第273話 白狼襲来

 「ふー、お腹いっぱい。満足」

 「そうですか。そりゃよかった」


 食事を終えた双魔とロザリンはウエストミンスター当たりの人のほとんどいない通りを歩いていた。


 半月にも満たない月が頼りなく浮かび、それを補うように石畳で舗装された通りには点々と設置された街灯が強い光を放っている。


 コートの上からお腹の辺りを軽く摩るロザリンを見た双魔の顔には苦笑が浮かんでいた。


 相変わらずロザリンの食欲は途轍もなかった。


 肉料理三品を平らげた後もアツアツのラザニアとジャガイモのグラタン、たっぷりと魚介の入ったペスカトーレ、この前気に入ったらしいピザパイを三枚食べていた。


 果てには双魔が食べていたホウレンソウと蒸し鶏のペペロンチーノにも興味を示し、熱烈な視線に双魔も折れるしかなかった。


 『……食べますか?』

 『うん、あーん』

 『…………』

 『はむっ……むぐむぐ……美味しい……あーん』

 『……』


 雛鳥のように口を開けるロザリンに一度食べさせてやるとそのまま止まるはずもなく結局、ペペロンチーノは食べつくされてしまい、見かねたセオドアが新しく二皿作ってくれた。


 その後も数品平らげ、最後にバニラのアイスクリームを載せたアップルパイをデザートにしてロザリンの夕食は終了となった。


 『ごちそうさまでした』

 『ハハハ、いい食べっぷりだったね。また来てくれると嬉しいよ』


 セオドアも上機嫌で二人を送ってくれた。


 数歩先を軽やかに歩くロザリンの背中を見ながら先ほどの出来事を思い出していると、ふと、双魔は一つの疑問を思いついた。


 「……ロザリンさん」

 「うん?どうしたのかな?後輩君」

 「今日は、どうして外で食べようと思ったんですか?」


 普通ならば、大して気になることでもないだろう。しかし、ロザリンは学園の外から出ることが少ないはずだ。自分の意志でそうしたいと思ったのか、何か理由があるのか。それを双魔は知りたいと思った。


 「うーん……確かめたかったから、かな?」

 「……確かめたかった?」

 双魔が問い返すとロザリンはくるりと、見る者を虜にする踊り子のよう、優雅にこちらへ振り向いた。

 「後輩君と食べるご飯はいつもより美味しいのかなって……美味しかったよ、君と食べるご飯」

 「…………」


 そう言うロザリンの口元には笑みが浮かんでいた。知り合ってから、常に無表情だった彼女が初めて見せた笑みだった。


 儚さと、美しさ、可憐さの混在した妖精のような微笑み。この世に、その笑みを向けられて心が動かない者などあろうか。そんな魅力的な、不思議な笑みだった。


 双魔は何も言わない。言えないわけではないが、ロザリンは特に答えを求めるような雰囲気ではなかったから。そのまま、彼女が言葉を紡ぐ、次の言葉を待った。


 「後輩君は……これからも、私とご飯を食べてくれるかな?」


 立ち止まり、微笑みを浮かべたまま双魔の目をじっと見つめてくる。


 燐灰の瞳には翡翠が、翡翠の瞳には燐灰の視線が差し込んでいく。少し離れたところから車のクラクションが聞こえた。通りは静寂に満ちている。


 「ん……それくらいなら、喜んで」

 「……うんうん、後輩君ならそう言ってくれると思った」

 「あっ、ちょっと!」

 「よろしくね」


 ロザリンはサッと双魔の右手を取ると両手でふわりと包み込み、優しく握った。ロザリンの熱が手を介して伝わってくる。


 思っていたより、ずっと熱い。それに当てられてか、双魔の体も熱くなってくる。


 「それじゃあ、帰ろうか。ゲイボルグも待ってるから」

 「……そうですね」


 パッと手を離すとロザリンは再び歩き出した。今度は双魔の隣にぴったりと寄り添って。


 (…………んー、自由な人だな、やっぱり)

 「……?」


 横目でロザリンを見ると視線に気づいたのか首を傾げる。特に何か言いたいことがあったわけでもないので双魔は少々ぎこちなく微笑んだ。その瞬間だった。


 「…………後輩君」


 ロザリンが突然足を止めた。形のいい唇から冷たい声と白い息が流れ出る。


 「ロザリンさん?どうし……っ!?」


 ”どうしましたか?”そう聞こうとして双魔は口を噤んだ。


 背中を刺すような鋭い気配がこちらを捉えているのを感じ取った。ロザリンは双魔より数瞬早くそれを感じ取っていたのだ。


 気配はどんどん距離を詰めてくる。


 一つ、二つ……三つ。三つの気配が高速で接近する。そして、それらは通り沿いの建物の屋上に姿を現した。


 「あら……気づかれてしまいましたわ……」


 (……アイツは……山縣の屋敷で会った)


 双魔の耳に聞き覚えのある小鳥が囀るような可憐な声が届いた。


 「ワフッ」

 「……とっくに気づかれてた、そんなのも分からないなんて馬鹿なのか?ですって!?私だって気づいてましたわ」

 「バウッ!」

 「キャウン……」

 「そっ、そうでしたわ……喧嘩している場合ではありませんでした……そこの貴女、私たちと少し踊ってくださりませんこと?」


 屋上からこちらを見下ろす人影は優雅にドレスの裾を摘まんで一礼して見せる。


 見上げる双魔とロザリンの瞳には白いドレスの少女と二頭の白い狼が映っていた。


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