第5章 歴史の波に揉まれながら

第52話 何処にいるの?

 春の暖かい風が吹く公園の中、僕たちケヤキの木には少しずつ、若葉が芽吹いてきた。

 厳しい冬を越え、僕たちの身体は一見何もなさそうに見えても、所々不具合も出てくる。今日は樹木医の美絵瑠が、僕たちの樹皮や幹の具合、根っこの様子などをしっかり点検してくれた。


「う~ん、今年の冬は寒かったよねえ。ちょっと樹皮が剥がれおちてまちゅね」


 そう言うと、鞄から薬品を取り出し、剥がれた部分にゆっくりとこすりつけた。

 謎のおまじないを唱えながら。


「はーやく はーやく なおりますようにっ」


 そう言うと美絵瑠は微笑みを浮かべ、僕の身体を優しくさすった。


「はい、美絵瑠先生の診察完了~☆」


 え……?いつものことではあるけれど、これだけなの?

 美絵瑠先生の診察は、触っておまじないを唱えて終わってしまった。 

 いまいち納得が行く治療法ではないけれど、このおまじないが案外効き目があるので、あなどれないのも事実であった。

 その時、美絵瑠の後ろから、作業衣をまとった若い男性二人が近づいてきた。

 彼らは小声でささやくように美絵瑠に何事か伝えると、美絵瑠は突然、不機嫌な表情を浮かべた。

 いつもは天真爛漫な笑顔を浮かべている美絵瑠が見せたしかめっ面に、僕も、そしてケビンも驚いていた。


「お兄さんたち、なんでそんなひどいこと言えるのぉ?美絵瑠、信じられなぁい」


 そう言うと、美絵瑠は頬を膨らませ、頭に両手の人差し指を立てて、足早に去っていった。


 作業衣の男性たちは、額に手をあてて首をひねっていた。


「樹木医の先生が言いたいことはわかるけど、もうこの公園、築六十年以上経つんだよなあ。そろそろ本格的に直さないとまずいんだよな」

「とりあえず、粘り強く話すしかないかもなあ」


 作業衣の男性は、おそらく市の職員なのだろう。

 彼らの言いたいことは、大体理解できる。

 僕がこの公園に来て、はや三十年以上の月日が経っているが、おじさんがこの場所に来たのがさらにその数十年前で、その時にこの公園が完成したと聞いていた。

 そのため、最近はあちこちに傷みが目立ち始めていた。

 特に表面を覆うアスファルトは所々で剥がれ、僕の根っこの部分は盛り上がっており、間違って躓き、転倒する可能性もあった。

 どこかのタイミングで工事をしないと、危険が高まっていく一方であると感じていた。

 そしてある日、僕の心配はとうとう現実化してしまった。


 近くのマンションから、三輪車に乗った幼い子どもとその母親が出てきた。

 子どもは、三輪車で僕の周りを何度も走っていた。


「ママ~!楽しいね、三輪車」

「あいなちゃん。三輪車に乗るのが上手になったね」

「うん!」


 三輪車に乗ったあいなという子は、母親に向かって時々嬉しそうに片手を振っていた。

 その時、三輪車は突然バランスを失って転倒し、放り出されたあいなは顔面から地面に叩きつけられた。


「あいなちゃん!」


 母親は慌ててあいなに駆け寄った。

 抱きかかえてあいなを起き上がらせると、顔面から血が流れ出ているのが見えた。


「あいなちゃん!しっかりして!」

「ママ、いたいよお~……」


 母親はあいなを抱きかかえると、時々悲鳴のような声で叫びながらマンションの中へと連れて行った。

 三輪車は、ちょうど僕の根っこで盛り上がったアスファルトに車輪が引っ掛かり、転倒したようだ。

 やがて、救急車がマンションの真下に到着し、あいなを抱きかかえた母親が心配そうな表情で乗り込んでいった。


『ルークさん、あの子、大丈夫かなあ?僕から見ても、ひどい怪我しているように見えるけど?』


『まあな、ケビン……無事だと良いんだけどな、あの子』


 数日後、作業衣を着た市の職員数名が、僕の周りに続々と集結した。

 そして、少し遅れてあいなの母親と、父親らしき男性がマンションから出てきた。

 父親は高価そうなスーツを着込み、襟元には何かの紋章らしき大きなバッジが光っていた。

 二人が来ると、職員達は一同頭を下げた。


