第278話 魔眼の目覚め
「むっ!あ奴、もうあんな所に!」
先ほど消えたレーヴァテインの背中はロザリンたちのもうすぐ近くまで辿り着いていた。
が、それ以上は近づかない。理由は、双魔の目にはっきりと映っていた。
高速で肥大化した白い影と華奢な人影が動き回り、交錯し、時々火花を立てて激突している。
「バウッ!」
神狼が吠えるとそれだけで空気が震える。
勢いよくロザリンに喰らいつこうとするが手足を装甲で覆ったロザリンは凄まじい槍捌きでそれをいなしている。
「ソーマ、どうする?」
「……何とかして隙を作りたい……もう少し近づいてくれ」
「うむ、分かった」
ティルフィングは軽やかに飛び跳ねてレーヴァテインとほぼ同じ距離に降り立った。
距離を縮めのはいいがこれは双魔の誤算だった。
(……速いな……速すぎる)
嵐のような攻防は高速という言葉では生温いほどだった。両者とも一点に留まる時間が途轍もなく短いのだ。狙いを絞っての援護は確実に不可能だ。
(……蔦じゃ捉えきれないしな……”
京で鵺を封殺した”万獣殺しの覇王華”は獣に絶対的な効果がある。神狼も恐らく鵺と同じように無力化できるはずだ。しかし、ゲイボルグが犬の姿を取っていることを考えるとロザリンにも影響が出る可能性を省ききれない。
(……どうする?)
「ソーマ、ソーマ」
双魔が思考の迷路に踏み込もうとしたとき、ティルフィングの明るい声で呼ばれた。
「ん?どうした?」
「ソーマは怪我をしているのだ。ここも我にまかせろ!」
「ティルフィング……っ!そうか……分かった、ティルフィングの力を使う。下ろしてくれ」
「うむ!」
双魔がそう言うとティルフィングは慎重に双魔を背中から下ろした。そして、双魔が差しだした右手をしっかりと握った。
「汝が名は”ティルフィング”盟約に従い真なる姿を我に示せ!」
ティルフィングが紅の光に包まれ、弾ける。双魔の右手には黒の魔剣が握られる。
双魔はティルフィングを身体の中心に合わせて直角に構えると漆黒の剣身に左手を添えた。
「”
双魔が静かに唱える。双魔の全身が紅の剣気に包まれる。そして、剣身に添えていた左手を下げると前方、 ロザリンと神狼の攻防へと向けてティルフィングを横薙ぎに一閃する。
すると、剣気が細かい粒子となって散り拡散して辺りを霧のように包み込んだ。
「グルルルル……」
「…………後輩君だね」
突然立ち込めた鮮血の如く紅い魔力を帯びた霧に神狼は警戒を見せているようだがロザリンは双魔の仕業だと察したのか動ずることはない。
「バウッ!」
「……」
神狼は霧から逃れようと後方に跳んだ。しかし、ロザリンはそれを追わない。つかず離れずの攻防を繰り返していた二者に距離が空いた。
「……ん、思ったより上手くいきそうだな、ロザリンさんも察してくれて流石だ……ってわけで”
「ッ!?」
双魔が鋭い声を上げた直後、異変が起きた。紅い霧がパキパキと音を立てて細氷へ変化しはじめたのだ。
それは神狼の輝く白い毛に纏わりついていた紅い霧も全く同じだった。
神狼の後ろ脚が、右前足が、胴が、尾が、耳が凍てつき動きを鈍らせていく。
「バウッ!」
氷を振り払おうと身を思い切り震わせた神狼だったが非情にも紅氷は神々しき身体を蝕むことをやめない。
そして、神狼の判断は早かった。
「……グルルルルッ!バウッ!」
神狼は跳んだ。先ほどまで爪牙にて鎬を削った、魔槍を操る少女に一矢報いんと跳んだ。それは全て主の命を守る忠誠心故の己の身を顧みぬ行動だった。
凍てついた身体が重い。上手く動かない。しかし、自分はまだ死んではいない。
そう思い、懸命に跳んだ。自慢の俊足は殺され、速度は出ない。だが、少女との距離は縮まっている。やり遂げて見せる。
されど、時は万物に等しく与えられる。神狼が動揺したほんの数秒に満たない隙は、少女にとっては獲物を仕留める準備を整えるためには充分であった。
神狼の金色の瞳には、長柄の魔槍を輝かせ、涼しい顔で構えている若草髪の少女の姿が映った。
「ワォォォォォォォン!」
雄叫びを上げて触れるだけで崩れるはずなのに、決して届かない少女へと、顎に並ぶ鋭牙を煌めかせて最後の吶喊を志す。
双魔の搦手で進退窮まった神狼が大口を開けて、自分に喰らいつこうと突っ込んでくる。
「…………ゲイボルグ」
(おう!準備は万端だぜ!)
