第八章「邂逅」

第202話 暴発の紅氷剣姫

 「ソーマ?我はどうすればいいのだ!?」


 双魔から離れたティルフィングは見るからにウキウキしている様子で身体を左右に揺らして双魔の指示を待っていた。


 事あるごとに「何かあったら我を呼べ」と言っていたので実際に呼び出されたのがかなり嬉しかったのだろう。


 もし、尻尾が生えていたらブンブンと千切れんばかりに振っていたに違いない。


 (まあ、見てもらった方が早いか…………)


 ティルフィングは双魔のいうことを多少説明を省いてもよく理解してくれることは契約してから長いとは言えない付き合いだが分かっている。


 「ん、アレを見てくれ」

 「む?」


 そう言って双魔がティルフィングが背を向けている方向にいる炎の巨人を指差した。


 そして、ティルフィングがゆっくりとそちらを向いた。


 ティルフィングに対処すべき対象を認識させてから向かおうとしたのだがそれが原因で想定外の事態に転じることになるとはこの時、双魔は露にも思わなかった。


 「ティルフィング、アイツをどうにかしなきゃいけないんだが…………ん?ティルフィング?」

 「……………………」


 炎の巨人の方へと振り向いたティルフィングはそれまでの興奮が噓のように静まり返り、呆然と立ち尽くしていた。


 「あ、あ……あああ…………ああああああああああああ!!!!」

 「なっ!?ティルフィング!?どうした!?」


 突如、ティルフィングが頭を抱えて悲鳴を上げはじめた。


 ティルフィングのこんな姿は今まで見たことがない。原因は不明だが尋常でないことは確かだ。


 双魔の右手に浮かんだ紅雪の聖呪印がちかちかと転倒し、チリチリと脳裏を焦がすような感覚に襲われる。


 「い……だ…………だめ……や……ろ…………あ、あ……あ、あ、あ、あ…………」


 恐慌状態に陥り、急速に悪化させるティルフィングからは黒いオーラが染み出しはじめている。


 少し前に鏡華と一緒に目撃した千子山縣から這い出て、謎の遺物と思われる蒼き少女と共に消えた黒い靄、あれをもっと濃密にしたようなものだ。


 (何が起きた!?と、兎も角、ティルフィングを!)


 バチッ!


 「ッ!?」


 双魔は咄嗟にティルフィングに手を伸ばし触れようとしたが漏れ出る黒いオーラに手を弾かれてしまった。

が、それで諦めるわけにはいかない。双魔は必死にティルフィングへと手を伸ばす。


 「ぐっ……ティルフィング!……ぐっ!ぐぅう………」


 黒い靄の放つ斥力に抗ってティルフィングへと手を近づける。腕は焼けるように熱く骨が軋むがそんなことには構わない。


 「っ!ティルフィング!」


 そして、ティルフィングに痛みに耐えた甲斐あってティルフィングへと手が届く。その白く小さな手を握った瞬間だった。


 「あああああああああああああ!!!」

 「くっ!何が…………」


 ティルフィングは再び悲壮な叫び声を上げたかと思うと地面を蹴って宙へと飛び出した。


 強くティルフィングの手を握っていた双魔も一緒にだ。


 原因は分からないがティルフィングは正気を失っている。


 「ティルフィング!おい!ティルフィング!」


 双魔の呼びかけにティルフィングは全く反応しない。


 「ゆるさない…………ゆるさない!」


 普段のあどけなさは一切鳴りを潜め、憤怒に染め上げられた表情で炎の巨人を睨め着けると黒い靄と剣気を放出させ、そちらに向かって飛翔を開始した。


 「っ!」


 暴走する剣気は辺りの空気中の水分を凍てつかせて紅の細雪が発生する。


 凄まじい速度だ。一瞬にして炎の巨人に肉薄する。


 「…………!」


 双魔はティルフィングの手を離さないことに必死で己の身を守ることもままならない。


 正体不明の靄の影響で精神活動に余裕はなく、凍気で身体は熱を失っていく。


 何とか開けていた眼にはアイギスの防御障壁と炎の巨人に攻撃を加える王宮騎士団の姿が映ったが、後者は無駄のようだ。


 炎の巨人は全く意に介すことなく歩みを進めている。巨人の進んできた経路は漏れなく炎に包まれ大火が発生している。


 「あああああああああああああ!!!」


 そんな中、紅と黒の一矢と化したティルフィングが巨人の胸部に突っ込んだ。


 「ぐ……ぐぐ……ティルフィング!?」


 その直前、ティルフィングが双魔に掴まれた手を振り払うかのように動かした。


 決死で掴んでいた手はいとも簡単に離れてしまった。


 双魔は宙に仰向けで放り出され、目に映ったティルフィングの姿がゆっくりと小さくなっていく。


 (…………ティルフィング)


 声が出ない。そして、ティルフィングが炎の巨人を射貫き胸に風穴を開けた。


 対応に当たっていた各所は想定外の事態に俄かに騒めく。


 双魔は為すすべなく落下する。


 (不味い!)


