第382話 女神への誓い

 「…………」


 ロキとの決着のついた夜、双魔は自室の窓から空を眺めていた。


 冬の夜空には煌めく星々の女王のように月が静かに浮かんでいた。少し欠け、雲のかかった月は人の胸に寂しさと言う冷たい炎を灯す。


 レーヴァテインはまだ目を覚まさない。隣の部屋で眠っているのを今はティルフィングが見ている。


 数時間前、レーヴァテインを背負って帰った時の左文の顔と叫び声は面白さと少しの申し訳なさを感じさせるものだった。ティルフィングを連れて帰った時のことを考えれば妙な勘違いをされてもおかしくなかった。


 しかし、左文は双魔の顔を見ると多くのことを聞かずにレーヴァテインの滞在を認めてくれた。双魔たちが疲れていることも瞬時に見抜いたのかすぐに風呂を沸かし、食事を用意してくれた。全く左文には頭が上がらない。明日詳しい話をしなくてはならない。


 左文が言うには双魔たちが帰って来る少し前にグングニルから電話があったらしい。学園長からの伝言で「事態は凡そ把握している。詳細はハシーシュに聞く故今は休め。レーヴァテインに関しては双魔に任せる」内容は以上の四点だ。


 こちらとしてはありがたい話だがそのうち学園長から聞かなければならないこともある。


 「……はー…………」


 双魔は深く息を吐いた。それで今の思考は薄らいで消えていく。


 月を眺めているとロキとのやり取りを思い出す。そして、フォルセティの告げた悲しい事実をも。


 『それで?俺に伝えなくちゃならないことってのは……まあ、ティルフィングのことか』

 『……ええ、その通りよ……さっき、何かおかしいと感じたことはなかった?』

 『おかしい……か……そうだな……』


 フォルセティが言い出したことだ恐らくティルフィングとフォルセティの間で起きたことだろう。こめかみをグリグリと刺激しながら双魔は記憶を辿っていく。


 そして、合点のいかない点に思い当たった。双魔の顔に驚きと戸惑いが浮かぶ。


 『っ!?……どういうことだ?…………まさか…………』


 双魔の脳裏にティルフィングのある言葉が甦る。


 『む?なんだ?むむ?声が聞こえなくなったぞ?』


 ティルフィングの記憶について訊ねる時、フォルセティが気を利かせてティルフィングの耳を塞いだ時、不思議そうにしていた。


 『むむっ?何だ目が見えなくなってしまったぞ?誰だ!?我の目を塞いでいるのは!?』


 こちらはレーヴァテインへの魔力譲渡に必死だったせいでうろ覚えだが、恐らくフォルセティに目を塞がれたであろうティルフィングは同じように何が起きているのかが理解できていない様子だった。


 その二つから導き出される推測に双魔は思わず言葉を失った。それは余りにも寂しく、残酷な推測だった。


 双魔とフォルセティの視線がぶつかる。フォルセティは変わらずに微笑んでいた。しかし、その笑みには僅かに悲しさが滲んでいた。それが、フォルセティの答えだった。


 『…………ティルフィングは……ティルフィングは…………』


 言葉が出なかった。ロキは二千年以上フォルセティとの再会を望んでいた。フォルセティはティルフィングの幸せを双魔の中で願っている。双魔が生まれるまでの間、フォルセティの意識が何処に在ったのかは分からない。しかし、その間もティルフィングのことを思い続けていたはずだ。


 ロキとフォルセティは同じだ。ロキはフォルセティの幸せも願っていたはずだ。そして、フォルセティはティルフィングとの再会も願っていたはずだ。


 双魔には想像できないほどの永遠ともいえる時間を過ごしてきたフォルセティの心中を慮ると双魔の口はそれ以上言葉を紡ぐことは出来なかった。


 『……双魔、ありがとう……貴方の考えている通りよ。あの子には私に関する記憶が……残っていないわ……だから、私のことは認識できない。ティルフィングと私が交わることはきっともう……ない』

 『そんなことはっ!……いや……その…………』


 「そんなことはない!」その言葉を双魔は飲み込んだ。そう言ってしまうのは簡単だがそれは無責任な感情論に過ぎない。


 『……ありがとう……貴方の優しさは十分伝わっているわ。本当にありがとう。私は大丈夫よ……貴方の中でティルフィングと貴方を見守っているわ。これまでと同じように、ね』


