第296話 母、来訪
同じ頃、ブリタニア王立魔導学園の長たるヴォーダン=ケントリスは庶務机で提出された書類を読んでいた。内容は春に行われる新入生の歓迎会を兼ねた大規模な学園祭についてである。
この行事についてはほとんどを学生に任せているが、そのまとめ役である各科の評議会から上がってきた案に認可を下すのは学園長の役目だ。
「…………うむ、魔術科と錬金技術科においてはこれでよかろう」
頷いて書類を机の上に置くと万年筆を手にとってサイン欄にさらさらと署名する。
(遺物科のものは……ああ、伏見君が体調を崩していると聞いたか)
遺物科の書類については副議長である双魔が体調を崩し、連名の書類にサインができないので提出が遅れると書記であるアッシュ=オーエンと会計であるフェルゼン=マック=ロイから昼頃に直接報告があった。
提出期限までにはまだ余裕があるため、問題ない。双魔に大事にするように伝えて欲しいと言っておいたのだ。
「ふー……グングニル、紅茶を…………グングニル?」
息をつき、椅子に身体を預けて契約遺物の名を呼ぶが応答がない。
「……ふむ……」
自慢の髭を一撫でした時だった。扉の向こうに気配を二つ感じた。一つはグングニルのもの。もう一つも知っている特徴的な気配だった。
「……思ったよりも早く来た、か」
コンッコンッコンッ!
ヴォーダンが呟くのとほぼ同時に扉が小気味よくノックされた。
『ご主人様、お客様をお連れしました』
「うむ、入りなさい」
『失礼します』
目の前で扉がゆっくりと開き、グングニルが一礼して、後ろの影を部屋に入るように促す。
「…………」
部屋に入ってきたのは女だった。水色のドレスを身に纏う目鼻立ちの整った美女だ。
陽光に輝く流水のような銀髪とどこかで目にしたことがある理性的な蒼い瞳がこちらを見つめている。
若々しくも成熟した紛れもなく大人の女性といった雰囲気だ。が、発した一言目でそれは崩れた。
「チャオ!お久しぶりね、学園長!」
厳粛な表情は一瞬で消え去り大輪の花が開くように、いや、花火が夜空に弾けるようにと例えた方がいいだろうか。年齢には少し似合わないほどの明るい笑顔に変わった。
「うむ、久方ぶりじゃな……シグリ」
「そうね!急いできたから疲れちゃったわ!座ってもいいかしら?」
そう言うと”シグリ”と呼ばれた女性はヴォーダンの返事を待たずに来客用のソファーに腰を下ろした。
「フォッフォッフォ!お主、相変わらずじゃのう……グングニル、紅茶を」
「かしこまりました」
扉を閉めたグングニルはその足でミニキッチンへと姿を消した。
「やっぱり、ここのソファーって座り心地いいいわねー!」
年甲斐もなくソファーを軽くたたいて感触を楽しんでいるこの溌剌さと高貴さを醸し出す銀髪の女性。名を”伏見シグリ”。何を隠そう、ブリタニア王立魔導学園遺物科評議会副議長兼魔術科臨時講師、伏見双魔の実母である。
双魔が年の割に落ち着いた性格なのは確実にこのシグリの影響だと言い切っていいほど明るく、無鉄砲な性格の人物だ。
「突然、来る故、少し驚いたぞ」
「フフフ!冗談でしょう?私が来ることなんてお見通しだったくせに!」
ヴォーダンの冗談に快活な反応を見せてシグリはしっかりと座りなおした。お転婆とお淑やかさが混在したあまり存在しないこの女がヴォーダンは好ましく思っている。
既にこの世界から去って久しい自分の愛孫娘に、シグリは外見も中身もよく似ている。
「伏見君、いや、お主も伏見じゃったな……息子には会ったのか?今、体調を崩していると聞いたが……」
ヴォーダンの言葉を耳にして、シグリの表情は不安気な母親のものに変わった。が、それも一瞬のことですぐに微笑を浮かべた。少々寂しさが滲んでいるのは一目でわかった。
「……双ちゃんのことは心配だけど……大丈夫よ。双ちゃんには鏡華ちゃんと左文ちゃんがついていてくれるし、ティルフィングもいるでしょう?それに、他の女の子もいるかもしれないから、下手に私が顔を出さない方がいいわよ」
「ふむ……そういうものか」
「そういうものなのよ!」
ヴォーダンは髭を一撫でする。双魔の周りに女子が集まっていることはヴォーダンも把握している。それもイサベルやロザリンのような才に溢れる者ばかりだ。が、特段問題視するようなことでもない。シグリは母親としては何か思うところがあるのかもしれない。
「そうそう、ダーリンが学園長によろしくって」
「天全か……今回は珍しく一緒ではないのう……」
”天全”とはシグリの夫で双魔の父である”伏見天全”だ。無愛想なところがあるが慎み深い良い男だ。
二十年前、シグリはブリタニア王立魔導学園魔術科の学生で、遺物科に短期留学したのが伏見天全だった。当事から噂の人物だった二人をヴォーダンはよく知っている。
「今回は私に任せた方がいいだろうって。ジョージくんのところに行ってるわ」
「ふむ、そうか……」
”ジョージくん”とはキャメロットのペンドラゴン王家の現当主、世界の守護を司る聖剣エクスカリバーの契約者、ジョージ=ペンドラゴンのことだ。
ジョージもかつてのヴォーダンの教え子であり、天全とジョージは無二の友だ。今更、親交を温める仲ではない。何か世界に都合の悪い事態を掴んだのかもしれないが自分はシグリが来た案件に集中しなくてはならない。それが、永き時を過ごしてきた意義であり、償いだ。
「お待たせしました」
そうこうしているとグングニルが紅茶と菓子を持って戻ってきた。流れるような動きでヴォーダンとシグリの前にソーサーに乗せたカップと菓子の皿を置いてヴォーダンの後ろに控える。
ふわりと室内に心落ち着かせる紅茶の香りが漂った。
「……して、此度は何用で来た?」
ヴォーダンは再び、分かっていながら敢えてシグリに訊ねた。ヴォーダンの問いにシグリは手にしたカップを傾けて紅茶を一口、飲み込んでから笑顔で答えた。
「勿論、愛しい我が子の進路相談よ」
その声に遊びは一切混在せず、只々一人の魔術師として覚悟と、母親としての慈愛だけが込められていた。
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