第63話 邪魔者はどっち?

 日中の気温が徐々に上がり、僕たちの葉も次々と大きくなり、あっという間に枝を覆いつくしてしまった。

 生い茂った葉の中をねぐらにしようと、徐々に鳥たちが集まりはじめ、今年もいつもの年と同様に、賑やかな季節が始まろうとしていた。

 年明け早々に話が出てきた僕たちの立つ公園の改修は、隆也の必死の抵抗で中断したが、その後全く動きが無いままであった。

 当初の計画通りであれば、僕たちは既に伐採され、今頃はこの世には存在していなかったはずであった。


 今日は朝早くから樹木医の理佐が市職員を伴い、公園に姿を見せた。

 理佐は、僕たちの状態を書き記したノートを職員に見せると、職員は腕組みしながらしばらく考え込んだ。


「理佐先生。昔、ここにあった木を動かした時の資料を読んだんですけどね、とんでもない金額でしたよ?正直手間もお金もかかるだけで、上局は相当嫌がっていますよ」

「いいのよ。何なら私も一緒に説明に行くから。とにかく今は、この木を助けなくちゃ!移植先にはちゃんと許可をもらってるし、無残に切り倒される前に何としても助けたいのよ」


 市職員は呆れ顔で両方の掌を天にかざすと、ポケットから小さな電話を取り出し、耳に当てながら通話を始めた。しばらく話し込み、通話が終わると、市職員はポケットに電話をしまいこみ、深くため息をついて話し始めた。


「理佐先生、たった今工事担当者に先生の意向を伝えたんですが、担当者が言うには、この公園の改修工事は当面再開の見込みがないようです」

「はあ?一体どうして?」

「市外からこの木を守ってほしいという署名が、続々と本市に寄せられているそうです。署名活動は全国、いや、世界まで巻き込んで広がりを見せてるようで、こんな状態ではとてもじゃないけど怖くて工事に踏み切れない、とのことです」

「そうなんだ……すごいわね。一体誰が呼び掛けているの?」

「本市出身の音楽家である園田夫妻と、やはり本市出身で世界的に有名な画家のRINKAさんだそうです。いずれも市の観光大使にも任命されてる方々なので、市長としても、正面切って署名するなと言えないそうです」

「ふーん……じゃあ、工事そのものは、当面できないってこと?」

「……とりあえず、今の段階では再開の見込みが立たないし、下手したらこのまま工事計画を見直す必要も出てくるでしょうね。とりあえず、理佐先生からのご提案は、一応我々の頭の中に入れておきますね」


 そう言うと、市職員は頭を下げ、公園からそそくさと去っていった。

 残された理佐は、市職員から告げられた現状に驚いた様子であったが、やがて現状を理解したのか、口元に笑みを浮かべ、僕の方へ歩み寄った。


「ごめんね。私、勝手に早とちりしたみたいね。あなた達は幸せよね。支えてくれる人達がこの町だけじゃなく、世界中にいるんだからさ」


 そういうと、僕の幹を軽く撫で、手を振って立ち去っていった。

 あれ?移植の話はこれでもう立ち消えになったのだろうか?

 折角、おじさんのいる場所に行ける絶好の機会だったのに。

 僕たちを守ろうと一生懸命頑張っている傍らで失礼なことは言えないけれど、僕としては、おじさんの所に移植してもらえるのであれば、何もこの公園に居続ける必要がないと思っていた。


 □□□□


 夜も更け、生暖かい南風が公園の中を吹き抜けていく頃、竹刀を持ったシュウが、サンダルの音を鳴らしながら僕たちの前に登場した。

 シュウはまだ大学生であるが、まだ収監中の隆也に代わり、講義や剣道部の練習の合間を縫って帰省して、この公園の掃除をしてくれている。

 シュウは夜になると、剣道の練習のために一人で公園に出てきて、ケビンを相手に、一心不乱に竹刀を打ち込んでいた。


『うわっ、今夜もシュウが来た!また僕を相手に練習するのかな?痛いからやめてほしいんだけどなあ……』


『シュウは上手いからそんなに痛くないんじゃないのか?隆也は気合は入ってたけど、やたらめったら打ち込んできて、身体中が痛かったけどさ』


『でも、力があるから打たれた時はすごく痛いよ。いいよねルークさんは。シュウはなぜ僕だけを練習相手にするんだろ?』


『それは、シュウがケビンに信頼を置いてるからじゃないのか?』


『はあ?僕を信頼してるから竹刀で滅多打ちにするの?全然理解できないよ!』


 シュウは、ケビンの前で立ち止まると、一礼し、しっかりと竹刀を構え、真上からケビンの幹を目掛けて思い切り打ち込んだ。


『イテテテテ……助けて、ルークさん!』


『しばらくの我慢だ。とにかく耐えるしかないんだ、ケビン』


 ケビンがシュウの練習にひたすら耐えていたその時、誰かが僕を後ろから思い切り蹴りとばした。


『痛っ!だ、誰なんだよ?突然』


 わずかな街灯に映し出された顔を見ると、あいなの父親で、公園改修を先導している弁護士だった。

 街灯に浮かび上がった顔を見ると、目元に深いくまがあり、ひどく疲れているように感じた。そして、片手には縦に細長いビール缶を握っていた。


「どいつもこいつも。僕の邪魔ばかりしやがって!」


 そう言うと、今度は僕の根元を蹴り飛ばした。

 弁護士の履いている靴は先が尖っているせいか、蹴られた時の衝撃は全身に伝わってきた。


「公園改修工事の計画が全て練り直しになったって、一体どういうことだよ!市の連中め。発案者の僕に何も相談もしないで、勝手に決めやがって。署名なんて法的拘束力がないんだから、いちいち気にしていたってしょうがないのにさ!」