「このたびは、大変申し訳ございませんでした」


 すると、母親は睨みつけるように職員達を見つめ、叫び出した。


「うちの子は大事には至りませんでしたが、可愛くあどけない顔に大きな傷が出来て、今も傷口が痛いって夜な夜な泣いていますよ。確かに、うちの子の不注意で転倒したかもしれません。でもね、あなたたちの公園管理が怠慢だから、うちの子が大怪我を負ったんですよ?その責任はどうとるつもりなんですか?」

「うちの妻から話は聞きました。大体、この公園はあちこちでこぼこだらけじゃないですか?近所の人に聞いたら、出来てから相当な年数が経っていると聞いてますよ?どうして改修しないんですか?遊具だって、何一つもない。こんな前時代的な公園、ここぐらいですよ?」


 母親に続くかのように、父親は、まくし立てるように職員を怒鳴りつけた。


「本当にすみません。以前、震災が起きた時に一部改修はしたのですが、それ以外の部分は全く手つかずでして……」

「言い訳は結構です!僕は一応弁護士なんでね、この件については早速市に損害賠償請求を検討させていただきます。それから、この公園の改修について、あなた方には早急に計画を立てていただきたい。返事のタイムリミットは一か月です。その時に僕たちが納得できる説明を頂けない場合は、市を相手に管理責任を問う訴訟も検討します」

「そ、訴訟?」

「そうです。これだけ地面が荒れているのに長年放置し続け、うちの子が転倒したのは、市の管理責任が問われるのは明らかです。そういうことで、よろしいですね?」


 そう言うと、父親は背を向け、靴音を立てながらマンションへと帰っていった。

 職員たちは、ため息をつくと、

「とりあえず、きちんと賠償して、概要でも何でも、計画は示さないとな。」

「けど、アスファルトを削るだけで良いんですか?遊具もないって不満言ってましたよね?」

「その辺りも含めて、計画を示すしかないよな」


 リーダーらしき職員は、やつれたような表情でうつむきながら答えていた。


「この公園に立つケヤキはどうしますか?今回被害に遭った子どもは、ケヤキの根っこが盛り上がった部分に車輪が当たって転倒したようですが」

「出来れば切りたくはないが、こないだ上司と打ち合わせしたら、ケヤキが成長してだいぶ根が張ってきて、再整備するにあたり障害になっていると指摘されてね。移植か伐採も含めて考えろって言われたんだ。で、こないだ樹木医にも相談したんだけど、露骨に嫌がられたよ」

「きちんと再整備しながら、ケヤキを残すとなると、なかなか難しいですね」

「だから頭が痛いんだよ。聴いたところによると、昔この公園では、震災で傷ついたケヤキを伐採することに対し、地元の人達が反対運動を起こしたみたいだから、やりにくいんだよな。あの時も苦肉の策で、ケヤキを移植する形で決着したらしいし」


 職員たちは、ため息交じりに雑談しながら、ぞろぞろと帰っていった。


『ルークさん、僕たちは伐採される話になってるの?』


『いや、今のところはまだそこまでの話じゃないけど、公園の整備計画次第じゃわからないな』


『そ、そんなの嫌だ!僕なんかまだここに来て10数年しか経ってないじゃないか』


『気持ちは分かるが、この公園は人間が管理する以上、僕たちの運命は人間の都合で決まるんだよ』


『そんなの人間の身勝手だ!僕は絶対許せない!そんなことさせてたまるか!』


 涙声で叫ぶケビンの言葉は、痛いほどわかる。

 けど、ケヤキである僕たちは何の不満も言えないし、抵抗も出来ないのが悔しい。

 そのことだけでなく、先程の職員達の話の中に、僕にとってとても気になる話題があった。

 それは、以前ケビンのいる場所に立っていたおじさんは、伐採ではなく移植されたということである。

 僕は今までずっと、おじさんは伐採され、もうこの世にいないと信じていた。

 本当に移植されたのならば、一体どこに移植されたのだろうか?おじさんにまた会いたい、という気持ちが心の奥から湧き上がってきた。




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