 フォルセティは微笑んだ。また、あの寂しげな笑みを浮かべた。その笑顔に双魔はついに我慢が出来なくなり、叫んだ。


 『っ!そんな悲しそうに笑うのはやめてくれ!約束する!俺がアンタに約束する!いつか必ず、ティルフィングにアンタを思い出させて見せる!勿論、ティルフィングを傷つけずにだ!俺とティルフィングのはじまりはフォルセティだ!アンタはティルフィングと再会して喜びを分かち合わなくちゃならない!その権利がある!ティルフィングにとってもそれがいいに決まってる!俺はティルフィングを幸せにすると決めている!それはアンタの口にしない願いを叶えることも含まれているはずだ!魔術師として、ティルフィングの契約者としてアンタに誓う!だからっ!…………その涙は……その時まで流さずにとっておいてくれ……頼む!』


 微笑みを浮かべるフォルセティの美しい瞳が潤んでいるのを双魔は見逃さなかった。否、見逃すことができなかった。


 『双魔……………………フフッ…………フフフフフフフフッ!』


 フォルセティは双魔が突然大声を出したのに驚いたのか目を見開いた。が、すぐに笑い声を上げた。


 『…………」

 『フフフフッ……ありがとう。貴方がそんな大きな声を出すなんて思わなかったからびっくりしたわ!そうね…………諦めるのはまだ早いかもしれないわね!だから、貴方に期待することにするわ!それでいいでしょう?』

 『……ん、ああ……任せてくれていい』


 どうやったのか双魔には分からなかったが、溢れかけていたフォルセティの涙は消えていた。代わりに満面の笑みと期待の籠った温かい眼差しが双魔に向けられる。


 『それじゃあ、お話は終わりよ。あの子のところへ行ってあげて』

 『ん、ティルフィングのことも、アンタのことも幸せにして見せるさ』


 双魔の宣言と共にコスモスの花弁が風に舞い、視界がぼやけていく。双魔の瞳に映ったフォルセティは笑顔のまま、楽し気に大きく手を振っていた。


 「……幸せにして見せる……か……」


 無論、約束は果たすつもりだが、その方法に見当はついていない。我ながら無茶な約束をしたものだ。そう思うとおかしくなって少し笑ってしまった。


 「……そう言えば……俺のすぐ傍でティルフィングを見守るって言ってたな……つーことは……今もそうなのか?……普段自由に会えたりするのかも聞いておけばよかったな……」


 コンッコンッ


 失念に気づきこめかみを親指でグリグリと刺激して渋い表情を浮かべていると部屋のドアがノックされた。


 「……ティルフィングか?」


 カチャッ、キィー……


 「……ソーマ、入ってもいいか?」


 ティルフィングはそーっとドアを開くとひょっこり顔を出した。


 「ん、いいぞ」


 双魔は頷くとティルフィングはそのまま双魔の傍までテテテッと早歩きで寄ってくる。その腕には枕が抱きしめられていた。


 「……今日は一緒に寝て欲しい……だめか?左文もキョーカもよいと言っていたのだが……」

 「ん、そうか……ほれ」

 「うむ!」


 ティルフィングは双魔がレーヴァテインに魔力譲渡をする際にかなり不安そうにしていた。一緒に寝て欲しいなどというのは初めてだが断るつもりはなかった。


 取り敢えず双魔はベッドに座りなおすと掛け布団を捲ってやる。すると、ティルフィングはぴょんっとベッドに飛び込んだ。


 「……レーヴァテインはどうだ?」

 「まだ目を覚まさないぞ、ハリが見張りを代わってくれた」

 「そうか……ん、まあ、今日は疲れたしな、寝るか。色々考えるのは明日にしよう」

 「うむ、それがいい……むふふ、ソーマと寝る安心するな」


 双魔もベッドに潜り込む。ティルフィングはご機嫌だ。が、すぐに寝息を立てはじめる。その寝顔は安らかだ。


 「……おやすむ、ティルフィング……んっ」


 双魔は優しくティルフィングの前髪を掻き上げると額に優しく口づけした。何となくそんな気分だった。フォルセティもきっとティルフィングにそうしていたに違いない。そう思いながら瞼を閉じる。


 すぐに眠りが迎えにやって来る。穏やかで幸せな眠りがやって来る。見る夢は如何なるものか、少なくとも悪夢ではない。


 冬の夜は深けていく。されど眠る者たちは温もりに包まれて……。


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