第68話 写真での再会
まだ暑さが残る初秋の日の午後、蝉やムクドリの鳴き声もようやく落ち着きはじめた。冬になると、今度は強烈な北風が容赦なく僕たちに襲い掛かってくる。物静かなこの時期こそが、僕たちケヤキにとっては貴重である。
そんな初秋のある日、僕の耳元で、野太い男性の声がまるで僕に話しかけるように聞こえてきた。
「よう、元気か?本当に久しぶりにこの公園に来たけど、ずいぶんきれいに整備されたなあ。昔はこんなきれいな花壇なんてなかったぞ」
声の主は、薄汚れた作業服に身を包んだ髭面の初老の男性だった。いかつい風貌のこの男性、一体何者なんだろう?なぜこの僕に、声を掛けてきたんだろう?
その時、僕の対面に立つケビンの様子がいつもと違って落ち着きがないことに気づいた。ケビンはこの男性のことを知っているのだろうか?
男性は僕の前に立つと、首を傾げてあれ?と言いたげな表情を浮かべると、口を開いた。
「ああ、お前は別の造園会社から来たから、この俺のことは知らないか。俺はな、『山里造園』の山里公一っていうんだ。以前ここに立っていたケヤキと、あそこに立ってる若いケヤキは、俺の会社で育てたんだ。今日はこの近くの現場に来たついでに、お前らに会いに来たんだ。お前らに見せたいものがあるからさ」
え?こ、この人がおじさんとケビンの育ての親なんだ?
そして、この僕に見せたいものとは、一体何なんだろう?
山里は、鞄から黒く四角い大きな画面のついた機械を取り出した。
「これはな、タブレットっていうんだ。こいつは持ち運びが楽で、いつでも好きな時にインターネットにアクセスできるし、保存した文書も写真も取り出せるし、本当に重宝するんだよ。そうそう、今日はお前たちに見せたい写真をいっぱい入れてきたんだ。早速一枚ずつ見せるから、よーく目に焼き付けておけよ」
山里は、画面の上に指を這わせると、徐々に大きな写真が姿を現した。そこには、広い芝生と沢山の花が植えられた、大きな公園が写っていた。そして、その真ん中に、僕が良く見覚えのある木がぽつんと聳え立っていた。
「え?これって……まさか!?」
すると、山里はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「これは、数年前までここに立っていたケヤキの木だよ。元気そうだろ?」
そこに写っていたのは、間違いなく、かつて僕の対面に立っていたおじさんの姿だった。おじさん……やっぱり、生きてたんだ!
「この木はな、今、ここからちょっと離れた所にある海辺の町にいるんだ。津波被害で海辺から丘の上に集団移転してできた新しい町なんだけど、そこに新しくできた公園のシンボルツリーとして活躍しているよ」
海辺の町?一体どこなんだろう?ここからすぐ行ける所にあるんだろうか?
「この写真を見てみろ。ここに立ってたケヤキは今、この町の人達と仲良くやってるよ」
写真には、おじさんに寄りかかって立つ髪の毛を茶色に染めた作業服姿の男性と、その奥さんらしき女性、そして女性は二人の子どもを抱きかかえていた。男性はちょっと柄の悪そうな雰囲気があったけれど、おじさんと一緒にいる子の写真では、わずかににこやかな表情をしているように見えた。
「この家族は、旦那が漁師で家を空けることが多いみたいでな。けど、旦那はこの木を見ると、自分の帰る場所はこの町なんだって実感できるって言ってたよ」
そういうと、山里は再び画面に指を触れ、次の写真を見せてくれた。
「町の高齢者夫婦だよ。津波で息子たちは亡くなって、二人だけで被災者向けの団地に住んでいるんだ。辛い過去を背負い内心は辛いだろうけどさ、この木の下から津波で無くなった町を眺めて、笑いながら昔の話をするのが毎日の日課だって言ってたよ」
おじさん、ここにいた時と変らず、新しい町でも地元の人達の心の支えになってるんだ。僕はおじさんのように、立派なケヤキになれているのだろうか? おじさんに比べると影が薄い、存在感なし!と思われているのだろうか? いや、言葉にしないだけで、きっと僕の存在が心の支えになっていると信じたい。
