第432話 いざ、総合会議

 「…………」


 評議会室に入ってからおよそ十分。コーヒーの香ばしい匂いが立ち込める中、僅かな時間しか経っていないにもかかわらず、双魔は疲労困憊といった様子で自分の椅子に背を預けていた。身体は疲れていないが、心が疲れた。


 「~♪」


 それに引き換え、ロザリンは上機嫌そのものだ。既にシャーロットが確認したというフェルゼンの作った書類に目を通して決裁の印をぺたりと押している。


 「……双魔、その、凄かったよ?お疲れ様……これ飲んで元気出して」

 アッシュがソーサーに乗せた淹れたてのコーヒーで満たされたカップを置いてくれた。

 「……見てたろ?」

 「うぇ!?な、何のこと?僕、何も見てないよ?」


 (……やっぱりな)


 アッシュは露骨に動揺した。別に双魔も気づいていたわけではないが、一応、鎌をかけてみたのだ。アッシュは見事に引っ掛かった。見られてしまったものは仕方ないので、ジトーっとした湿った視線を送るだけで勘弁しておくことにする。


 「……ううう……仕方ないじゃない……好奇心に勝てなかったんだよぅ……」


 アッシュは申し訳なさそうにしながら開き直るという、ある意味器用なことをしながら砂糖の入った入れ物を出してくれた。


 「アッシュ先輩……その……」

 「ああ!ごめんね!ミルクとお砂糖だよね!」


 ブラックコーヒーが飲めないシャーロットにアッシュは温めておいたミルクと砂糖の入った小壺を渡した。


 「……ありがとうございます」


 シャーロットは表情を和らげて受け取ると、角砂糖をカップにポチャポチャと幾つも投入していく。そして、十個に届くか届かないかのところでミルクを注ぎ、恐らく激甘であろうカフェオレを完成させると、一口飲んでホッと一息ついた。


 「双魔、そろそろ準備した方がいいんじゃないか?」


 フェルゼンがダンベルを置き、時計を見た。確かにそろそろ準備を整えて時計塔の大会議室に向かった方がいいかもしれない。万が一遅刻すると面倒なことになりそうだ。


 「ん、そうだな……これ飲んだら行く……んっ……うん、美味い」


 アッシュの淹れてくれたコーヒーは癖のない飲みやすいものだった。気疲れも回復していくような気がする。


 (……まあ、これからまた気苦労が重なるのは間違いなさそうだが……)


 総合会議の内容を想像するだけで疲れる。正確には内容というより会話かもしれないが…………。


 「……後輩君、元気ない?」

 「っ!びっくりした!……そんなことないですよ?」


 コーヒーはすぐに飲んでしまったのか、ロザリンが顔を覗き込んできた。


 「……そう?後で一緒にご飯食べに行こ。食べたら元気出るよ」

 「……そうですね、後で」

 「うん、約束」


 普通の人が見ればただの無表情だが、双魔はロザリンの気持ちを無表情の中に読み取れるようになっている。今はとても嬉しそうだ。目に見えない犬耳と尻尾がぴこぴこふりふり動いているイメージだ。飽くまでイメージだが何となく癒される。


 「……んっ……んっ……ふうー……さて、行くか」

 双魔は丁度いい温度に冷めたコーヒーを一気に飲み干すと立ち上がった。

 「双魔、これ書類纏めておいたから……その……頑張ってね?」

 「ん、ごちそうさん……まあ、何とか、な」


 アッシュが苦笑を浮かべながら紙束を渡してくれた。苦笑は癖のある他学科の議長と面識があるからだろう。


 「最後ですから。ここで大きな変更を起されないようにしてください……ロザリン先輩では難しいでしょうから、副議長にお願いしておきます」

 「……ああ」


 シャーロットが頼みごとをしてくるのは珍しいが以前の総合会議では二度ほど一般の出店の参加などの規模変更が採用されてしまい、シャーロットは魔術科と錬金技術科の庶務と一緒に東奔西走していた。直前で仕事を増やされてはたまらないという確固たる意志を感じる。


 「まあ、もし何かあっても俺たちだって力は尽くすからな!いつも言ってるが気楽に言ってくればいい!」

 「フェルゼン先輩の言うことは聞かなくていいです。変更は絶対阻止です!いいですね?」

 「……まあ、出来る限り、な」

 「あははは……」


 フェルゼンは頼もしいことを言ってくれるが、シャーロットは念を押してきた。アッシュはそれを聞いて笑っている。フェルゼンとアッシュは気合で仕事をやり切るタイプだが、シャーロットは理論派なのだ。


 「後輩君、行こ」

 「はい。んじゃ、まあ……ゆっくりコーヒー飲みながら祈っておいてくれ」


 双魔は苦笑を浮かべ、軽く手を振るとロザリンと一緒に評議会室を出た。


 誰もいない廊下を二人で歩いていく。外からは屋台を組み立てる木槌の音や生徒たちの賑やかな声が聞こえてくる。


 「みんな、楽しそうだね」

 「ん、そうですね……そう言えば……」

 「なに?」

 「ロザリンさんは去年も遺物科の議長でしたけど……学園祭は何をしていたんですか……その……」

 「……気にしてくれてる?ありがとう」

 「……いえ……」


 ロザリンは昨年も遺物科の評議会議長として学園祭の準備と運営に関わっているはずだが、バロールの呪縛のために昼間は時計塔の部屋で眠っていなければならなかったはずだ。訊ねるのは躊躇われたが、双魔は訊かずにはいられなかった。


 「去年はね、紙のお仕事をして、後は夜に悪戯する人がいないように見回りしてた。学園祭の日は賑やかだから、なかなか眠れなくて窓からちょっとだけ覗いた。みんな楽しそうだった」

 「…………」


 そう言うロザリンは少し寂しそうだった。が、それも一瞬だけだった。


 「でも、今年は後輩君のおかげで私も楽しめそう。色々な食べ物のお店が出るみたい。後輩君、一緒に回ってくれる?」

 「……ん……任せておいてください」

 「うん、頼りにしてる」


 開いた窓からふわりと風が舞い込んだ。さらさらと揺れる若草色の髪が期待に胸弾むロザリンの気持ちを表している。双魔の燐灰の瞳にはそう映った。



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