第85話 紫水晶の鏡

 ”五条大橋”とは鴨川に架かる橋の一つであり、言わずと知れた牛若丸、後の源九郎みなもとのくろう判官義経ほうがんよしつねと彼に無双の忠義を尽くした従者、武蔵坊むさしぼう武蔵坊むさしぼう弁慶べんけいが出会い、決闘を行った有名な橋である。


現在、一般に五条大橋とされている橋は実を言うと本来の五条大橋ではない。


どういう意味か。時は安土桃山、太閤秀吉が京を大きく整備した際に現在の五条通に移されたのが今掛かっている五条大橋である。


 それでは本来の五条大橋は何処にあるのか。それは少し北上したところにひっそりと架かっている。


 その橋の名を”松原橋まつばらばし”と言い、陰陽師たちなどの古の延長上に立つ今日の住人たちが”五条大橋”と言った場合はこちらの松原橋を指す。


 その橋の洛中側のたもとに、双魔と鏡華は立っていた。後ろと橋の向こう側では陰陽師たちと二条から派遣された武官たちが慌ただしく動いて人の動きを規制している。


 「あの子たち、遅いねぇ……はあー」

 「ん、まあ、そろそろ来るだろ」


 二人はそれぞれの遺物の到着を待っていた。先ほど左文に連絡をしてこちらに来るように言ったのでそろそろ来るはずだ。


 この橋は鏡華の家の前の通りを真っ直ぐ西に進めばたどり着くので道に迷うこともないだろう。


 「…………」


 チラリと鏡華を横目で見る。陽が落ちて元々低かった気温がさらに落ちてきた。白い息を手に吐きかけてこすり合わせている。羽織の上にストールを纏っているがそれでも大分、冷えるようだ。


 双魔はおもむろにコートを脱ぐとそっと鏡華の肩に掛けた。鏡華と視線が合う。


 「……双魔、気ぃ使ってくれるのは嬉しいけど、ええよ?双魔が寒いやないの」

 「ん、大丈夫だ。どうせ後で脱ぐから」


 短く言うと何処から取り出したのかいつもの黒いローブをその身に纏った。


 「……おおきに」


 鏡華は顔を綻ばせると腕を交差させてコートの両の袷を真ん中に引き寄せるように自分の身体抱いた。


 (……まあ、本当は手の一つでも握ってやればいいんだろうが……)


 そう思いつつもこの場はどう考えても二人きりとは言い難い。


 何となく落ち着かなくなってコートから引き抜いておいた装飾拳銃を確認がてらに弄ぶ。


 カチャカチャと装弾部分をいじってみる。弾は入っていないが魔術を精密に射出するのが主な使い道なので特に問題はない。


 「あ、来たよ」


 鏡華の言葉で視線を手元から橋の向こう側に移す。こちらに向かって歩いてくるティルフィングと浄玻璃鏡が見えた。


 「!」


 ティルフィングたちも双魔に気付いたのか橋の半分辺りまで来ると走り出した。


 「……」


 それを見て、双魔は素早く腰のホルダーに銃を収めて、身体に力を入れた。


 数秒後、目測で十二、三歩ほど離れたところでティルフィングが地を蹴った。

 「ソーマッ!」


 案の定、ティルフィングが双魔目掛けて笑顔で飛び込んできた。


 「ぐふっ!……………はあ、はあ」


 何とか胸に突っ込んできたティルフィングを受け止める。構えていたことが幸いして、数歩後ろによろめくだけで済んだ。


 「いい子にしてたか?」

 「うむ!」


 すりすりと頬を擦り付けてくるティルフィングの髪を優しく撫でてやる。


 ふと、前を見ると浄玻璃鏡はまだ橋を渡り切っていなかった。フワフワと不思議な動きでゆっくりと近づいてくる。よく見れば足は地面についておらず、滑るように前に進んでいる。


