第6章 この場所で、ずっと

第67話 ちっぽけな存在

 夏の日差しが降り注ぐ公園の午後、僕たちの真下には通りすがりの人達が飲み物を飲みながら、しばらくの間体を休めていく。

 公園の中には暑さや日差しをしのげる場所が無いので、多くの葉っぱをまとった僕たちの真下は、絶好の「避難所」になる。高校生のカップル、仕事の途中のサラリーマン、小さい子どもを連れたお母さん。今日も沢山の人達が、僕たちの真下で「至福」の時間を過ごしていた。

 日差しが陰り、気温も下がる夕方になると、そんな人達の姿もまばらになっていく。そして、辺りが次第に闇に包まれ始めると、人影はほとんど無くなってしまう。

 しかし、今日はいつもとは様相が違っていた。

 高校生ぐらいの少女が、僕の真下に座ったまま、いつまでも帰ろうとしなかった。携帯電話の画面をずっと睨み続け、そして時折うなだれてため息をついていた。

 一体、何があったのだろう?

 僕が言葉を話すことができれば、彼女から色々理由を聞きだすかもしれない。

 あるいは、もうこんな遅い時間なのだから、家に帰りなさい、と諭したかもしれない。ケヤキである僕の言葉が彼女の耳に届くとは思えないけれど、このままで良いはずが無い。

 試しに僕は、ありったけの声を出して彼女に言葉をかけてみた。


『ねえ、もうこんな遅い時間なんだけど、一人で何をしているの?誰かを待ってるの?そうでないならば、お家に帰ったらどうかな?家族のみんなも心配してるよ』


 案の定、彼女は僕の言葉に気づいている様子は全く見られなかった。

 夜の闇は時間が経つにつれて深く濃くなり、かすかな街灯だけが彼女の姿を照らしていた。

 その時、大きな望遠鏡を抱えた女性が、僕たちの近くを通りかかった。女性は、僕の真下でうずくまっている少女を見つけると、その場にしゃがみこみ、優しい声で問いかけた。


「ねえ、どうしたの?泣いてるの?」


 すると、少女は無言で首を左右に振った。


「ここで何しているの?ご両親は心配していないの?」


 少女は、再び首を左右に振った。


「言いたくないのね。じゃあ、無理に言わなくていいよ」


 そう言うと女性は立ち上がり、地面に三脚を立てて、その上にさっきまで抱えていた望遠鏡をそっと立てかけた。女性は望遠鏡を覗き込むと、いたずらっぽい笑顔を浮かべて親指を立てた。


「すごい!この場所、星空がすごく綺麗に見えるのね」


 すると、さっきまでうつむいていた少女は顔を上げ、望遠鏡を覗き込む女性の姿を傍からじっと見つめていた。


「わあ、夏の大三角形も、そして天の川も綺麗に見える!今までは町はずれの丘まで望遠鏡を担いでいったけど、今日からはここで天体観測しようかな?」


 少女は起き上がり、望遠鏡を覗きこむ女性のすぐ傍まで歩み寄った。女性は少女の姿に気が付くと、ニコッと微笑み、「おいで」と言って手招きした。

 少女は、望遠鏡に顔を押し当て、無言のまましばらくの間じっと見入っていた。


「何が見えた?」

「沢山の星が、すぐ近くにある!いつも見てる星空と、全然違う!」

「でしょ?宇宙にはこんなに沢山の星があるんだよ。私たちがいる地球は、そのうちの一つの星に過ぎないのよ」

「そうなんだ」

「私たち人間の存在って、すごくちっぽけだなあって思う。そんな自分が悩んでることは、さらにちっぽけなことなんだって思うもんね」

「……」


 少女は望遠鏡から顔を外すと、うつむき加減の姿勢のまま女性から離れて行った。


「お名前は?」

「私、さおり。飯島いいじまさおりっていうの」

「さおりちゃんか。良い名前だね。私の名前は木藤芳江きとうよしえ。まだ20代なのに、おばさん臭い名前でさ、自己紹介する時にいつも恥ずかしくって」

「そうかなあ?お姉さん、私よりも堂々としてるじゃん」

「見た目はね。でもさ、自分の名前のことで恥ずかしい思いをしたり、いじめられて泣いた日もたくさんあったんだよ」

「ホントに?」

「うん、ホントだよ。そんな私を見るに見かねて、両親が私にこの望遠鏡を買ってくれたの。どうして望遠鏡?って思ったけど、『望遠鏡で夜空を見たら、お前が悩んでることなんかちっぽけに感じるから』って言われてね。両親の言うことがいまいち信じられなかったけど、試しに望遠鏡で夜空を覗いたらすごく沢山の星が目の前にあって。その時初めて、親の言うことが理解できたの」


