第206話 記憶に潜む影

 「……む?ここは…………どこだ?」


 ティルフィングは気がつくと知らない場所に来ていた。きょろきょろと周りを見回してみるが目立つものは何もなく、仄暗い場所だ。


 「ソーマ!ソーマ!……むぅ……いないのか?む?むむ?どうして我は縛られているのだ?」


 双魔が見当たらないので歩いて探しにいこうと試みたが上手く動けないので、自分の身体を確かめると全身を真っ黒な鎖で雁字搦めに縛られていた。


 「んー!むぅーー!……むぅダメか……」


 鎖を引きちぎろうと身体中に力を籠めてみるが鎖は固く全く壊すことができなかった。


 「…………ソーマ」


 小さく呟いてみるが双魔の姿はどこにも見えない。ここに来る前の記憶は曖昧だが双魔に呼び出されて、頭を優しく撫でてもらったのは覚えている。


 「………………」


 黙り込んでしまうと一切の音はなく、暗い光景に一切の変化はない。


 「……ソーマーーーー!」


 心細く、寂しくなってしまい双魔のことを呼ぶが、自分の声がこだまするばかりだ。


 「……ソーマ……グスッ……どこに行ってしまったのだ?…………む?」


 俯いていると目には涙が浮かんできたその時だった。


 ティルフィングはすぐそばに、何者かが現れた気配を感じた。知らないようで知っているような不思議な気配だ。


 「……誰かいるのか?」


 そう言いながら顔を上げる。すると、そこには一つの影が立っていた。黒に全身を塗りつぶされた影だ。その影はぐにゃぐにゃと形を変えていく。そして、数瞬後、一人の少女の形を作り上げた。


 「……お主、何者だ?」


 ティルフィングの問いに、真っ黒な髪の長い少女はニンマリと口元を歪め、耳心地の悪い声で答えた。


 「…………我ハ……ティルフィング……オ前ダヨ……ティルフィング!」

 「……お主何を言っているのだ?」


 ティルフィングは首を傾げた。確かに形は鏡で見る自分と同じように見えるが周りが暗いのと目の前で自分だと名乗った少女が黒いのでよく分からなかった。


 「マサカ、コノ期ニ及ンデ、我ニ会イニ来ルトハナ……フヒヒヒヒヒヒ!」


 影の少女は一人で勝手に興奮しているのか笑い声を上げているがティルフィングにはどうでもいいことだ。


 「お主、笑っていないでこの鎖を解いてくれ!」

 「フヒヒ!フヒヒヒヒヒヒ…………解クワケガナイダロ。ソレヨリイイモノヲ見セテヤル」

 「む?なんだ?」


 影のティルフィングは笑い声を止めると両手を大きく広げた。


 それが合図だったのか周りがパッと明るくなり、何やら見知らぬ光景が映し出された。


 「む?……な、なんだこれは!?」


 その光景をはっきりと視認した瞬間、ティルフィングは絶句した。


 目に映るのは記憶にない戦場だ。逞しい馬に乗り、金ぴかの鎧を着た偉そうな男が次々と敵兵を切り殺していく。そして、その男の握っていた剣はまごうことなく自分自身、ティルフィングだった。


 血に染まり切った黒い剣身にはなぜか銀に煌めいている部分があるが、間違いなくティルフィングだった。


 「……や……やめろ…………」


 自ずと震える声が出た。見ず知らずの男に自分が使われているのが耐えられなかった。


 男は恍惚の表情でまた一人、二人と敵兵を両断する。


 あっけなく命が刈り取られるたびに、ティルフィングの黒き鎖に戒められた身体が冷たくなっていくような感覚に襲われる。


 やがて、金ぴか鎧の男は全ての敵を切り殺すと笑い声を上げながら、自らの胸にティルフィングを突き立てて、絶命し、落馬した。


 戦場には主をなくした馬の嘶きだけが響き渡る。


 目を逸らそうにも逸らせず、頭を振って、涙を流し、苦悶の表情を浮かべるティルフィングを影のティルフィングは心底楽しそうに見ている。


 また景色が移り変わる。吹雪の吹き荒れる平原、眼下には巨大な狼や蛇、小型の龍に角の生えた獣、巨人、炎を身に纏った巨人といった怪物たちが数百、数千、数万が犇めいている。


 その異形の軍勢に一人の少女が突っ込んでいく。顔は見えないが白銀の長い髪に白い衣を纏った少女だ。


 少女と軍勢は衝突した。そして、凄まじい勢いで血飛沫が白い地面を染めていく。平原は瞬く間に細切れになった怪物たちの死体で溢れかえる。


 衣を、髪を、どす黒い紅に染めた少女は死体の山の頂上に立ち何かを叫んだ。


 「や、やめろ!やめろー!!いたい……いたいいたいいたい!あああああああああああああ!!!」


 ティルフィングの身体に激痛が走る。紅の瞳が溶けたかのように左眼から血の涙が流れる。


 「フヒ!フヒヒヒヒヒヒ!」

 「あああああああああああああ!!!」


 激痛に悶え、悲鳴を上げ、ジャラジャラと鎖を鳴らすティルフィングを影のティルフィングは心底楽しそうに見つめている。


 「ああああああああああああああぁーーー!!!」

 「フヒヒヒヒヒヒヒヒ!オー、オー!ヨク耐エルナ!……デモ、ソロソロ限界ダロ?」

 「……あ……ああ…………あ……」


 影のティルフィングの言った通り、ティルフィングは声も絶え絶えの憔悴しきった様子で手と首は力なく下がっていた。


 「フヒヒヒヒヒヒ……ソレジャア、我ト代ワッテモラオウカ!」


 影のティルフィングは不気味な笑みを浮かべたまま、ひたひたと束縛されたティルフィングに近づいていく。


 「久々ニ殺シ放題カネ?フヒヒヒヒヒヒ!」

 「…………あ……」


 微かに声を出すだけでほとんど反応しないティルフィングの身体に、伸ばした浅黒い手が触れそうになった瞬間だった。


 「ア?……ッ!?ギャッ!ギャアアアアァァァァアーーーー!」


 影のティルフィングは悲鳴を上げて後ろに跳び退いた。


 「ギャアアアアァァァァアーーーー!!アツイ!アツイ!」


 何が起きたのか、自分の手の平を見ると煙を上げて焼き爛れていた。


 苦悶の表情を浮かべながら、ティルフィングに忌々し気な視線を送る。すると、ある変化が起きていた。


ティルフィングが白く光っている。謎の光は蚕の繭のように、ティルフィングを守るように包み込んでいる。


 「チッ!マタ、アノ女ノ仕業カ!」


 光はみるみる輝きを増し、ティルフィングの動きを封じている黒い鎖にはひびが入り、ガラガラと崩れその戒めを解いていく。


 「…………ソー……マ…………」


 その名を呟くとティルフィングの身体は光の泡へと姿を変え、少しずつその姿を消し、やがて、その場には砕けた鎖と影のティルフィングだけが残った。


 「……サスガニ、前ノ契約者……アノクソ女ヲ殺シタ連中ノ手下ガ出テクレバ我ガ表ニ出ラレルト思ッタンダガナ……フヒヒヒヒヒヒ!オット、結局今ノ契約者ハクソ女ノ生マレ変ワリダッタカ……マア、イイ。マタ今度、近イウチニ……我ガ表ニ出ルコトモアルダロウサ……フヒヒヒヒヒヒ!」


 仄暗い場所には影の笑い声だけが響き渡る。そして、それもすぐに止み、謎の空間ごと消え去るのだった。

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