第416話 チェス、やろ?

 さて、歩き出した二人だが、双魔はこうしてロザリンと二人きりで出掛けることになった昨日の出来事を思い出していた。きっかけは評議会室で学園祭の書類を纏める作業の休憩時間だった。


 『後輩君、これ、やろ?』

 『……突然何ですか……チェス?』


 ロザリンがいそいそと自分の机の中から取り出したのはチェス盤だった。少しぶ厚く、取っ手がついている中に駒がしまえるタイプのようだ。


 『チェスかぁー。アイは強いんだよね、チェス。ロザリンさんもやるんですか?チェス』


 アッシュも話に入ってくる。今日はいないが、アイギスは趣味が高じてボードゲームに総じて長けているのだ。


 『ううん、初めて』

 『……確かに影の国にいた時も、ロザリンがボードゲームなんてしてた覚えもないな……何でチェスなんてやろうと思ったんだ?』

 『確かにねー。小さいころのロザリンはそれこそ食事にしか興味なかったわ。ね?フェルゼン?』

 『ッ!?カラドボルグっ!抱きつくな!胸を押し付けるなといつも言っているだろう!!』

 『ウフフッ!嫌よ!』


 持ち込んだダンベルを右手で上下させながらフェルゼンも会話に入ってくる。その後ろからいつも通りフェルゼンをからかうカラドボルグも興味津々のようだ。


 ちなみに”影の国”とはロザリンの師匠にして育て親。ケルトの大英雄たちの多くが指示した神霊スカアハが統べる異界のことだ。つまり、幼いころのロザリンもチェスに興味を示していなかったということだ。


 『本で読んだ。チェスに勝つと何でも一つ言うことを聞いて貰えるって』

 『勝つと……』

 『何でも……』

 『言うことを聞いて貰える?』


 ロザリンは至って真剣なようだが、そんなルールは聞いたことがない。アッシュとフェルゼンも聞いたことがないようだ。果たして、ロザリンはどんな本を読んだのか気になるところだ。


 『ってことは、ロザリンさんは双魔に何かして欲しいことがあるってことですか?』

 『うん』

 『それなら別に普通にたの……むぐっ』


 「普通に頼まれれば聞きますよ」と言おうとした双魔の口はカラドボルグに塞がれた。パワー系遺物に押さえられては双魔も声を出せない。


 『面白そうじゃない!双魔、受けてあげなさいよ。貴方が持ってきたお菓子もあるんだし。食べながら見るのにちょうどいいわ!ちなみに、ロザリンが負けたらどうするの?』

 『うん?その時は私が後輩君のお願いを何でも聞く』

 『きゃ!何でもですって!双魔!勝つしかないわね!』


 カラドボルグはテンションが上がったのか、双魔から離れて身体をくねらせている。


 『……双魔、すまん』


 面白いことを優先する契約遺物にフェルゼンが謝って来た。が、最早慣れっこだ。ティルフィングもたまに我儘を言う。大人しくロザリンとチェスをするしかない。双魔は自分の口を塞いでいるカラドボルグの手を軽く叩いた。


 『んー、んー』

 『あら、話が分かるわね!やっぱり、フェルゼンには双魔を見習って欲しいわ!』

 『それじゃあ、お茶の準備もしないとだね!ちょっと待ってね!』


 話は決まったとばかりにアッシュが電気ケトルのスイッチを入れた。


 『えーっと、キング、クイーン、ビショップ……ポーンが八つ』


 ロザリンは盤の上に駒を並べ始めた。双魔とフェルゼンの手持ち無沙汰。カラドボルグは何かするつもりはないようだ。


 『とりあえず、袋から菓子を出すか……フェルゼンも手伝ってくれ』

 『おう、皿も用意するか』


 双魔とフェルゼンは机の上に菓子を広げていく。ルサールカに貰った菓子で、かなりの量がある。が、ロザリンがいるので丁度いい量だろう。


 『そう言えば、今日はティルフィングはどうしたんだ?』

 『ああ、サロンだ。安綱さんが新しい日本茶と菓子を取り寄せたんだとさ』

 『それに、アイがすごろく大会を開く予定だった今日とタイミングが合ったから、新茶会とすごろく会なんだってさ!』

 『……なるほど、カラドボルグがこっちにいるのはそのせいか……』

 『何か言ったかしら?』

 『っ!いや!何でもない!』

 『そう?ならいいわ』


 視線に気づいたカラドボルグに睨まれたフェルゼンはすぐに誤魔化した。カラドボルグとアイギスは犬猿の仲だ。サロンに一緒にいることもあるが、片方が中心になる日は顔を合わせないことで、喧嘩にならないようにするのを暗黙の了解にしているらしい。


 『できた』

 『お茶の準備もできたよ!』


 そうこうするうちにチェスの準備も、お茶の準備も済んだ。双魔とロザリンはチェス盤を挟んで向かい合わせに座り、左にアッシュ、右にカラドボルグとフェルゼンが席をとった。全員の手許には湯気の立つマグカップと茶菓子が置かれている。


 『それじゃあ、始めようか。後輩君は白と黒、どっちがいい?』


 チェスは白が先攻、黒が後攻だったはずだ。双魔もチェスの知識は朧気だが、それくらいは覚えていた。


 (……相当自信があるのか……まあ、選んでいいなら好きな方を選ぶか……)