 そう言うと、芳江は望遠鏡を見つめた。


「あ!流れ星だ!ほら、見てごらん!」


 さおりが芳江の傍に近寄ると、芳江はさおりの手を引き、望遠鏡を手渡した。


「わあ!すごい!尾を引いて動いてる!流れ星って、初めて見たかも」

「何か願い事、してみたら」


 するとさおりは望遠鏡を覗いたまま、両手を合わせて何かを呟いていた。


「フフフ、聞こえちゃった。彼氏と早く仲直りできますように、だって?」

「ちょ、ちょっと!勝手に聞き耳立てないでよ!」

「ひょっとして、彼氏とケンカして落ち込んでた?」

「うん。家に帰っても何だか心が晴れなくって、おまけに親が勉強しろだの何だの言ってうるさくって。この場所で、一人きりになりたかった」

「かわいいなあ。私はもう何年も恋をしてないや」

「どうして?芳江さん、まだ若いし綺麗だし……もったいないじゃん」


 すると、芳江は遠い目で夜空を見つめた。


「今の私は、星空をながめてる時が一番心が落ち着くから。男は当分、いらないかな」


 そう言うと、声高らかに大笑いしながらさおりの背中を叩いた。さおりはちょっと迷惑そうな顔を見せていたが、芳江の顔を見ると口元に手を当てて笑い出した。


「芳江さんってヘンな人」

「そうね。ヘンだよね、それは自分でもよーく分かってるから」

「自分で認めちゃうの?」

「まあね。だって、私の心の拠り所は、夜空の星たちだから。それは間違いないことだし、あえて否定するつもりはないから」

「否定……しないんだ?」

「あの星たちは何億年も前から今日も変わらず夜空に輝いてる。まるで『いつもこの場所で、ずっとお前のこと見守ってるから』って言われてる感じがしてさ。だから、ひとりぼっちで居ても寂しさを感じないのよね」


 そう言うと、芳江は望遠鏡を片付け、大きなあくびをしながらゆっくりと大股で歩き始めた。


「あの……」

「どうしたの?」

「私の存在ってちっぽけなのかな?抱えてる悩みも」

「フフフ、そうかもね」


 芳江は口元を緩ませて微笑むと、望遠鏡を抱えたまましゃがみ込み、さおりの顔をじっと見つめた。


「また星が見たければ、ここにおいで!私、時々この場所で星を見てるかもしれないから」

「ありがとうございます」


 さおりは芳江の言葉を聞いて、さっきまでの落ち込んだ表情がが少しだけ緩んでいた。さおりは芳江に手を振ると、僕に背中を向け、闇の中へと歩き去っていった。


『ちっぽけな存在……か』


 僕は芳江の話を聞き、改めて真上に広がる星空をじっくりと見つめた。

 真上には、無数の星たちが瞬きながら夜空いっぱいに点在していた。

 きっと僕たちも、あの星たちに見守られているのかもしれない。

 僕もケビンも体は大きく成長したけれど、僕たちは人間と同じく、宇宙全体から見るとちっぽけな存在にすぎないのだろう。


『ねえ、ルークさん。あのお姉さん、夜空の星たちが何億年も前から輝いてるって言ってたけど、ホントなのかな?』


『分からないけれど、きっとそうなんだろうね』


『すごいな。僕、まだ二十年しか生きてないのに』


『そうだよな。僕たちの存在は星たちに比べるとずっとちっぽけなんだな。身体はこんなに大きくても、ずっと頼りない存在なのかもね』


 夜空を眺めながらケビンと語り合っていたその時、夜空に弧を描きながら小さな星がゆっくりと動いているのが、僕の目からもはっきりと識別できた。


『あ!流れ星だ!ルークさん、願い事しなくちゃ!』


『そ、そうだね……えーと……何をお願いしようかな?』


 僕は徐々に夜空の端へと流れていく小さな星を目の当たりにしながら、色々と思案を巡らせた。願いたいことは沢山あるけれど、やはり僕としては、いつまでも僕の心の中から離れない「あのこと」をお願いしようと決めた。


『おじさんと、どこかでまた出会えますように』


 願い終えた時、流れ星はすでに視界から見えない所へ飛んで行ってしまったようであった。

 おじさんは、どこか知らない町で僕と同じ星を見ているんだろうか?

 どこかに移植されたということ以外、誰も何も教えてくれないけれど、多分今も、元気で生きていることを僕は信じたい。

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