 「主……婿殿……待たせて…………済まない」


 二分ほど経ってやっと浄玻璃鏡は双魔たちの目の前に到着した。二人とも彼女の独特のペースには慣れているので特に何も言わない。


 そこに、部下を引き連れた檀がやってきた。


 「お疲れ様です。そちらが双魔さんの遺物の……」

 「ティルフィングだ。ほら、挨拶しろ。この人は大丈夫だ」


 見知らぬ人物にいつもの如く双魔の後ろに隠れようとしたティルフィングを捕まえて檀と向き合わせる。


 「幸徳井檀かでいだんと言います。よろしくお願いします」

 「うむ、ダンだな……我はティルフィングだ。よろしく頼む」

 「ええ、よろしくお願いします。ティルフィングさん」


 屈んでティルフィングと目線を合わせて笑顔を浮かべた檀に警戒心を解いたのかティルフィングも笑顔で自己紹介をする。


 それが終わると檀が立ち上がって双魔の顔を見た。


 「こちらの準備は整いました。それと、坂上さん」


 檀の後ろについていた一人の女性が前に出てきた。


 「よ、六道」

 「あら、鈴鹿先輩やないの。お久しゅう」


 歳は双魔たちより少し上だろうか。黒い髪は耳の辺りまで刈られている。ベリーショートというのだったか。左耳にはいくつものピアスが輝く。


 服装は二条の武官が纏う白の制服に手甲、肩当、胸当て、脚甲を装着し腰には鋭い剣気を放つ一振りの直刀を佩いている。


 ”直刀ちょくとう”とは太刀が生まれる以前の平安初期前後まで活躍した日本の古代の剣を指す。日本刀と比べる反りが少ない。


 鏡華に、「鈴鹿」と呼ばれた彼女は双魔の顔を見て溌溂とした笑顔を浮かべた。


 「ワタシの名前は坂上鈴鹿さかのうえすずか!二条の武官をやっている。契約遺物は”騒速そはや”。今回は幸徳井先輩の頼みで緊急時にお前たちの助けに入るために来た。よろしくな」

 「彼女は今年魔導学園を卒業したばかりですが”騎士”の称号を保持していて頼りになると思います。緊急時と近隣警戒のために来てもらいました」

 「…………それが坂上さかのうえの田村麻呂たむらまろ佩刀はいとうの……」

 「ああ、こいつはあまり人間の姿になるのが好きじゃないんだ。勘弁してやってくれ!」

 「そいつは失礼。俺は……」

 「ああ、聞いてる、聞いてる!伏見双魔。伏見天全様のご子息。ついでに鏡華のコレだろ?」


 鈴鹿が悪戯っぽい笑みを浮かべて親指を立てて見せる。


 「……何というか」

 「先輩?」


 双魔がどう答えたものかと思案する前に、鏡華がドスの聞いた声で鈴鹿を呼んだ。笑みを浮かべているが、有無を言わさぬ迫力がある。


 「なんだよ、ちょっとからかっただけだろ!」


 鈴鹿の笑みにも全く屈せずに真っ向から言い返す。かなりの度胸がある、またはかなり図太い人間なのだろう。


 「坂上さん、その辺で。双魔さん、それではお願いします。お渡ししてある端末はそちらの音声を拾えるように設定してあります、何かあればその場で言っていただければ大丈夫です」

