第448話 王の話
「用件は済んだようじゃな。それでは、皆、戻って最後の準備を進めなさい。学園祭の成功を儂も期待しておる」
話に区切りがつくと静寂を保っていたヴォーダンが口を開いた。恐らく、この後ジョージと何か重要なことについて話があるのだろう。
双魔たちはそれを察して顔を見合わせると立ち上がった。
「おお、グングニル、後で菓子を各学科の評議会に差し入れてやるように」
ヴォーダンは双魔の膝から飛び降りたティルフィングを見て、思い出したのかグングニルにそう命じた。
「お菓子?」
「菓子!」
食いしん坊コンビがすぐに反応して目を輝かせた。
「かしこまりました……ティルフィング、試食です。お食べなさい」
「む!本当か!?いただきますっ!はむっ……むぐむぐむぐ……うむ!美味だ!」
いつの間にか取り出したのか、グングニルはティルフィングに近づくと一口大のフィナンシェを差し出した。それを食べて、ティルフィングはぴょんっと跳び上がった。
「……いいな」
双魔の横ではロザリンが羨ましそうにティルフィングを見ている
。
「ロザリンさんも後でもらえますから、我慢してください」
「……うん」
「それでは、失礼しました。ティルフィング、行くぞ」
「うむ!」
「し、失礼しました!」
「おっ、お会いできて光栄でした!失礼します!」
双魔に続いてアッシュとフェルゼンも退室の挨拶を口にした。最早、二人共緊張を通り越して、ジョージに会えたことに感動しているようだった。
フィナンシェに気を取られて動かなくなってしまったロザリンを押しながら、双魔が部屋を出ていく二人の後を追おうとしたその時だった。
「ああ、双魔君。もう少しだけ構わないかな?君には伝えたいことがあったのを思い出したんだ」
ジョージが双魔を呼び留めた。アッシュとフェルゼンは既に部屋の外だ。
「……後輩君、私も先に行ってるね?」
「え?あ、はい……」
ロザリンはジョージの意図を察したのか、今さっきまで動かなかったのが嘘のような速さで部屋を出ていった。学園長室には双魔とティルフィングだけが残される。
「すまないね、何度も」
「……いえ……」
ジョージは笑いながら双魔に席を勧めてきた。双魔は勧められるがままにもう一度、ソファーに腰を掛けた。ティルフィングは今度は膝の上ではなく、双魔の隣に座った。
「まず、そうだな。君には妹が世話になっていると思うからお礼を言っておきたい。ありがとう」
ジョージはそう言って苦笑した。妹というのは双魔のクラスの担当講師で、永い付き合いになるハシーシュのことだ。ブリタニア王家の当主と王立魔導学園の講師という二人の隔絶した立場から顔を合わせることは少ないが兄妹仲は悪いというわけではないのは双魔もハシーシュの言から何となく分かっていた。会うと色々とお節介を焼いてくるのが面倒らしい。が、嫌がっている様子はなかった。
「それは……まあ、はい……いやいや、こちらこそハシーシュ……先生にはお世話になっています……」
「気を遣わなくていいよ、双魔君。ハシーシュが酒浸りなのは知っているからね。仕事に差し支えて学生に迷惑を掛けていないといいんだが……」
「迷惑は……何も言わないでおきます。ただ、いい先生だと思いますよ。あの人は。ああ見えて生徒思いですし」
「……なるほど、君がそういうなら安心だ」
双魔のぶっきらぼうながらハシーシュを誉める言葉を聞いたジョージは一瞬、僅かに目を大きくして驚いたように見えたが、すぐに嬉しそうに微笑んだ。
「ハシーシュが酒のせいで毎日遅刻してくるのは我もどうかと思うぞ」
「……ティルフィング」
「む?ソーマ、どうした?」
いい感じに話題を終えられたと思ったところで、ティルフィングがまさかの巻き戻しの一言を言ってしまった。が、それを聞いてジョージはさらに楽しそうに笑った。
