第56話 必死の訴え

 僕たちケヤキについていた葉が全て落ち、身の芯まで凍えるような冷たい風が吹きつける初冬の朝、僕の真下に続々と男たちが集まってきた。

 マンションに住む拓馬とその仲間である祥吾と凛空、そして彼らの真ん中には隆也の姿があった。

 彼らはそれぞれメガホンや拡声器を持ち、首からは色々とメッセージらしきものが描かれたボードを提げながら、色々と打ち合わせをしていた。


「お前ら、署名活動するのは初めてか?」

「そうですね、何言ったらいいのか、さっぱりわからないっスよ」

「難しいことは考えなくていいぞ。とにもかくにも、ここにある木を切られないよう、精一杯心の声を届ければいいんだ」

「じゃあ、『ここのケヤキを切るな!切ったらタダじゃおかねえぞ!』って精一杯叫べばいいんスか?」

「バカ!そんなこと言ったら、却ってみんな怖がって署名してくれないぞ。それどころか、警察の世話になるかもしれないぞ」

「あ、そ、そうっスよね」

「とにかく、この木を守りたいっていう気持ちを前面に出すんだ。それが大事なんだ」


 そういうと、隆也は拡声器を持ち、大きく深呼吸すると、吐き出すように言葉を出していった。


「皆さん、今、私たちはここにあるケヤキ達を守ろうと立ち上がりました。現在、市ではこの公園の改修工事を計画していますが、我々に相談も無く、メンテナンス代のかかる遊具をずらりと設置し、その代わりに植込みやケヤキの木を伐採し、この公園から緑を奪い取ろうとしているのです。私は小さい頃からここで育ち、ケヤキの木を見つめ、ケヤキに見守られながら成長してきました。このケヤキ達への愛着は人一倍あるつもりです。私たちの話を聞こうともせず、一方的に伐採しようとするやり方は許せません!この計画を阻止するため、一人でも多くの皆さんからの署名を頂きたいのです!お願いします。私たちと一緒に、この公園の木を守りましょう!」


 隆也の言葉には、力と実感がこもっているように感じた。

 その姿は、おじさんを伐採から必死に守ろうと必死に訴え、署名を集めていた20年近く前を彷彿とさせた。

 すると、ちょうど近くを通りかかったサラリーマン風の男性が隆也に近づき、早速署名簿に自分の名前を書きこんでいた。


「ありがとうございます。がんばりますんで、応援よろしくお願いします!」

 隆也は深々と頭を下げた。


「すげえ、隆也さん。演説上手いなあ。よーし、俺も!」


 隆也の姿を見て感銘した凛空は、早速メガホンを手にすると、深呼吸でもするかのように大きく息を吸い込み、吐き出しながら、がなり立てるような声で叫んだ。


「この木は、勉強も仕事も全く面白いと思わなかった俺たちに、初めて『やりがい』を与えてくれたんです!落ち葉集めも、公園の掃除も、キツいけど、やってみたらすっごく楽しいんです!」


 すると、祥吾は凛空に負けじとメガホンを使って叫んだ。


「俺たちは、この木に出会うまで、公園の木の事なんて正直言って何とも思わなかった。でも、拓馬や隆也さんと一緒にこの木の世話をするようになって、考え方が変わったんだ!今は誰よりもこの木が好きなんだ。下手したら彼女なんかよりもこの木が大事なんだ!」


 すると、隆也はちょっと驚いた顔をして、祥吾の顔を見た。


「祥吾、お前、この木のことをそんなに大事に思ってたのか……」

「いや、あはは、冗談っスよ。大体俺、彼女いないっすよ」

「ふざけんなよ!ちゃんと真面目にやれよ!」


 拓馬は祥吾を睨みつけると、祥吾は苦笑いしながら後ずさりした。


「そ、そんなに怖い顔すんなよ。というか拓馬、お前はさっきから何も訴えてないじゃないか。どうしたんだよ?」

 

 祥吾の言う通り、拓馬はメガホンを持っても、なかなか言葉が出て来なかった。


「どうした拓馬?さっきから何も言ってないじゃないか?いつも先頭切って動くお前らしくないぞ」


 隆也に背中を叩かれ、拓馬はようやくメガホンを口に付けた。


「俺……俺……昔、ここに立ってる木に火を放って、火事を起こそうとしたことがあったんだ。だから、俺の口からこの木を守ってくれなんて偉そうなことは言えない。だけど……」