 「わかった。坂上さんは……」

 「おいおい、他人行儀は好きじゃねえんだ。鈴鹿でいいぜ」

 「鈴鹿さんは檀さんと待機していてくれ」

 「あいよ!」

 「ティルフィング、鏡華。行くぞ」

 「うむ!」

 「はーい」


 そう言うと四人は歩いて川原へと降りていく。


 足元の悪い川原を一歩一歩踏みしめながら歩く。積もった雪の下でじゃりじゃりと石がこすれ合う音が鳴る。


 「…………」


 双魔は地面をキョロキョロと見回しながら前に足を進める。そして、二十歩ほど進んだところで足を止めた。


 「ん、この辺でいいか」


 ポケットから何かの種を数粒取り出す。


 「ティルフィング」

 「む?なんだ?」

 「これを川の向こうに埋めてきてくれ。場所はこっち側で俺が埋めた場所と同じところだ。出来るか?」

 「任せろ!」


 フンスッ!と鼻の穴を広げてやる気十分のティルフィングの手に種を二粒握らせる。


 「ん、頼んだぞ。埋めたら戻ってこい」

 「わかった!それでは行ってくるぞ!」


 そう言うや否やティルフィングは四十メートルほどある川を一足飛びで向こうに渡った。着地して双魔にぶんぶんと手を振っている。


 双魔は軽く手を振り返してその場で屈む。雪を軽く払ってから種を一粒砂利の中に落とす。それを見たティルフィングも真似をして種を蒔いた。


 「…………」


 立ち上がり、ジェスチャーで種を蒔いたか確認するとティルフィングが大きく頷いて見せたのでそこからまた前に足を進める。ティルフィングも同じように移動している。


 五十メートルほど進むと再び足を止めて砂利の中に種を落とす。


 ティルフィングの方を見ると既に種を蒔き終えたのか、丁度、川を飛び越えたところだった。


 「ソーマ!蒔いてきたぞ!」

 「ん、ありがとう」


 くしゃくしゃとティルフィングの頭を撫でながら二人を見ていた鏡華と浄玻璃鏡の許に戻る。


 鏡華はずっとこちらを見ていたようだが、浄玻璃鏡はいつものように目を閉じてふわふわと浮いている。物事への根本的な興味が欠けているのだろう。


 「準備終わった?」

 「ん、取り敢えずはな。というわけで段取りを確認しておくぞ」

 「うん、うちはどうすればええの?」

 「まず、俺が例の化物を誘き出す。しばらくは動きを封じられるはずだ。そこを……」

 「わかった、玻璃の力で正体をはっきりさせるんやね」


 鏡華の返事に双魔は頷く。


 「ん、一応、正体が予想通りか確かめておく必要があるからな……それが終わったら俺の後ろで待機してくれればいい……鏡華の力も玻璃の能力も使いどころが難しいからな」

 「ほほほ、わかった。ほな、うちは少し見物やね。双魔、気張ってな」

 「ソーマ!我はどうすればいい?」

 「ティルフィングは最後の封印に力を使う。初めから剣の姿でいてくれ」

 「うむ!承知した!」


 笑顔で大きく頷いたティルフィングに双魔は右手をかざした。手の甲に刻まれた聖呪印がぼんやりと淡い光を放つ。


 「汝が名は”ティルフィング”盟約に従い真なる姿を我に示せ!」


 詠唱と共にティルフィングが紅の光に包まれる。


 鏡華はその眩さに思わず目を手で覆った。やがて光が収まる。開いた鏡華の目に映ったのは双魔の右手に握られた一振りの長剣だった。


 黄金の柄。夜闇の如き純黒の剣身。刃に煌めく紅の波紋。


 「…………ほぅ」


 あまりの美しさに吐息が漏れる。そして、剣を手にした双魔の凛々しい横顔に心音が大きくなる。


 「ほな、うちも。玻璃」


 「…………」


 鏡華に呼ばれた浄玻璃鏡が眼を閉じたまま前に出る。委細承知ということなのだろう。


 「主命である、浄玻璃鏡、真の姿を示せ!」


 鏡華の胸元、丁度心臓の辺りが着物の下で紫色の光を放つ。


 それに同調するように浄玻璃鏡の鏡の身体が発光し紫色の光に包まれる。


 やがて光が収束すると鏡華の胸元に一枚の鏡が現れた。それをそっと両の手で抱きかかえる。


 紫の水晶鏡。大きさはお盆ほど、形状は円形。輪郭は白、黄、青、緑、赤、黒の六色の組紐で彩られている。鏡面は瀬見の小川に揺らめく月影を映し出している。


 「双魔、うちらも準備出来たよ」

 「ん、じゃあ、はじめるか」


 小晦日、魔術師と遺物使いの化物退治が今、始まる。

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