第101話 夢、春の夜の誓い
場面はまた移り変わる。
今度は中等部に入学した頃だろうか。視線がまた高くなっている。
この頃には家事は一通りできるようになっていたのでお手伝いさんはいなくなっていた。
祖父も屋敷に戻ってくることが少なくなった。基本的には鏡華は屋敷に一人だ。
ついこの間もう片方の祖父から契約を引き継いだ遺物がいるにはいるが、ほとんど話さない上に、じっと座っているだけだ。いてもいなくても同じようなものだ。
その日は珍しく祖父が屋敷に戻ってきていた。何やら鏡華に話すことがあるとかで、後で縁側に来るように言われた。
陽が沈んだ頃、鏡華は言われた通りに縁側に向かうと既に祖父は胡坐をかいて座っていた。
『おじじ様、お話ってなぁに?』
『おう、鏡華、取りあえず座りなさい』
祖父は自分の隣を手で叩いた。勧められた通りに鏡華はゆっくりと身を屈めてその場に正座した。
『………………』
『………………』
二人並んで座ったのはいいが祖父は何も言わない。黙って空に浮かぶ月を眺めている。
「春の夜の夢のごとし」とは『平家物語』の序文を結ぶ言葉だ。意味するところは無常や儚さだろうが、”春の夜”とはまさに夢の中にいるように感じさせる不思議な世界なのだ。
吹く風は温かくも冷たく、花や草の匂いがのっている。雲の流れは速く、月は朧に霞んでいる。
しばらく、そのまま静寂が続いた。風の音だけが耳を優しく撫でる。
どれくらい経っただろうか。叢雲に隠れた月が姿を現し、その身を包んだ霞の羽衣を脱ぎ去った時、地上が月光を受けて一気に明るくなった。
『ふー………………鏡華』
息を吐いて、祖父が沈黙を破った。
『なぁに?』
『おっと、まずはこれを渡しておくか。童からだ。後で開けてみなさい』
祖父は懐から包装紙に包まれた小さめの小箱を取り出して鏡華に手渡した。双魔からのようだ。中身はいつものお土産だろうと鏡華は思った。
『うん、後でお礼言うておくわ』
『うむ……それで本題なんだがな……』
いつもは豪放磊落を体現したような祖父が珍しく言い淀んだ。この時、鏡華は不思議とこの先に言われるであろうことの内容が予測できた。
ストンと腑に落ちるというのはまさにああいった状態のことを言うのだろう。
そこからは何故か自分の声しか聞こえなくなった。
『 』
『うん、ええよ』
祖父の言ったことをすぐに承諾する。それを聞いて祖父は白く染まった眉を大きく上げて目を丸くした。
『 ?』
もう一度確認してくる。自分が孫に望んでいることは色々な人が望んでいることで、その中に自分も入っているはずなのにあっけなく鏡華が快諾したことで逆に不安を覚えたようだ。
『だから、嫌やないよ。むしろ……嬉しい』
『 ?』
さらに念押しとばかりに確認してくる祖父に苦笑しながらも首を縦に振る。
祖父は安心したのか胸をなでおろすと笑みを浮かべて立ち上がる。
『 』
そのまま、縁側を後にした。月の下に鏡華一人が残される。
『せや、中身はなんやろ』
膝の上に載せていた小箱の包装紙を破らないように丁寧に剥がしていく。
包装紙の下からは木箱が出てきた。蓋を開けて中に入っている物を確かめる。
『あらぁ……フフフ』
顔を綻ばせて箱の中身をそっと取り出す。何となく月にかざして眺めた。
『うん、間違いないよ……うちはきっと幸せになれる…………ううん、ずっと前から、これからもずっと幸せ』
さわさわと音をたてて庭の草木が風に揺れる。次の瞬間、大風が吹く。桃色の花弁が虚空を舞い、月に輝いた。
穏やかな思いでそれを見つめながら、鏡華はゆっくりとうつつへの浮橋を渡りはじめるのだった。
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