ。これからここの草刈りをするんだってさ』


『え?草刈り?』


 すると三人の男達は立ち上がり、手にした鎌で僕たちの周りに生い茂った草を刈り取り始めた。帽子とマスクの隙間から見える顔を見ると、確かにあの拓馬だった。

 その隣にいるのは、仲間の祥吾と凛空だろうか。


「拓馬、ひっさしぶりだな。ここで草刈りするのは」

「ああ。草が伸びてるのがずっと気になってたんだよな。いつもなら隆也さんが奥さんと一緒に刈っていたから、俺が手を出して良いか迷ってたんだ。でも、二人がいつまでも何もしないなら、俺たちでやっちゃおうと思ってさ」

「もう少し待てば隆也さんがやるかもしれないのに。でも、放置せず自分から率先してやるのがお前の凄い所だよ」

「そうか?」


 拓馬は額の汗を拭うと、集めた草を次々と袋に入れだした。祥吾と凛空も同じように袋に草を詰め込み、袋の数はあっという間に相当な数に増えていた。


「はあ~……疲れたなあ。こんなに草があったのかよ」

「隆也さん、偉いよな。こんなくそ暑い時に公園の草刈りしていたんだろ?」

「俺たちでさえ息が上がりそうなのにな」


 男達は集めた草を入り口に運び込むと、誰かが持ってきた軽トラックに次々と載せ始めた。


「さ、早いこと処分場に運び込んで、ビールでも飲みに行こうぜ」

「そうだな。でも、本当に隆也さん、どこに行っちまったんだろうな。拓馬、本当に何も聞いてないのか?」

「まあな……ここんところずっと見かけないし。こないだちょっと家の辺りを覗き込んだら、家に灯りがついてなかったんだよな」

「マジか?じゃあ、引っ越したって事?」

「それは違うかもな。家の中に荷物も残ってるし」


 拓馬の言葉に、僕は唖然とした。隆也は一家全員、あの家に住んでいないようだ。それならば、一体どこにいるんだろうか?


 数日後、夜の闇が辺りを包み始めた頃、剛介がいつものように竹刀を持って公園に現れた。中学生になった剛介は、最近は部活動を始めたせいか、この場所に来る時間が遅くなっていた。にきび面で背丈も伸びた剛介は、竹刀を構えると、素振りを始めた。


「ずいぶん上達したんじゃないか?おい」


 剛介は後ろから投げかけられた声に反応し、振り向いた。

 そこにいたのは、杖を持って立つ隆也だった。

 あごや口の周りはひげで覆われ、顔もかなり老け込んでしまっていた。


「隆也さん!」

「久しぶりだな」


 隆也は杖を持って、やっとバランスを保って立っていた。足腰はふらつき、息づかいも荒いように感じた。


「一体、どこに行ってたんですか?」


 隆也は剛介の問いには答えず、ふらつきながら剛介に近寄り、手を握った。


「俺のことは心配すんな。それよりお前がちゃんと練習してるのか、元気でやってるのか、それだけが気になってたんだ」

「ぼ、僕は大丈夫だよ。中学に上がって剣道部に入ったし、帰ってからもこの場所で毎日練習してるし」

「なら良かった。少しでも練習をおろそかにすると、あっという間に腕が落ちるからな」


 すると、隆也の家の玄関から妻の怜奈が慌てた様子で飛び出してきた。


「ちょっと!お医者さんからも言われたでしょ?一人だけで勝手に外出はするなって」

「ちょっとだけならいいだろ?俺は、剛介のことが心配でならなかったんだ」

「ダメなものはダメなの!あなたの命に関わることなんだよ。もっと慎重に考えてちょうだい」

「何だよ怜奈。お前には俺と剛介の男の友情がわかんねえのかよ」

「わかるけど、それ以上に命は大事だよ。さ、帰りましょ!ごめんね、剛介君、練習の邪魔しちゃって」


 怜奈に背中を抱えらえながら、剛介は自宅へと連れ去られていった。

 その様子を見て、剛介はしばらくの間あっけに取られていた。


『ねえ、隆也に一体何があったんだろうね?』


『杖を持って、今にも倒れそうなくらいフラフラしてたわよ』


『奥さんのあの心配ぶり、ちょっと気になるよね』


 苗木たちがざわめき始めた。確かにいつもの隆也と雰囲気が様子が違う。最後に会った時には、全身が軽やかに動き、剛介に対し容赦なく大声で怒鳴りつけていた。あれから半年以上経ち、隆也の身に一体何が起きたのだろうか?