「君の剣は随分素直なようだね。実にいい……名をティルフィング殿と言ったかな?貴女は素晴らしい遺物だ」
「そうか?お主も、何というか……うむ、不思議な感じがするが、いい人間だと思うぞ?」
「これは光栄だ。遺物の方に褒めてもらえるなんて貴重だ。私の周りの遺物たちは皆手厳しい」
「そのようなことはないと思われますが……」
ジョージの冗談とも受け取れる言葉を聞いてプリドゥエンが不満そうにしていた。彼女の反応を見るに冗談のようだ。
「……一つ、伺ってもいいですか?」
「何かな?」
「親父とお袋とハシーシュ先生は同い年……らしいですけど、ジョージさんは……話を聞く限りでは親父と同い年に聞こえますし……双子ではないですよね?失礼ですけれど、ハシーシュ先生とジョージさんはあまり似てませんし……」
話し振りを聞くにジョージとハシーシュは兄妹ながら同い年という風に双魔には聞こえた。そこが何となく気になったのだ。
「ああ、そのことか。そうだな……ハシーシュはあまり話したがらないけれど、いい機会かもしれないから教えておこう。君ならハシーシュも悪くは思わないだろう」
「……はあ」
「詳しい話は省くけれど、私とハシーシュは母親が違うんだ。同じ年に私の方が少し早く生まれた。それだけのことさ」
「……そういうことですか」
(……複雑な事情がありそうだな)
ペンドラゴン家は世界の守護を司る一族。特殊な事情があっても何ら不思議はない。双魔は悪いことを聞いたかもしれないと思ったが、謝ることはしなかった。話してくれたジョージに礼を失することはしたくなかった。
「ハシーシュのことはもういいかな。兄としてはデュオニソスと仲良くするよりもヘラの祝福を受けて欲しいのだけれどね。これを言うとまた煙たがられてしまうからね。この辺にしておこう」
”デュオニソス”とはギリシャ神話の酒と酩酊の神。ヘラは結婚の神だ。ジョージはハシーシュに酒よりもいい人を見つけて幸せになって欲しいようだが、普段の彼女を見る限り難しい、と双魔は思った。
(……今頃、くしゃみしてるな)
安綱に「主、風邪ですか?」と聞かれているハシーシュの姿がすぐに頭の中に浮かんだ。
「ハシーシュの話はこれくらいにしておこう。とにかく、これからも妹のことをよろしく頼むよ」
「……ええ、出来る限りは……」
「うん、君は天全よりも気が利いて、シグリと違って適度な世話焼きみたいだね。君に任せておけば安心だ」
(……親友というだけはある……親父とお袋のことをよーく分かってる……)
息子の双魔からしてもジョージがの両親への評価は適当だった。思わず苦笑しそうになるのを何とか堪えた。
「それじゃあ、もう一つだけ私の頼みを聞いて欲しい。今から君にする話は月明かりに照らされた霧のようにぼんやりとして、掴みどころのない、理解の難しい話だと思う。けれど、君に託すのが良いと、ただのジョージではなく。当代の聖剣の王たるジョージ=ペンドラゴンが判断した。だから、君には是非聞いて欲しい。いいね?」
「っ……」
「む………」
突然、ジョージの雰囲気が変わった。今までと微笑みは変わらない。しかし、空気が確実に変わっていた。威圧するようなものではない、包み込んでくるような雰囲気。まさに真に王たるものの纏う空気だと双魔は感じた。
自然と居住まいを正してしまう。ティルフィングも隣で驚いていた。
「それでは、話そう。理解出来なくてもいい。きっと意味はいつか分かる。大切なのは胸に刻んでおくことだ。故に、心して聞いて欲しい。女神の生まれ変わりにして、”
威厳に満ちたジョージは語り掛けるように話しはじめた。いつか起きるであろう未来を見据えた漠然たる希望を。絶望を切り裂き、世界を和たらしめる誰かの話を。
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