第398話 双魔の問い

 「お巡りはんたちには悪いことしてしまったねぇ?」

 「ん、そうだなぁ」


 ちらりとティルフィングを見ると双魔のジャケットの裾を握ったままきょろきょろしている。見慣れない人に囲まれるのは相変わらず苦手のようだ。いつか慣れる日も来るのだろうか。そんなことを双魔は思う。


 そのまま五分も歩けば街はいつもの様子に戻っていった。甲高いサイレンも遠くなっていく。大通りに出て、小道を二本抜ければアパートのある通りだ。少々強すぎる街灯の明かりがアパートの赤レンガを照らしている。


 「……ん?」

 「……あれって……」


 ふと、玄関を見ると人影が見えた。離れていても分かる如何にも心配事があって居ても立っても居られないといった様子だ。


 「うむ!左文だ」


 ティルフィングの言う通り立っていたのは左文だった。通りの左右を見回している。


 「もしかして、さっきの事故がニュースになってるんとちゃう?」

 「なるほどな。まあ、ここからも近いし……」


 そんなことを話していると左文が双魔たちに気づいたようで凄まじい速さで駆け寄ってきた。綺麗な顔には大きく「心配」と書いてあるような表情だ。目も少し潤んでいる。


 「坊ちゃま!!鏡華様!!ご無事だったんですね!!よかった!!お二人に何かあったら私はもうっ!!近くで大きな事故があったようで……」

 「ん……それなんだが……」

 「……ほほほ」

 「?」


 バツが悪そうに頭を掻く双魔と何かを誤魔化すように笑みを浮かべた鏡華に左文は不思議そうな表情だ。が、双魔が手短に経緯を伝える少しの間に左文の顔は百面相だった。


 目を大きくして驚き、口を半開きにしてあわあわと慌て、頬に両手を当てて眉間に皺を作り、少し涙目になっていた。そして、最後に今度は左文が誤魔化すように「コホンッ」と小さく咳をした。


 「と、兎にも角にもお二人が無事ということで、左文は安心いたしました」

 「……そうか」

 「ごめんなぁ……心配かけて……」


 取り乱したことを気にしているのか背筋を伸ばして静かにそう言った左文に双魔と鏡華は何も言わなかった。目が少しだけ赤くなっているなどとは口が裂けても言わない。


 「坊ちゃまも鏡華様もお帰りになったということは夕餉の準備をはじめても構いませんね?」


 双魔が何も言わなかったのが功を奏したのか左文はもういつも通りに戻っていた。


 「ん、大丈夫だ。が、まだ少し用事が残ってるから」

 「…………?」

 「かしこまりました。どれくらいお時間はかかりますか?」


 左文は頷いて聞き返したが何も聞いていなかった鏡華は思わず双魔の横顔を見つめてしまった。


 (……用事?)

 「一時間もあれば足りる」

 「ソーマ、我もついていった方がいいのか?」

 「ん?大丈夫だ。ティルフィングに土産をまだ買ってないからな。一緒に買いに行ったらつまらないだろ?」

 「なるほど!分かった、我はお留守番だな」


 (何や、用事ってティルフィングはんのお土産……他にどっか行きたいところでもあるんとちゃうの)

 「ん、それじゃあ、行ってくる。鏡華、行こう」

 「え?あっ……うん…………」


 鏡華が胸の中で双魔の「用事」に肩透かしを食らっていたところ、双魔に手を握られたので少し驚いてしまった。双魔は気づいていないようだ。


 「事件に巻き込まれないよう、重々お気をつけていってらっしゃいませ」

 「早く帰ってくるのだぞー!」


 左文とティルフィングに見送られて双魔と鏡華は再び街に繰り出す。既に夜の帳は落ち、アパートの周りは静けさが訪れている。


 「…………」

 「…………」


 双魔は黙って鏡華の少しだけ前を歩いていく。鏡華はついていくだけだ。春の夜、冷たい空気の中、握られた手が暖かい。自然と自分の胸が高鳴っているのが鏡華には分かった。


 双魔は帰ってきた道を逆に辿ってテムズ川の方へと戻っていく。途中で左に曲がった場所を反対に曲がり、その後も何回か道を曲がり、やがて川辺の遊歩道に着いた。


 離れたところではついさっきまでいた事故現場が見える。まだパトカーや消防車がランプを光らせている。一方こちらは街灯しかない。人影もなく静かだ。事故現場が特別目立っているだけでもう少し視界を広くとれば夜景が綺麗だ。


 しかし、鏡華は川を横目に少し戸惑っていた。双魔はなぜこんなところに来たのだろうか。


 「……双魔?ティルフィングはんのお土産買うんと違うの?こんなところにお店あらへんよ?」

 「…………」


 鏡華が口を開くと双魔は立ち止まり、握っていた手を離してゆっくりと振り返った。


 燐灰の瞳と暗褐色の瞳が重なった。双魔はいつもの優しい眼差しで鏡華を見つめている。その奥に、僅かな戸惑いのようなものがあるのを鏡華はすぐに悟った。


 「そう……」

 「鏡華」


 「双魔」愛しい人の名前を呼ぼうとした声はその愛しい人によって遮られた。今から自分は何を言われるのだろうか。高鳴っていた胸がさらに大きく鼓動した。


 「……何?」

 「……聞きたいことがある」

 「……聞きたいこと?……双魔の聞きたいことならうち何でも答えるけど……」

 「……ああ……ありがとう……それじゃあ、単刀直入に……最近、鏡華の様子はおかしい……俺の目にはそう見えて仕方がない……」


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