「あの木はどこに行っても、立派にやっていけるさ。今の場所ではすっかり町のシンボルツリーとして、地元の人達の心の拠り所になっているよ。お前たちも、ここで地元の人達の心の支えになるんだぞ。それじゃ、また来るからな」
山里はそう言うと、僕の対面に立つケビンの所へと歩き去っていった。ケビンにも、僕に見せたものと同じ写真を見せているようである。
『ルークさん、今、山里さんに写真を見せてもらったけど、この木が「おじさん」っていう、僕の前にこの場所に立っていたケヤキなの?』
『そうさ。もうここから居なくなって十年以上経つかなあ?まだ生きていたみたいで、ホッとしたよ』
『もう、この世にはいないと思っていたの?』
『まあね。少なくとも僕も、この町の人達もそう思ってたよ』
『そうなんだ。僕って、おじさんの後輩だったんだね。おじさんのように立派になれるのかな?』
『なれるさ!僕だって最初は不安で一杯だったけど、今は何とかここでやっていけるかな?と思ってるさ。おじさん位とまではいかないだろうけど』
『そうなんだ。でも不安だなあ』
『そう深く考えるなって。おじさんはおじさんの生き方があるし、ケビンにはケビンの生き方があるんだから。きっとおじさんのように、ケビンも多くの人達に慕われるケヤキになれるから』
ケビンは、おじさんの写真を見たことで却ってプレッシャーがかかってしまったように見えた。でも、ケビンならきっと、おじさんの後継者として立派になれると思っている。根拠はないけれど、僕はケビンに、おじさんに近い「何か」を感じていた。
山里はケビンの元を離れ、トラックに乗ると、窓を開けて、僕たちに対し両手を振ってトラックに乗って去っていった。
「じゃあな。またこっちに来る用事があったら、お前らに会いに来るからな」
え?もう帰っちゃうんだ?
おじさんの話をもっと聞きたかったのに。
そして、おじさんの居る町に僕も連れてってほしい、もし僕がケヤキでなく人間だったら、思い切り声を上げてそう訴えたかった。
『すみません、僕を、僕を……おじさんの所まで、連れてってくれませんか?』
しかし、山里は僕の言葉に振り向きもせず、車の窓から手を振ってあっという間に走り去っていった。
『はあ……僕の言葉、届かなかったか。折角のチャンスだったのに』
あの人が、おじさんとケビンの育ての親なのか。あの人の下で生まれ育ったおじさんとケビンを、僕はなぜか羨ましくて仕方がなかった。
ここに来たばかりの頃ならば、こんな感情は起きなかったのに。
日が暮れて、夜の闇が僕たちの立つ公園を覆い始めた頃、闇の中から望遠鏡を抱えた芳江が現れた。
芳江はすっかりこの公園が気に入った様子で、ほぼ毎晩のように天体観測をする姿を目にするようになった。
「すっかり秋だね。夜空が澄んで見える星の数も増えてきたわね」
そう言うと、しばらく望遠鏡を見つめていた。
「おや、流れ星かな?」
芳江の言葉を聞き、僕は真上に広がる夜空に目を凝らした。
長い尾を引きながら、流れ星が真上からマンションの方向へとゆっくりと流れていた。
「そう言えば、こないだここに一人で来てたさおりちゃんって子、別れた彼氏と寄りを戻したんだって!流れ星にかけた願いごとが通じたって、大喜びしていたよ」
夏の夜、たった一人で僕の真下に現れ、ずっとうつむいていた少女・さおりは、どうやら一度別れた彼氏と仲直りしたようであった。
僕もあの時、「おじさんに会いたい」と流れ星に願いごとをしたけれど、本物に会えたわけではなく、写真での再会であった。
それでも、遠くの町で暮らすおじさんの元気な姿を拝めたことは、何よりも嬉しかった。
いつの日になるのか分からない、ひょっとしたらもう二度と会えないのかもしれない。それでも僕は、本当の意味で僕の願いごとが叶う日が来るように、ゆっくりとした動きで夜空を横切っていく流れ星に願いを込めた。
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