 頭は落下の衝撃を少しでも和らげようと考えるのだが身体が動かない。


 そうしているうちにどんどんと高度は下がっていく。


 (不味い!不味い!不味い!)


 最早、これまで。ティルフィングの剣気による加護は今はない。このまま地面にぶつかれば全身の骨が折れてお陀仏だろう。


 (ここで……)


 一瞬、不穏な考えが脳内を支配した時だった。


 「…………?」


 背中に感じる風の勢いが突然弱まった。落下の速度が緩まっていた。


 そして、そのままゆっくりとアスファルト舗装された道路の上に着地した。


 「……?」

 「誰かと思ったら双魔ちゃんじゃない。こんなところで何してるの?」


 何が起きたのか判断がつかない、混乱する双魔の顔を覗き込んでくる人物がいた。


 七色の髪に豊満で女性味溢れる体躯をカクテルドレスに包んだの美女。こんな派手な容姿をしているのは双魔も一人しか知らなかった。


 「カッ、カラドボルグさん?」

 「ええ、そうよ。カラドボルグ。フェルゼンもいるわよ?フェルゼーン!」

 「どうした!?って双魔じゃないか!どうしたんだ?」


 少し離れたところにいたのか筋骨隆々とした眼鏡の好青年、遺物科会計のフェルゼン=マック=ロイが双魔を見て驚いた顔をしていた。


 「いや、ちょっとな…………」

 「……もしかして、今、あの巨人に風穴を空けたのって貴方の仕業?それなら、落ちてきたことにも説明がつくし」

 「…………」


 流石、幾星霜この世界に存在する遺物だ。カラドボルグの鋭さに双魔は沈黙するしかない。


 「何?そうなのか?さっきから各所の部隊が攻撃をしていても全く聞かなかったんだが……っ!カラドボルグ!」

 「はいはい!なにこれ?紅い氷?」


 突然の落ちてきた紅い氷の礫はカラドボルグが手を差し向けるとピタリと空中で停止した。


 ”紅い氷”、その言葉に思い当たった双魔が空を見上げると握り拳ほどの紅氷の欠片がそこら中に降り注いでいる。


 (くっ!ティルフィング…………)


 このままでは炎の巨人だけでなく暴走するティルフィングも街に被害を出しかねない。


 「悪い、ちょっと手を貸してくれ……」

 「ああ……ってどうしたんだ!?その腕は!」

 「……ひどいわね」


 双魔が立ち上がろうとフェルゼンに伸ばした右腕は肌が黒く変色していた。それを見たフェルゼンとカラドボルグは絶句したが、双魔は構わず差し出された手を掴むとよろよろと立ち上がった。


 「まあ、気にするな。それよりも少し事情があってな。アレは俺がどうにかするから、市民の避難と消火とか後処理は頼んだ…………」

 「何を言ってるんだ!?それよりも双魔は救護してもらった方が良い!」

 「大丈夫だ……」


 フェルゼンの制止を聞かずに双魔は数歩前に出ると両手を炎の巨人にかざした。


 「我が両の腕に宿りしは原初の法、神の御業……対象、イェクドゥ、捕捉…………接続、完了」


 双魔の詠唱と共に炎の巨人の四肢と首に巨大な青白い魔法円が出現し、巨人から少し離れた宙の一か所にも同じものが現れて地上は再び騒がしくなった。


 「汝ら、我が抱擁に招かん”創造ブンダヒュン”!」


 そして、詠唱の終了と共にフェルゼンとカラドボルグの目の前から双魔は忽然と姿を消し、王都を蹂躙していた正体不明の炎の巨人も同じくその姿を消した。


 突然のことに事態の収拾に当たっていた者たちはもちろん悲鳴を上げていた一般人の声も止み、一瞬にして王都は静寂に満たされた。


 しかし、一番驚いているのはフェルゼンだった。


 何をしたのかは分からないが炎の巨人が消えたのは確実に双魔の仕業だというのが分かった故だ。


 「……あの子、何者なのかしら?ねぇ?」


 唖然として固まったフェルゼンにカラドボルグがしな垂れかかってくる。


 豊満で柔らかそうな乳房がフェルゼンの鍛え上げられた胸板に押し付けられてムニュムニュと形を変えた。


 「っ!だから破廉恥な真似はやめろと常々言っているだろう!……双魔のことに関しては俺もあまり付き合いがあったわけじゃないからな……分からん」


 フェルゼンは腰が引けて情けない様子でカラドボルグから離れた。


 カラドボルグはそれを見て楽しそうに笑みを浮かべていたが、すぐに真剣さを帯びた。


 「まあ、今はあの子の言った通り、一般人の保護と消火活動を優先させましょう。ほら、行きましょう」

 「あ、ああ……」


 さっさと燃え盛る建物の方に足を向けて歩きはじめてしまうカラドボルグの後をフェルゼンも気を引き締めて追うのだった。

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