「うん、それじゃあ、やる」
ロザリンは静かにゲイボルグを強く握りしめて構えた。ゲイボルグが強い碧光を帯びる。
時の流れが緩慢に感じられ、神狼の牙がゆっくりと迫ってくる。
そして、神狼が射程に入った瞬間、ロザリンは両脚とに力を籠め、腕で捻りを加えてゲイボルグを前方、神狼の口内へと目にも止まらぬ速さで突き出した。
「ゲイボルグ”
繰り出されたゲイボルグは口内を突き抜け、体内までにも達する。
「グル……ルル……ルッ!」
それでも絶命しないのか一瞬、神狼は致命傷を与えられてもなお、ロザリンに喰らいつこうとした。
が、次の瞬間、深く差し込まれたゲイボルグの穂先が数十の刃となり、身体の内側から神狼を刺し貫いた。
神狼の全身から碧光を放つ刃が突き出し、それに伴って血が噴き出す。美しかった神狼の白毛は紅氷と己の血で一遍も残さず紅に染まっていた。
神狼はそのまま、息絶えた。壮絶な死であった。
(ソーマ、すごいな……あれが、ゲイボルグの力か……)
「…………ああ」
ティルフィングが驚嘆していた。双魔自身も知識でゲイボルグがどのような力を持つのかは知っていた。
大いなる海の怪物の骨から造られた魔槍、獲物に刺さるとその内側で刃が拡散し壮絶な死を与える必殺の槍。
実際に目にすると文字で読んだよりも、話に聞いたよりもその上をゆく。まさに想像を絶する神話級遺物だ。
「よいしょっ……と!」
神狼の身体から突き出ていた碧刃が消えるとロザリンはゲイボルグを引き抜いた。
ドサリと重い音を立てて神狼の遺体が冷たい石畳の上に落ちる。
「…………」
蒼髪の少女、レーヴァテインはそれを声も出さず、静かに見守っていた。
神狼を仕留めたロザリンの視線が双魔の方に向いた。神狼から噴き出た血が掛かったのか顔の左半分が鮮血に濡れていた。
「後輩君、終わったよ?」
「…………ええ、お疲れ様です……それじゃあ……」
「どうしましょうか?」そう聞こうとしたその時だった。
(ソーマ!)
「ッ!?ハッ!」
ティルフィングが何かに気づいて警告した。双魔もすぐにティルフィングの意図を察して、突然、
「……あっ……」
紅の剣気は確かにその影を捉えた。が、仕留めきれずにロザリンは白い影、双魔が縛り上げたはずのもう一頭の白狼の不自然に黒く染まった鋭爪に切りつけられてその場に膝をついた。
「クソッ!”
紅氷の剣が幾本も宙に浮かび飛翔する。そのまま、ロザリンの立っていた隣の建物の屋上に着地した白狼の身体にその全てが突き刺さる。
「……キャウン…………」
ドサッ!
白狼はか細い断末魔を上げると身体をよろめかせ、石畳の上へ落ちていき、己の片割れに寄り添うように動かなくなった。
「ロザリンさん!大丈夫です……か……っ!?」
白狼が動かなくなるのを横目に確かめながら、双魔は膝を屈したままのロザリンに安否を尋ねた。すると、 その瞬間、ロザリンは手にしていたゲイボルグを双魔の方へと投げつけた。
「おい!双魔!不味いぞ!このままじゃ、ロザリンが眠っちまう!それは絶対に回避しなくちゃならねぇ!」
屋根に突き刺さって犬に姿を戻したゲイボルグが双魔に向かって捲し立てる。その表情と声はかなり切羽詰まったものだ。
「よく分からんが分かった!ロザリンさん!」
「ソーマ!待て!」
突然、ティルフィングが人間態に戻って双魔を止めた。
「ティルフィングッ!?」
「もう遅い……ロザリンに憑いているあれはなんだ?」
「クソッ!…………間に合わなかったか…………」
ティルフィングの問いに答える代わりにゲイボルグが悔し気な声を絞り出した。
双魔の瞳にはロザリンがうつ伏せに倒れる姿が映った。そして、音が聞こえた。
カツンッ……パキンッ……
例えるなら、街の雑踏の中でカフスボタンがコンクリートの上に落ちたかのような、小さく固い音が。それに遅れて落ちたボタンが踏みつけられて割れるような音が響いた。
次の瞬間、倒れたロザリンが突如として浮かび上がった。全身に凄まじい重圧を感じさせる濃密で、まるで神霊の如き魔力を纏っている。
身体にねっとりと纏わりつく粘着質かつ邪悪な魔力がロザリンを中心に辺りへ垂れ流されている。
そして、眼が開いた。ロザリンの決して開くことのなかった左眼が開いた。
穏やかな光を帯びる翡翠の右眼とは異なる漆黒の、黒曜石のように怪しく輝く瞳が光っていた。
『遂に……この時が訪れた……忌まわしき光神の軛から解き放たれる日が……』
ロザリンの口から、そよ風の声ではない低く、威厳に満ちた男の声が聞こえた。
「……ゲイボルグ…………何が起きてるんだ?」
「…………アレは……ロザリンの中に封じ込められていた……正真正銘の
邪悪な闇に包まれたロザリンの顔には笑みが浮かんでいた。先ほど見せた儚くも明るい魅力的な笑みではなく、暴虐と威厳に満ちた王の尊大な笑みが。
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