 拓馬は過去の放火事件のことを話し出した。

 祥吾は慌てた様子で、拓馬に駆け寄り、メガホンを奪い口を塞ごうとした。


「拓馬、まずいって。この場で言うことじゃねえだろ?そんなこと聞いたら、折角俺たちの話を聞きに来てくれた人達が、みんな引いちまうって!」


 しかし拓馬は祥吾の手を振り切り、話を続けた。


「俺はその後逮捕されたけど、獄中で、隆也さんが必死に身を挺してこの木を守ったって聞いたんだ。俺はたかだか公園の木に、何でそこまで出来るんだってすごく不思議に思ったんだ。釈放された後、俺は木の様子を見に行こうとしたら、今度は俺の両親がムクドリの糞のことで市に言いがかりをつけ、この木を伐採しようとしてたんだ。俺はその様子を見て、本当に恥ずかしくて仕方がなかった。そして、自分がやったことは、親たちがやったことと何ら変わらないって思った。その時俺、居ても経ってもいられなくて、自分の部屋に戻り、掃除道具を担ぎだしていたんだ」


 一人で延々と語り続ける拓馬のことを、最早誰も止めようとしなかった。


「そして俺、木の下にあるムクドリの糞で汚れたベンチをひたすら雑巾で拭いていた。汗だくになって、糞の跡が綺麗に消え去るまで必死に拭いた。次の日になったらベンチがまた糞にまみれてて、俺はまた雑巾で拭いた。それをずっと毎日繰り返してた。こんなこと、俺の人生で初めてだったよ」


 拓馬の目には涙が溢れ、拓馬は時折メガホンを持った手を顔に何度もこすりつけた。


「ごめん、要は何を言いたいかっていうと、俺、何が何でもこの木を守りたいって、その時本気で思ったんだよね。生まれて初めて、自分以外の何かを守ろうって心から思えたんだ」


 拓馬の演説を、隆也達は腕組みをしながらじっと聞き入った。

 その光景は、最早署名の呼びかけではなく、拓馬の独演会の様相になってしまっていた。


「だから俺は、今度の市の計画を聞いて、ムクドリの時と同じような怒りがこみ上げてきたんだ。あの時と同じく、この木を何が何でも守り抜いてやろうと思ってるんだ。ここを通りすがる皆さんにも、俺たちに力を貸して欲しいんだ!」


 そう言うと、拓馬はメガホンを下げて、深々と頭を下げた。


「よろしく……お願いします。一人でもいいから、署名してください!」


 普段は生意気でなかなか頭を下げることをしない拓馬が、お腹に頭が届くくらい深々と頭を下げていた。

 その姿を見て、隆也達は目頭を押さえ、鼻をすすり、嗚咽した。

 すると、公園を通りかかった老婆が、拓馬の前に歩み出た。


「若いのにしっかりしてるよ、あんた。力を貸すから、頑張りなさいね」

 老婆はそう言うと、署名簿にペンを走らせた。


「あ、あ、あ……あざーっす!」


 拓馬は思わず、のけぞりながら老婆に礼を言った。


「バカ!折角署名して下さったんだから、ちゃんと相手の目を見て『ありがとうございます』って言わなきゃダメだろうが!」


 隆也は拓馬を怒鳴ると、拓馬は舌を出して苦笑いした。

 拓馬の必死の訴えを聞いたからなのか、マンションに住む住民の何人かが公園に出てきて、署名をしてくれた。

 しかし、署名する人の姿は時々見られるくらいで、十分な数を集めているようには見えなかった。

 このままでは、署名が十分集まらないことを理由に、計画が強行されてしまう可能性がある。

 隆也達がこれだけ叫んでも、心から伐採反対を訴えても、公園を通りすがる人達全てに届いているようには見えなかった。


「はあ……ダメだなあ。俺、声が枯れそうなくらい訴えてるのに、署名するのはほんの一握りの人達だけだな」

「一体、何がダメなんだ?俺たちの見た目の柄が悪いからかな?」

「ああ、それはあるかもな」

「り、隆也さん、そこ、同意しちゃダメでしょ?」


 思うように署名が集まらず、色々と不満が飛び交うようになったその時、後ろから誰かが男達に声を掛けてきた。


「皆さんの訴え、しっかり聞かせて頂きました。よろしければ、私たちが一緒に手伝いましょうか?」

「え?あんたら、誰?」


 拓馬が訝し気に尋ねると、隆也は目を大きく見開き、三人にゆっくり近づいた。

 三人はそれぞれ、楽器を手にしていた。


「あ、あなた達は、ひょっとして……」

「おお、あなたは以前もここでケヤキの木の保全を訴えた人ですよね?私は『大きなケヤキの樹の下で』を作った啓一と、妻の万里子です。そして……」


 啓一はすっかり白髪になった長髪を片手でかき上げると、万里子の陰に隠れていた一人の少年の袖を掴み、隆也の前にそっと押し出した。


「ほら、瑞樹みずき、隠れてないでちゃんと挨拶しなさい」


 少年はどことなく居心地が悪そうな様子であったが、やがて隆也の顔を見上げると、軽く頭を下げて会釈した。


「はじめまして。園田瑞樹そのだみずきといいます。両親が世話になってます」


 

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