 朝方、北からの肌寒い風が公園の中に吹き込んできた。

 風は容赦なく、僕たちの枝に付いた葉っぱを次々と地面に落とし始めた。


『あーあ、せっかく綺麗に生えそろったのに、今年もまた落ちちゃうのか。何というか、空しくなるよね。葉っぱが落ちるのを見届けるこの時期は』


 ケビンが寂しそうな顔で地面に落ちる葉っぱを見続けていた。


『そうだね。葉っぱは春から秋のわずかな間しかこの世に居られないからね』


 僕も、ケビンの言葉に同調するかのように寂しげに答えた。

 次々に舞い落ちる葉は、拓馬達がこないだ草刈りしてきれいに整地してくれた地面をあっという間に埋め尽くしてしまった。

 いつもなら、隆也達が公園に来て、ほうきを片手に一生懸命落葉を集めるのだが、今年は期待しない方がいいのだろうか。

 その時、玄関から隆也がふらつきながら、ほうきを片手に公園の中に姿を見せた。


「おお、今年も派手に散らしてくれたな、お前ら。しょうがねえなあ」


 そう言うと隆也は片手で杖を持ちながら、不器用な手つきでほうきを動かし始めた。時々不自然な姿勢で体勢を崩しながら、一生懸命ほうきを動かしたが、集まる落葉はほんのわずかだった。


「ちょっとあなた!何やってんのよ!」


 怜奈が駆け足で公園に現れると、園内に響き渡るかのような声で隆也を呼び止めた。


「だってお前、こんなに散らかってるのをほっとけって言うのかよ?この木を見て育った人間として、そんな薄情なことできるかよ?」

「今はそんなこと言ってる場合?ちゃんと家に帰って安静にしていてちょうだい!」

「イヤだ、俺がこの公園を掃除しないと、他に誰がやるんだ?」

「私がやるわよ。あなたは自分の体のことだけ考えてよ!」


 怜奈は力ずくで隆也の身体を支えると、引きずるように公園の外へと連れ出していった。


「イヤだ、お前らだけにやらせるもんか!俺は、俺は小さい頃からずっとこの木を見て育ったんだ。そして、この公園を愛してるんだ。俺が世話しないで、だれがやるって言うんだよ!?」


 叫び続ける隆也を必死の形相で連れ出す怜奈。その表情は相当疲弊しているように感じた。隆也の叫び声が収まり、しばらくすると怜奈がほうきを持って公園に現れた。

 怜奈の顔は以前よりしわが目立ち、目元もくぼんでいるように感じた。そして、髪の毛が真っ白になっていた。

 怜奈は汗を拭いながら、一心不乱に袋の中に落葉を詰め込んでいた。

 以前隆也が心を病んだ時に怜奈が一人で作業をしていたこともあったが、以前と違って年老いた怜奈では、散乱した僕たちの葉を一人だけで集めきることは出来ないように思えた。僕たちが散らした葉なのに、自分たちで処分出来ないのは本当に心苦しいが……。


「俺も手伝おうか?」


 その時、落葉を拾っている怜奈の目の前に、顔を隠すように深々と黒パーカーを着込んだ男性が立ちはだかった。


「いいけど……誰なの?」

「あれ?忘れたの?俺だよ」


男性はパーカーのフードを上にあげると、はにかんだような表情を見せた。


「拓馬君?」

「まあね。久しぶりだね、怜奈さん」

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