 弁護士は、何度も僕の根元を蹴りつけながら、鬼のような形相で叫び続けた。


「こんな木のために署名集める奴らも、頭がどうかしてるよ!どうして木を守ることに必死になれるんだろう?僕にはさっぱり理解できないよ!」


 弁護士はスーツのポケットに手を突っ込みながら僕に近づくと、上目遣いで僕を睨みつけた。


「正直言って、お前らは目障りなんだよ。お前らがここにいるから、うちの娘が足に怪我するし、この公園をより良いものにする計画なのに、変な連中が騒いで潰されるし、おまけに最近は、お前らの件で娘に嫌われて、口も聞いてもらえないし……」


 そう言うと、弁護士は飲みかけのビール缶を僕にぶつけた。

 缶からこぼれたビールが僕の身体に降りかかり、臭いが体中に充満して気分が悪くなった。

 僕が人間であれば、弁護士の胸倉を掴んでやりたいくらいだが、あいにく僕はケヤキの木である。ただ黙って、この屈辱的な扱いに耐えるしかなかった。


「ちくしょう!お前らなんかこうしてやる!」


 弁護士は拳を握りしめ、僕の幹に思い切りぶつけた。

 ドスン!という強い音を立て、僕の全身に衝撃が走った。

 その時、弁護士は突然、耳を劈くような声で悲鳴をあげた。


「おい!誰だお前は?邪魔するんじゃねえよ!」


 弁護士の背中に、背丈の大きな男性が立ち、後ろから羽交い絞めにしていた。

 シュウが途中で練習を止めて、僕を助けに来てくれたようであった。


「さっきから、何をやってるんですか?」

「この木の存在が許せないんだよ!僕の邪魔ばかりして、本当に不愉快な存在なんだよ!」

「何があったかはしらないけど、だからって八つ当たりするのは大人のすることじゃないでしょ?」

「はあ?何言ってるんだお前は?僕が何者だか、分かって言ってるのか?」


 弁護士はシュウの方に向き直ると、ポケットから名刺を取り出し、シュウに見せつけた。


「弁護士?」

「ああ、そうだ。僕はこの近くのマンションに住んでるんだが、この公園の木は、ここで遊ぶ子ども達の妨げになっていて、正直邪魔な存在でしかない。だから僕は早期の伐採を市に訴え続けてきたんだ」

「邪魔な存在?そんなのあなたが勝手にそう思ってるだけだろ?」

「何だとぉ!」

「あなたこそ、この木を守る俺たちからすれば邪魔な存在でしかない。とっとと失せろ」

「な、何を言った?もう一遍言ってみろ!」


 すると、シュウは大きく深呼吸し、満面の笑顔を見せると、口を大きく開いた。


「この木を邪魔する奴は、とっとと失せろ!」

「てめえ!ふざけたことばかり言うと許さねえぞ!」


 そう言うと弁護士はシュウに殴り掛かったが、シュウは軽々と身を交わし、弁護士は全身のバランスを失って地面に倒れ込んだ。

 シュウは起き上がろうとする弁護士の胸倉を掴むと、目を見開き、歯を剥きだしにして睨みつけた。


「あんたがさっきからこの木にやっていたこと、この俺が知らないとでも思ってんのか?俺は親父と一緒にこの木を見て育ち、この木があるからこそ、ここまで頑張って生きて来れたんだ。それは俺たちだけじゃねえ。この町に住む人間は、みんなこの木に支えられて、見届けられて生きてきたんだ。お前なんかに、俺たちの気持が分かってたまるかよ」

「ぐ、ぐるしい……」

「とっとと帰れ!またこんな酷いことしたら、たたじゃおかねえぞ!分かったか!」

「お、お前だって、さっきは竹刀を使って木を叩いていたじゃねえか?」

「お前のやってることは、木を侮辱し、当たり散らしているだけだ。俺は木に感謝しながら、竹刀を振っているんだ!」


 シュウは弁護士の胸倉から手を離した。

 弁護士はよろめきながらも立ち上がり、しばらくシュウを睨んだが、何を思ったのか、突然涙を流し、嗚咽しながらマンションに向かって歩き出した。


「どいつもこいつも……ちくしょう!僕はただ、娘を守りたい一心で、この町で楽しく暮らして欲しい一心でこの公園を改築したかったのに……」


 シュウは呆れ顔でしばらく弁護士の背中を見届けていたが、やがて地面に置いた竹刀を拾うと、ケビンの方に向き直った。


「まだまだ練習の途中だぞ!さ、面打ち、もう1セットやるからな!」


『ひええ、もう1セットだって!?ルークさん、助けてくれよお……』


『ケビン、シュウはお前に感謝しながら竹刀を振ってるんだ。だから、たとえ痛くても嬉しいと思わなくちゃね』






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