第498話 噂は広まる世界へと(前編)

 ここは世界の何処とも繋がっていない彼女だけの世界。強いて言えば、見ようとすれば自分の生まれ変わりの少年の目を通して外の世界を見ることができる。普段は晴れ渡る空の下、コスモスの花が風にそよぐだけの静かで穏やかな世界。


 そんな、一人だけの花園に置かれた椅子に座り銀色の髪を靡かせながらフォルセティは物憂げな表情を浮かべていた。


 「……双魔とティルフィングがやっつけたアレ……明らかに神かそれに準ずる気配がしたわ……胸騒ぎがして黙って覗いてしまったけど……嫌な予感がするわね……何かが動き出しているのかしら……」


 テーブルに両肘をついて、手に顎を乗せて考えてみる。が、答えは一つに決まっている。


 「でも、私は見守るだけって決めたから、破るわけにもいかないわ。もし……双魔の方から何か聞いてきたら助けてあげましょう!うん!それがいいわ!」


 フォルセティは悩むのを止め、立ち上がると歩き始めた。何処まで歩いても同じ景色だが、散歩をすると昔を思い出して楽しい。


 「ティルフィング……双魔と一緒に楽しく、穏やかに過ごして……穏やかは無理かもしれないけど、せめて、楽しく、ね!」


 強い風が吹いた。金糸の衣と美しい髪が舞い上がる。フォルセティの笑顔は何処までも慈悲深く、少しだけ寂しそうだった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ブリタニア王立魔導学園で行われた当代の“聖剣の王”ジョージ=ペンドラゴンと“滅魔の修道女”アンジェリカとの対決。そして、その後に行われた“英雄”と遺物科の一生徒の対決の情報。それはヴォーダン=ケントリスやジョージ=ペンドラゴンらの情報操作を経た上で世界中に拡散された。


 情報の内容は…………。


──欧州、とある国のとある町。


 街角のカフェテラスの一席で一組の男女が行き交う人の視線を集めていた。男は短く切り揃えた黒髪と手入れの息届いた顎髭が目を引く眼光鋭い長身の東洋人。女は陽光に輝く流水のような銀髪を肩に流した北欧系の美女。双魔の両親、天全とシグリだった。


 「ねーねー!ダーリン!双ちゃんのこと聞いた?」

 「………ああ、聞いた」


 静かにコーヒーを味わう天全にシグリはウキウキして仕方がないといった笑みで愛しの旦那様に声を掛けた。返事は素っ気なかったがシグリは全く気にしない。


 「もう、“英雄”に太刀打ちできるなんてビックリだわ!流石私たちの愛の結晶ね!!」

 「……よくやっていると言っていいだろう。が、これで隠れているのは無理になった。アイツは少し無気力なところがある。いい薬になるだろう」

 「もうっ!そうやって冷たいこと言っちゃって!心配してるの、私にはお見通しなんだから!」

 「…………」


 天全は僅かに視線を逸らしてコーヒーを口に含んだ。如何やら図星らしい。


 「双ちゃんはまだ秘密にしてるみたいだけど、“枢機卿”でしょう?遺物協会からも位階を与えられるのかしら?」

 「……教会の者も目を止めざるを得ないだろう……これから世界は動く。立場があった方が動きやすいこともある……さて」


 天全はコーヒーを飲み干すとテーブルに代金とチップを置いて立ち上がった。シグリがその顔を見上げる。


 「あら?この後は何処へ?聞いてないけれど……」

 「イスパニアに向かう。ガビロール宗家のキリル殿に挨拶をしておいた方がいい。愚息が面倒を掛けるやもしれないからな」

 「ああ!イサベルちゃんのご両親ね!私もまだ直接会ってないから楽しみだわ!さっ!行きましょ!」


 シグリも席を立つと天全の右上に抱きついた。天全は少し歩き難そうにしたがそのまま歩き出した。二人の背は駅に向かって次第に小さくなっていくのだった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



──イスパニア王国、王都マドリード。


 王宮魔術師団長、キリル=イブン=ガビロールはとある情報を確認し、年甲斐もなく広大な屋敷の廊下を走っていた。そして、目的の部屋に辿り着くと勢いよく扉を開けた。


 「サ、サラ!はぁ……はぁ……大変だよ!!」

 「あら、そんなに大慌てで何があったのかしら?」


 日の光が差し込む明るい部屋の窓辺で花瓶に花を活けていた愛妻のサラが手にしていた鋏をテーブルに置いてキリルの方へと身体を向けた。


 「そ、双魔くんがっ!……」

 「双魔さん?彼がどうかしたの?」


 サラは立ち上がって息を切らしているキリルに寄り添うと優しく背中を摩る。愛娘の婚約者の話となれば夫の慌てようも分からなくもない。


 「ふぅ……ありがとう、少し落ち着いたよ」

 「それは良かったわ。それで?」

 「ああ……今しがた聞いた話では、学園祭の最中に成り行きで“滅魔の修道女”と決闘を行ったらしいんだ!しかも、瀬戸際まで追い詰める大健闘だったそうだよ!」

 「“滅魔の修道女”……遺物協会の“英雄”、序列十位……大物ね」


 娘の婚約者の予想外の活躍に少し興奮気味なキリルと対照的にサラは冷静だった。


 「あ、あまり驚かないんだね?」

 「ええ、私たちの可愛いベルの相手なんだから、それくらいやってもらわないと困るわ。それに、男性を見る目には自信があるのよ、私。だから、双魔さんがベルと婚約することも認めたし……貴方と結婚したの」

 「あ……ああ……そうか……うん、そうだね……うん……」


 思いもしない方向から愛の言葉を受けて一瞬で大人しくなってしまった夫を見て、サラは微笑んだ。


 「まあ、照れているのかしら?可愛い人ね……可愛い貴方も素敵だけれど、仕事ができる貴方も好きよ?その一件で双魔さんは有名にならざるを得ないでしょう?そうなったら、ガビロール宗家として彼の力にならなくてはならない機会も訪れるでしょう?」

 「ああ、それは分かっているよ!僕たちの義理の息子になる人物だ。まさかここまでの大物とは思わなかったけれど……イサベルのためにも、彼のためにもするべきことはするよ!早速取り掛かろう!それじゃあ、ティータイムにまた来るよ!」

 「ええ、待ってるわね。頑張って……チュッ!」


 やる気に満ち溢れた夫の頬に軽くキスを浴びせると、頼りになる顔は何処へやら。照れ臭そうにキスを受けた場所を手で押さえながら部屋を出ていった。


 「中身だけじゃなくて実力もそこが知れない……ベル、我が娘ながら男を見る目は私以上かもね?」


 サラは愛する娘が双魔を初めて連れてきた時の顔を思い出す。花を切る鋏の音が先ほどよりも小気味よく聞こえ、後から部屋を訊ねてきたベテランの侍女は不思議そうに女主人を見つめるのだった。

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