第186話 母娘二人

 一方、男性陣が去った高級ホテルのサロンの一室でもお茶会がはじまろうとしていた。


 テーブルの上にはティーポットやカップ、ソーサー、フォーク、スプーンと言った食器類が次々と置かれていく。


 続いて、茶葉の入った銀細工の施された箱が三つ、ケトル、砂糖の入った白磁の容器、ミルクピッチャー、それぞれにジャムが入れられた小さなガラス容器などが並べられる。


 最後に色とりどりのお茶のお供が載せられた三段のスタンドが二つ置かれる。


 一口大のケーキやマカロン、スコーン、口直しに塩気を取るのにスモークサーモンのような物まで載っている。


 「…………」


 ボーイが手際よく準備を進める中、母は先ほど受け取った封筒の中身の便箋をじっくりと読んでいて一言も話さない。


 これには準備が完全に整ったボーイも少し困った顔をしていた。


 「……あの、後は自分たちでやりますから」


 居たたまれなくなったイサベルがそう言うと、ボーイはホッとした表情を浮かべて静かに部屋を後にした。


 「お母様?」

 「……もう少しで読み終わるわ」


 イサベルが声を掛けると返事は返ってきたがまだ便箋に綴ってある文を熟読している。


 「もう……」


 仕方がないのでイサベルはティーポットを引き寄せて紅茶を淹れることにする。


 茶箱の一つを開けると心を落ち着かせる茶葉の香りと甘く香ばしい香りが混ざった物がふわりと鼻腔をくすぐった。


 あまり見たことはないがビスケットを使った茶葉のようだ。


 (うん、まずはこれにしようかしら)


 スプーンで茶葉を掬ってポットに入れ、ケトルで沸騰させたお湯を入れて素早くポットに蓋をする。


 そのまま、茶葉が蒸れるのを待つ。大きめの茶葉だったので三分から四分くらいだろう。


 温度が下がらないようにポットに布をかぶせると他の道具と一緒に準備されていた砂時計を逆さにする。


 さらさらと白い砂が下に落ちていくのを見ながら待つ。チラリとスタンドに目をやると並べられたお菓子はどれも見た目が凝っていて食べるのが勿体ないくらいだった。


 そんなことを考えていると砂が下に落ち切った。


 「…………うん、そろそろね」


 布を外して、手元にカップを二つ用意する。火傷しないように気をつけながら注ぎ口をカップに近づけて、ポットを傾けるとトポトポという音と湯気が上がり、琥珀色のお茶がカップを満たしていく。