 『じゃあ、黒で』


 双魔は先攻が有利な勝負事も、基本的には相手の出方を窺う性分だ。迷いなく、後攻を選ぶ。


 『うん。それじゃあ、私からだね?うん……えい』


 ロザリンは少し考える素振りを見せると普通に兵士を一つ進めてきた。


 『…………』


 双魔もそれに合わせて兵士を一つ動かす。そのまま序盤は両者大きな動きもなく進んでいく。


 すぐに分かったが、ロザリンはやはり双魔と同じでチェスに関しては素人だった。


 たまにアッシュが「あぁ……」とか「ううん……」とか小さく声を漏らしているが、慣れている者から見ればよくない手なのだろう。


 戦局が大きく動いたのは、ロザリンが攻めの態勢を整えかけていた中盤に差し掛かった直後だった。


 『……んじゃ、ここでキャスリングですかね』

 『……あ』


 ”キャスリング”とは特殊な動きの一つで王と戦車の位置を入れ替える手だ。双魔は王の駒を手に取り、戦車の駒の一つと入れ替えた。その瞬間、双魔の守勢が完成し、逆にロザリンの王が無防備になってしまった。


 『双魔、タイミングはいいけど意地悪だよね』

 『……確かにな』

 『……普通にさしてるだけだぞ……心外だ』


 アッシュとフェルゼンに野次られてしまった。今の一手で二人はロザリンを応援する気になったらしい。


 『……うーん』


 ロザリンは形勢逆転に困ってしまったのか形のいい眉が少し曲がっていた。王を守るために女王を動かす。が、一手では対応しきれない。


 『今度は俺の番ですね』


 双魔は攻撃に転じるとロザリンの駒を着実に減らしていく。そして、五手後。


 『チェック』

 『……むむ』


 双魔の騎士がロザリンの王を捉えた。ロザリンがさらに眉を曲げたその時だった。


 ガチャッ!


 評議会室の扉が開いた。全員の視線がそちらに向く。入ってきたのは碧の毛並みが美しく大きな犬、そう、ゲイボルグだった。


 『おー、おー、やってるな!戦局はどうよ?』


 尻尾を揺らしながらチェス盤を覗きにやってくるゲイボルグ。ロザリンにおかしなことを吹き込んだ犯人に違いない。


 『あちゃー、このままじゃ不味いな』

 『おい、また、ロザリンさんに何か教え込んだろ?』

 『おいおい、勘弁してくれ!今回はノータッチだ』

 『うーん……こう、かな?』

 『あ!ロザリンさん!そこは駄目!』

 『?』


 双魔がゲイボルグに冷たい視線を送っている間にロザリンが駒を動かしていた。それをアッシュが止めようとしたが、時すでに遅し。ロザリンは駒を盤上に置いてしまっていた。


 『……あー……やっちまったなぁ……こりゃあ』


 ゲイボルグが呆れた声を出す。盤上を確認してみると、ロザリンが王を置いたマスは双魔の僧侶の手が届いているところだった。


 『……これで、チェックメイト、ですか』


 双魔が気まずそうに騎士を動かした。これでロザリンの王は何処にも逃げることができない詰みだ。


 『……うーん……うーん…………』


 勝負は決したはずなのだが、ロザリンは投了せずにうんうん唸っている。余程負けたのが悔しかったのだろうか。それとも”頼み事”を聞いて貰えないと思っているのだろうか。


 『……ロザリンさん、心配しなくても……』

 『……そうだ!』

 『ロザリンさん?』


 「頼み事は聞きますから」ともう一度言おうとした瞬間、何やら思いついたらしいロザリンがパッと立ち上がった。そのまま机を回って双魔の隣にやって来る。そして……


 『えいっ。これでチェックメイト』

 『……何してるんですか?』


 ロザリンは双魔に後ろから抱きつくとチェックメイトを宣言した。勿論、これがチェックメイトになるはずがない。ないのだが……


 『ヒッヒッヒッヒ!こいつは確かにチェックメイトだ!』

 『駒を動かしてる人が囚われたら駒は動けないものね!確かにチェックメイト!ロザリンの勝ちね!』


 ゲイボルグとカラドボルグが面白がってロザリンの勝利を主張しはじめたのだ。


 『……まあ、ルール外だが一理あるか……ロザリンの勝ちかもしれないな?』

 『……ロザリンさん……大胆……』


 フェルゼンは腕を組んで難しそうな顔。アッシュは何故か頬を薄く染めていた。双魔が勝ったはずなのに、最早ロザリンが買った雰囲気だ。


 (……まあ、結果は変わらないからいいか……)


 実に不思議な状況だが、ここで自分勝利を主張するほど子供ではない。ロザリンの頼みは聞くつもりなのも変わりはないのだ。


 『分かりました。俺の負けです』

 『本当?』

 『ええ、ロザリンさんの頼み事、何でも聞きますよ……聞きますから……耳を嚙まないでください』

 『うん?分かった』


 抱きついたまま双魔の耳をはむはむと甘噛みしていたロザリンは口を離すと自分の席に戻った。


 『それじゃあ、後輩君にお願いしたいことなんだけれど……』

 『何ですか?』

 『あのね?明日……』


 ロザリンが口にした双魔への頼み事。それは何と言うこともない普通のことだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る