第118話 閻魔の姫君
双魔が阿弖流為との激しい攻防を繰り広げる一方、鏡華と山縣は異様なほど静かだった。
否、静かなのは鏡華だけで山縣は相変わらず恐慌状態に陥っている。
「どうして…………どうして!あっしの針が効かないんだ!」
その目は鏡華を睨みつけているように見えて実際は何処を見ているわけでもなかった。
「…………可哀想な人」
山縣には先ほどまでのふてぶてしさは欠片も残っていない。悲愴感が滲み出て、かつての狂気が反転したかのように自問自答を繰り返す。
「そんなはずはない…………そんなはずは……………………」
鏡華はその姿を、どこまでも冷たく、どこまでも温かい、万物を見通すような穏やかな両の眼で見つめた。
「…………玻璃」
(……………………承……知)
浄玻璃鏡が紫色の剣気を放って輝き浮き上がる。そして、鏡華と山縣の中間あたりの位置の宙に留まる。
「山縣はん」
鏡華の澄んだ声で呼ばれた山縣は一瞬、恐慌の海から意識が引き上げられたのか、視線が鏡華に定まった。
「どうして、うちにあんはんの針が効かへんかったか、教えたげる」
「な、なぜだ?」
狼狽している山縣に鏡華は嫋やかで、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ほほほ、そら、うちが生粋の生者と違うからや…………」
鏡華が
「我が身は裁きを決する者」
淡い光に包まれた赤い和服が漢服に様変わりする。その紋様は曼殊沙華。肩には深紅の羽衣を掛け、頭には黒の冠を戴く。
「我が
目の下に歌舞伎で言う隈取のような紅い紋様が浮かび上がる。
「此処に罪過を量る場を開廷する……
曼殊沙華の髪飾りが揺れてしゃらりと音を立てる。
鏡華の詠唱が終わると共に浄玻璃鏡の組紐と同じ白、黄、青、緑、赤、黒の六色の光の柱が発現し、山縣を包囲する。
「お、おま、前は!何者なんだ!何だかこれは!?」
山縣は一切の身動きが取れなくなる。唯一動く口で、混乱を収めようと必死の形相で目の前の得体の知れない、圧倒的な威圧感を放つ少女に向かって叫んだ。
少女は穏やかな目で、口元に笑みを浮かべたまま、山縣の問いに答えた。そして、その言葉は信じがたいものだった。
「うちは浄玻璃鏡の契約者や。浄玻璃鏡とは閻魔が死者の裁判に使うもの。地獄の主神たる閻魔王のみが使える神の鏡…………つまり、うちは
死者の処遇を決める冥界の十人裁判官の内、閻魔王はその長であり地獄の主神だ。閻魔王は元来はただの人間であったがその功績により神に昇華された存在である。
鏡華はその血が四分の一流れている。すなわち、生者でありながら死者でもあるという
「……………………へ?」
山縣の口から出た声は凄く、凄く間抜けなものだった。この少女は何を荒唐無稽なことを言っているのかと一瞬思った。
それでも、山縣は信じざるを得なかった。目の前の圧倒的な力は本物だと。
「ひ……………………」
息が苦しい、呼吸ができない。何をされるか分からない恐怖が山縣を襲う。
「立場上…………余り私情は挟んだらいけないんやけど…………うち怒ってるんよ?…………うちの身体、傷つけてええのは…………双魔だけなんやから」
ニコリと山縣に向けて顔を綻ばせる。冷徹な眼差しのまま、口元が
「……………………」
気圧された山縣は最早言葉を紡ぐこともできず、鯉のように口をパクパクと開閉するだけだ。
「ま、伝えるだけで、反映させたりはしぃひんから安心し」
そして、鏡華が山縣に行うのは、静か且つ最も残酷なことだった。
「判決を決める前に本人の反省を促すのが決まりやからね」
浄玻璃鏡の鏡面が揺れ徐々に何かが映し出される。
映し出されたのはくたびれた老境に差し掛かった一人の男、千子山縣である。
「よう見て、反省しぃ」
鏡華がそう言うと鏡面に映る場面が切り替る。それは、山縣がこれまで歩いてきた人生の記憶であった。
「あ…………あ……………………」
口を開いたまま鏡面を食い入るように眺める。否、見る他ない。首を動かすことも、目を閉じることも叶わない。
鏡の中の自分は徐々に若返っていく。額に汗を浮かべ狂ったように金槌を振り下ろす自分が長く映り、やがて逃亡したのち山中にて激しい鍛錬を行い有事の際にと肉体を鍛え上げる自分が映る。
「あ…………あああああああ!や、やめてくれ!」
山縣は絶叫する。見開かれたままの目からは血涙が流れ落ちる。
浄玻璃鏡に映っていたのは、己の、愛すべき子を、妻を、弟子たちを恍惚の表情で斬りつける若き自分の姿だ。
驚きで動けない者、逃げ惑う者、助けて!止めて!と叫ぶ者たちを容赦なく斬る。
「がっ…………がっがが…………」
山縣は耐え切れなくなったのか泡を吹きはじめた。それでも、目を閉じることは許されない。
鏡面に浮かぶ若き日の山縣は再び狂ったように金槌を振り下ろしている。
「ふぅ…………峠は超えはった?後は…………あらぁ?」
鏡華はその場面で違和感を抱いた。何か、引っかかるものが在る。
手を軽く挙げると映像が止まる。そのまま、一度、手招きをするように手を折ると浄玻璃鏡の鏡面が鏡華の方に向く。
「んーーーーー?」
鏡面の中では一心不乱に刀を打つ山縣が金槌を振り下ろす途中で彫像のように止まっている。
「ん…………んん?」
鏡華はその映像を目を皿のようにしてよく確かめる。
「あらぁ?玻璃、ちょっと寄せて」
浄玻璃鏡は鏡華の命に応えて、鏡面に移る光景を拡大する。そうすると、何かが山縣に付いているのが見えてきた。
黒い、靄が頭の辺りに纏わりついている。そして、さらによく見るとそれは人の手のようにも見えた。
「…………これは…………ッ!?」
さらに拡大してよく確かめようとした時、鏡華の背に悪寒が走った。
「”縛”!」
咄嗟に声を発して鏡面から目を離し山縣に視線を移す。
鏡面を見続けることから一瞬解放された間に山縣は白目を剥いて気絶していた。その頭の辺りから、鏡面に映っていた黒い靄が漏れ出ているのだ。
鏡華の声に反応してどこからか出てきた縄が山縣の身体ごと靄を絡めとり、捕えようとするが、靄はするりと縄を躱してしまう。
「玻璃ッ!照魔の射光!」
鋭い声と共に手を動かし、浄玻璃鏡を反転させて、靄目掛けて正体破りの光を照射する。本来なら詠唱が必要だが、祖父から受け継いだ力を開放している時は即時発動が可能だ。
しかし、浄玻璃鏡が放った光が捉える前に、靄は消え去ってしまった。
すぐに周囲の気配を探る。ここは剣兎と檀の結界内部、つまり閉鎖空間だ。
姿を消しただけだったり、霧散しただけならその痕跡が残るはずだ。
「…………駄目や…………逃した…………」
気配は完全に消えている。残ったのは光の柱に囲まれて抜け殻のように気絶している山縣だけだ。
「しゃあないわ…………千子山縣、あんはんの判決は本当に死んでからに先延ばし。今の黒い靄が何かしら関わっているのは事実やろから……情状酌量の余地は取っといたるさかい」
不確定要素を残しながらも、此処に京の夜を脅かした千子山縣は鏡華の手によって捕らえられたのだった。
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