 一つに注ぎ終わると、もう一つにも注ぎ、それが終わるとポットを置いて再び布をかぶせる。


 母の前に片方のカップを差し出すと丁度読み終わったようで母は顔を上げた。


 「あら、いつの間にかお茶が入ってるわ。フフ、いい香りね」


 母は惚けたようにそんなことを言った。


 「はー……読み終わったならお茶にしましょう」

 「そうね……ベルが淹れたお茶なんて久しぶりだわ」


 二人してカップを手に取り淹れたてのお茶を口にする。


 芳醇な茶葉の香りとビスケットの風味が口いっぱいに広がる。紅茶を飲んでいるはずなのにお菓子を食べているような不思議な感覚がした。


 「……うん、美味しいわ」

 「茶葉が良いのよ……それで?その便箋には何が書いてあるの?」


 イサベルが聞くとサラは再び笑みを浮かべた。


 「知りたい?」

 「……そんなに勿体ぶることなの?……ンッ……」


 イサベルは訝し気な顔をしながらカップを傾ける。


 「昔はもう少し可愛げがあったのに……すっかり大人ね。まあ、いいわ。書いてあるのは貴女の王子様のことよ」

 「っ!?げほっ!ごほっ!……はー……はー……何ですって!?」


 思わず咳き込んだイサベルと対象に目の前のサラは優雅にカップを傾けていた。


 「あら、はしたないわね?」

 「はしたないわね?じゃないわ!どういうこと?」


 「どういうことって……奥手な娘が突然男を連れてきたら心配して、相手の素性の一つや二つ調べるでしょう?」

 「……いつの間に…………あと、素性に一つも二つもないでしょ……」


 本当に全く気づかなかったのだが外に双魔の情報を探るように連絡していたらしい。


 「……それで?お母様は…………その、どう思う?」

 「どうって?」

 「そ、それは…………」


 イサベルが不安そうに身体を揺らすと、サラはカップをテーブルの上に置いて、便箋をもう一度手にした。


 「そうねぇ……いいんじゃない?」

 「い、いいんじゃないって……そんなに簡単に……」

 「何?それじゃあ、反対して欲しいの?あんな男認めないって?」

 「そ、そうは言ってないけど…………」


 あっけらかんと答えられたので肩透かしを食らってしまったイサベルだったがなんとか持ち直そうと頑張る。


 「具体的には?って言うか何が書いてあるの?」

 「そうね……あんまり詳しくは書かれてないわ。ご両親のことと年齢、出身地、今何してるかとかね」

 「それだけなの?……その、経歴とかは?」

 「だから、その辺は全然分からなかったみたいって言ったじゃない……あら、これも美味しいわね」


 サラはスタンドに置かれた一口大のスコーンを口にしてご満悦な様子だ。


 比べてイサベルは少し残念そうだ。実が双魔に関してはイサベルも知らないことが多い。聞けば教えてくれるとは思うのだが何となく聞けずにいる。


 ずるいとは思うが何か知らないことが分かったらと思ったのだが、そう上手くはいかないようだった。


 「はー……はむっ……あ、美味しい」


 仕方ないのでマカロンを手に取って一口。真っ赤な色は何かと思ったが無難に苺だったらしく、甘酸っぱい風味が口の中に広がった。


 「まあ、とにかく、私はベルがあの伏見くんとくっつくのなら邪魔はしないわ。気も利くみたいだし、度胸も十分。魔術の腕は……まあ、キリルが判断するでしょう」

 「お母様……」


 どうやら母は自分の味方になってくれるようだ。心の奥底からホッとする。


 「あー、でも…………」

 「な、なに?」


 やはり反対されるのかとイサベルはドキリとしたがサラが言ったのはそんなことではなく、賛成した上での疑問だった。


 「ここには伏見くんには婚約者、六道鏡華さんって方がいるみたいだけど……ベルは知ってるの?」

 「え、ええ……この前会ったわ」

 「そ、それで?ベルが伏見くんをいいと思ってるのは知っているのかしら?」

 「それが…………その…………」

 「なに?」

 「実は…………」


 イサベルは鏡華に提案されたことをかくかくしかじかと説明した。


 「…………フフッ……フフフフフッ!」


 話を聞き終えた途端、サラは声を上げて笑いはじめた。


 「…………お母様?」

 「フフフフフッ!あー、おかしい!その鏡華さんって娘、かなりの大物ね!私も会ってみたいわ!」

 「そ、それで……どう思う?」

 「フフッ、まあ、ベルたちが構わないんだったらいいんじゃない?ただ、キリルは説得できるとして、分家の年寄連中はうるさいかもね……まあ、愛娘のために私が一肌脱ぐから安心しなさい!」

 「お母様……」


 キリルは立派にガビロール宗家当主を務めているのだが、その夫人であるサラの力もかなり強い。サラが「大丈夫」と言ってくれたのでイサベルの心中はかなり穏やかになった。 


 「まあ、それはいいとして、あのオーギュストとか言うのは駄目ね」

 「オーギュストさん?どうして?」


 突然、上機嫌だったサラの顔がきつくなった。余程胸にすえるものを我慢していたのか、貯めていた分も不機嫌さを出しているようだ。


 「……そうね……まあ、私もキリルと結婚する前は色々な男に言寄られたわ……その中でも、プライドが高くて自分の力を過信している人たちはどうしようもなかった。心の中で私のことをモノ扱いしているのが透けて見えたわ…………今日の優男はそれを上手く隠している分、一層質が悪いわ!」

 「…………そうなの?悪そうな人には見えなかったけど…………」


 イサベルに接するオーギュストの態度は極めて紳士的だったように感じられた。が、双魔には嫌に攻撃的だった。


 「……ベルは奥手でそう言う目が育ってないのよ……まあ、いいわ。ともかく、あのオーギュストとか言うのは絶対にダメ!万が一、アレが勝つようなことになったら伏見くんと駆け落ちしてもいいわよ?」

 「かっ、駆け落ち!?」


 突如飛び出た過激な単語に、イサベルの顔は青くなったり、赤くなったりする。が、それもすぐに収まり、真剣な表情に変わった。


 「……大丈夫、双魔君が負けるなんて絶対にないから」


 今まで見ることの少なかった娘の凛々しい表情にサラは思わず持ち上げかけていたカップを置いて居住まいを正した。


 「…………しばらく、見ない内に大人になったわね、ベル」

 「そんなことないわ。私は人間としても、魔術師としてもまだまだよ」


 娘の成長に穏やかな笑みを浮かべたサラだったが、その笑みはすぐに悪戯っぽいものに変わった。


 「フフフ……きっとキリルが寂しがるでしょうね…………」


 妻がそう呟いた同時刻、時間の無い根回しに追われていたキリルは往来をせかせかと歩きながら大きなくしゃみをしたとか、しなかったとか。

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