第474話 夢魔は案外心配性

 フローラの放送が学園に響き渡った頃、ヴォーダンは学園長室で朝食を摂っていた。今日のメニューはエッグベネディクトにハネムーンサラダ、それにいつもの紅茶だ。


 持っていたカップの中の紅茶を飲み干してヴォーダンは傍に控えているグングニルに差し出した。


 「ご主人様、準備が整いました。ご朝食の後、時刻となり次第、闘技場にご移動お願いいたします」


 グングニルは受け取ったカップに紅茶を注ぎながら今後の予定について話し始めた。


 「うむ……客人たちは?」

 「ペンドラゴン様はご朝食を召しあがっております。デュランダルと修道女は闘技場の貴賓室にお泊りになりましたため問題はないかと」

 「ふむ……」


 ヴォーダンは自慢の白髭を一撫でして思案した。昨日、デュランダルが双魔とティルフィングと一触即発になったことは把握している。ハシーシュからの報告も受けた。デュランダルの性格は知らない訳ではない。高飛車で気分屋だがさっぱりしているところもある。遺恨はあまり覚えているようなタイプではない。今日は遺物科評議会のメンバーは全員闘技場の警備に当たることとなっている。ゲイボルグやアイギス、カラドボルグとの間にも緊張が走ったというが……。


 「……特に問題なかろうて……何かあればあった時に対応すればよい……」

 「……」

 主人の独り言に反応することはなく、グングニルは紅茶を差し出した。

 「して、外に不穏な動きはあるか?」

 「今回はそのような動きはございません。事前に眼は詰んでおります。それに……」

 「“英雄イロアス”が来ておれば迂闊には動けぬか……が、デュランダルとアンジェリカめは何か探るつもりで来ておるのだろう。ただでバティカヌムが“英雄”を送ってくるわけがない……が、今は捨て置いてよいじゃろうて……うん?」


 新しく紅茶の注がれたカップをヴォーダンが持ち上げたその時だった。突然、床に部屋一杯の大きさの青白い三重の魔法円が浮かび上がる。一番内側ルーン文字の刻まれた魔法円がゆっくりと回転しはじめ、徐々にそのスピードを上げていく。やがて各辺が五十センチメートルほどの正方形の映像のようなものが執務机の目の前に浮かび上がった。


 「……マーリンか」

 『いやいや、魔術体系の違う術式に逆から繋げるのも一苦労だよ!やあやあ!ヴォーダン!

元気にしてるかい?』


 映像の向こうから陽気な声と共に白と金が入り混じった天然パーマの髪の中から角を生やした見目麗しい青年が姿を現した。


 “叡智ワイズマン”の一人。ジョージの先祖、伝説の王アーサー=ペンドラゴンに仕えた大魔術師だ。話し好きのお調子者だが、“永遠”の呪いが掛けられた異界に閉じ込められているため、向こうからコンタクトをとってくるのは珍しい。


 「急用か?」

 『うーん、急用って程でもないんだけどね。今、そっちにジョージが行ってるだろ?調子はどうかなって?』

 「……気丈に振舞ってはいるが、に大分浸食されておるようじゃな」

 『あー、やっぱりそう見える?前も話したかもしれないけど、アイツがそろそろ目覚めそうなんだよね。そうしたら……世界の勢力図も変わらざるを得ない。その辺はヴォーダン、頼んだぜ?』

 「儂は儂の為すべきことを為す。言わずもがなじゃ」

 『さっすがー!頼りになるねー!いやー、それにしても……』

 「うん?」


 マーリンの声が少しだけ暗くなったように感じた。極楽蜻蛉の彼にしては大変に珍しい。


 『……ジョージも可哀想だなってね。少しだけ思うよ。ジョージはアーサー以来の真に聖王剣を担う者だ。身体は呪いに侵される。妻は早死に、娘には拒絶されてる。心は自分の運命に雁字搦め。僕だったら耐え切れないよ。凡人に生まれるのがどんなに幸せなことか。その辺分かってない奴ばっかりだね。人間ってのは』

 「フォッフォ!お主は存外繊細じゃからな……ところで、エクスカリバーは目覚めたのか?」

 『いや、ここぞという時まで起きないんじゃない?ただ……』

 「ただ?」

 『清算が済んだら、どうするつもりか分からないね。次の彼女の契約者、ジョージの娘は僕の予想だとこれまでとは違う意味で最高の聖王剣の担い手だ。その時になってエクスカリバーも考えを変えるかもしれない……そう言えば、彼女はどうしてるんだい?』

 「ふむ……ここ数日、部屋に閉じこもっているようじゃの」

 『……なるほどね。ジョージもその辺を解きほぐしてから逝ってくれないと難しそうだなぁ……』

 「お主も人の心配をするか」

 『ハッハッハ!失礼だなヴォーダン!僕はアーサー王の師にして家臣、庇護者だぜ?彼の末葉を心配しても全くおかしくないじゃないか!』

 「左様か……ところで己の末葉は気にならぬのか?」

 『僕の?あ!ヴィヴィちゃん?』

 「正統な方じゃ」

 『あー、フローラか。彼女は僕に似てるだろう?ヴィヴィちゃんよりね』

 「フォッフォッフォ!先ほども愉快に騒いでおったわ」

 『だよねー!でも、フローラの心配はしてないよ。僕がいなくなっても次の王にはしっかり仕えるだろうからね。仕事ぶりも僕に似て完璧なはずさ!それよりもやっぱり心配なのは……』

 「彼女のことは……心配あるまい。妹の方のペンドラゴン君がおる。円卓の騎士をまとめる助けになろう。 エクスカリバーとの相性がよければあれこれ言うまい。それに……ペンドラゴン君は伏見君に何か感じて託したようであった」

 『ああ!例の……おっと……あの少年の話を下手にすると“千魔の妃竜”の呪いが飛んでくるからね…………そうか……ジョージは彼に感じるものがあったのか……ハッハッハ!世界は混沌に向かっているのにいつでも面白い!消滅するのは勿体ないなー!』

 「……詮無きことを」

 『アッハッハッハ!確かにね…………この世界は基本的に残された者の方が苦労するものだ!』

 「呑気なものだ……さて、儂はそろそろ仕事がある。お主より暇ではないのでな」

 『あっ、そう?それじゃあ、突然悪かったね!また近いうちに会おう!』


 マーリンはそういって柔らかく微笑んで見せると映像は霧散した。向こうから連絡してきて、別れる時は突然なのだから実に勝手気ままだ。


 「…………また、世界が大きく動く……か」


 ヴォーダンは失ったままの隻眼で虚空を見つめる。既に叡智は失われている。見えるものは少ない。


 「ご主人様、お急ぎになられませんと……」

 「フォッフォッフォ!とんだ闖入者だったわ」


 グングニルに言われて時計を見るとそろそろいい時間だった。ヴォーダンは一笑いするとエッグベネディクトに齧りついた。ポーチドエッグは少し冷めて黄身はいつもよりどろりとしていた。


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