第二章「異形の進軍」
第298話 終末への進軍
黄昏の満ちる最果ての部屋、永劫に差し込み続ける斜陽を背に、一つの人影が空を見上げていた。
机上には兵士と僧侶の駒が倒れたチェス盤、黒の駒だけが整列し、白の駒は見当たらない。
その隣には紅と蒼に彩られたアドリア海の女王を彷彿させる仮面が虚ろな眼穴を天井に向けている。
「……時は満ちた、こういう時にいうのだろうね」
遥か彼方の過去、神々の王との戦争を、最も愛された女神の命をこの手で奪った、奪ってしまったあの戦いに瞳を閉じて思いを馳せる。
それに呼応するように身体に魔力が満ち満ちる。身体の奥底から噴き出し、荒ぶる魔力を鎮め、ゆっくりと振り返り、壁一面ガラス張りの窓から眼下を見下ろす。
黄昏に染まった雪原には蒼白い肌の死者の国より復活させたヨトゥンヘイムの巨人が数十体、氷山のように整然と並んでいる。
その足元には獣や小型の竜、半分身体を失った人間などの軍勢が列を成す。
軍勢の後方には世界に終わりをもたらす炎の化身、ムスペルヘイムの巨人十体が炎熱の壁を造り上げる。
さらに燃え盛る巨人たちの後ろにはこの空間を圧迫するほどの巨躯を誇る獣が二頭、奥底に憎悪を猛らせた静かな双眸をこちらに向けている。
「…………」
彼の大戦と比べればこちらの戦力はお粗末なものだがこれだけあれば十分だろう。何故なら、自分の目的は勝利ではない。運命の収束と世界に対する一種の加護を果たすことだ。
かつての同胞のほとんどはこの世界を去った。あの時、自分が死ななかった理由は分からない。されど、この命を失わなくてはいけないということを直感が訴えかけていた。
あの兄が、その力を差し出してまで一振りの魔剣を封印したことも、世界のすべてに愛されながら命を落とした女神の生まれ変わりが誕生し、封印を解かれた魔剣と契約したことにも意味があるはずだ。
「……フフフ、難しいことを考えてしまうあたり、私もただの悪神ではないということかな……」
コンッコンッコンッ。
笑みを浮かべて独り言ちるのと同時にドアを叩く固い音が部屋に響いた。
「…………」
ドアに向き直ると机の上の仮面を手に取り、顔に装着する。
「……入りなさい」
入室を許可すると白いドレスに身を包んだ蒼髪の少女、魔剣レーヴァテインが胸の前につば広の白い帽子を抱えて入ってきた。
「ご主人様、準備が整いました」
「…………」
仮面越しにレーヴァテインを見つめた。これが彼女とゆっくりと話す最後の機会だろう。
「……ご主人様?」
何も言わない自分を不思議に思ったのかレーヴァテインは顔を上げると可愛く首を傾げた。
「おいで、レーヴァ」
「はい!」
手招きをして呼び寄せるとレーヴァテインは顔を綻ばせてすぐ傍へとやってきた。
「顔を……お前の顔をよく見せておくれ……」
「……はい」
レーヴァテインは帽子をとって両手で抱くように持ち自分の顔を見上げてくる。
サテンの手袋に包まれた細い指でレーヴァテインの頬を撫でる。少しくすぐったそうに笑うその顔はあの魔剣に、ティルフィングに瓜二つだ。
それもそのはずだレーヴァテインは自分が、この手でティルフィングに似せて造りだしたのだから。
(…………私が死ねばこの子は……あの少年はどうするだろうね?)
その身に受け継いだ真の力を、神の力を解放せずとも女神の面影を見せる銀と黒の髪の少年の顔が思い浮かんだ。
待望の時が近づいたが故か多くのことを考えてしまう。しかし、これは目的を果たした後でもいいだろう。
雑念を振り払い、レーヴァテインの頬から手を離し、頭を優しく撫でると背を向けた。身に纏ったローブがゆったりと波を打つ。
「それでは、行こうか」
「かしこまりました」
一歩踏み出して右手をかざす。硝子がひび割れ砕け散った。斜陽に煌めき琥珀の欠片のように真っ白な雪原へと消えていく。
もう一歩、踏み出し宙へと足を進めた。その瞬間、永劫だった黄昏が氷のように溶けはじめた。止まっていた太陽は徐々に地平線へと沈みゆき、銀世界が闇に染められていく。
レーヴァテインを伴って宙を一歩一歩、踏みしめるように歩いていく。
やがて、眼下に控える異形の軍団の目の前で歩みを止めた。
「…………これより、我が悲願を成就させる。汝らはその駒であり贄である。私のために尽くせ、それを汝らが甦った意味と心得よ!」
眼下の軍勢は呼び掛けには答えない。当然だ、軍勢の大半は最早魂亡く、肉体のみが存在しているのだから。
「ワオォォーーーーーーン!」
「シャーーーーーー」
反応を示したのは最後に身を置く小山程の大きさの白い巨狼とそれよりさらに数倍の大きさを誇る蜷局を巻いた大蛇だ。
二頭は自分の子供たちであり、末の娘に頼み込み、その魂を解放し、千子山縣が作り出し、ヴェルンドが改良、そして自らの手で完成させた”操魂の魔針”で復活させたこちら側の最大戦力だ。
「ハハハ!流石、我が子たちだ!……他の者にも力を与えよう!」
高揚に任せて抑え込んでいた魔力を全て解放する。巨人たちと比べれば矮小この上ない身体から凄まじい魔力、否、そのような生易しいものではない。正真正銘の神気が迸り、空間全体を満たしていく。
神気に当てられ、整然と並んでいた肉体だけの軍勢の戦士、巨人たちに生気が甦った。
「「「オオオオオオォォ!」」」
「「グギャーーー!」」
「「「キシャーーー!」」」
「「オオォォーーン!!」」
戦士たちはガチャガチャと鎧を鳴らして雄叫びを上げ、獣たちは叫び、巨人は手にした槍の石突で地面を揺らした。
太陽が沈み、闇の大地となった雪原に闘気が膨れ上がる。
「……こんなものか……それでは行くとしよう……滅びを導く
高らかに詠唱すると沈みかけていた小さな太陽が、永久に続いた黄昏の残滓がその形を徐々に変化させていく。球体から一筋の光線へ。一筋から二筋、二筋から三筋へと幅の広い光線が宙への道程を示す道を形作っていく。
「一なる光は七色へ!滅びの予兆は此処より、我が足下より始まる!現れよ”
詠唱の終了と共に七本まで増えた光線がそれぞれ異なった色の道となり天へと繋がれ、軍勢の前に降り立った。
「それでは進軍だ!”閉ざす者”の真を示す!我が名はロズール!愛しき女神よ、麗しの魔剣ティルフィングよ!待っていろ、”
仮面の君、その真の名を”閉ざす者”悪神。彼女の哄笑を合図に異形の軍団を何処かへと続く虹の橋へと進軍を開始した。
ロズールの消えた瞬間、悠久に存在した琥珀の空間は消え去った。
収束する運命と因果は刻一刻と、女神の力を受け継いだ少年と、その契約遺物である一振りの魔剣に迫っていた。
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