第69話 鏡華の契約遺物

 双魔は勝手知ったる我が家のように廊下を居間にむかって進む。ティルフィングもそれに続いてトテトテついていく。


 途中、窓ガラスの外の庭には雪が積もっていた。庭の隅には少し小さめの仏堂が立っており、不思議とそこだけ雪が積もっていなかった。


 「さてさて」


 突き当りの襖をゆっくりと開けて居間へと足を踏み入れた。


 箪笥にテレビ、ちゃぶ台その他諸々が置いてあり、実に生活感に溢れている。


 そして、そこには妙な風体をした者が座していた。


 その身には男物の紫色の漢服を纏い頭には黒の冠。額には小さな鏡。薄紫の長髪を一つに束ねて左肩前に垂らしている。服に包まれて分かりにくいがよくよく見ると身体の起伏が女性的。要するに男装の麗人というやつだ。


 「…………」


 漢服の女性は部屋に入ってきた双魔とティルフィングに気付いた素振りを全く見せない。


 眼を閉じて整った姿勢のまま人形の様に座っていて微動だにしない。


 双魔はチラッと横目で見ただけで特に反応せずに敷いてあった座布団の上に胡坐をかいて座る。


 一方、ティルフィングは全く動かない女性に興味を抱いたようで触ったりはしないものの近づいて周りをグルグルしながら見ている。三周ほどすると双魔の許にきて、脚の間に座った。


 「あやつは遺物か?」

 「ん、そうだ……姉さんの契約遺物だ。神話級遺物、その名は……」


 その時、静かに襖が開いた。二人の視線はそちらに向く。丁度急須と湯呑を載せたお盆を持った割烹着姿の鏡華が来たところだった。


 「うちがいないところでも鏡華って呼んでくれなきゃ嫌やわぁ……双魔」

 「ね、んんっ……鏡華」

 「そうそ、よう出来ました……ほほほっ」


 咳払いで”姉さん”と呼びそうになった双魔を見て、朗らかに笑うとちゃぶ台にお盆を置いた。


 「何話してたん?」


 急須を二、三度揺らして湯呑にお茶を注ぎながら聞いてくる。お茶の色からするにほうじ茶のようだ。


 「ああ、ティルフィングに……鏡華の遺物を紹介しようと思ってな」

 「あらぁ、玻璃はりったらまだ寝てるん?ほら、双魔と遺物はん来とるよ、起き」


 鏡華は急須を置くと眼を閉じたままの女性に近づいてぺしぺしと軽く頬を叩く。


 「…………」


 すると玻璃と呼ばれた女性の眼がスッと開いた。首を動かさずに双魔とティルフィングに視線だけ送ってくる。表情は相変わらず無表情のままだ。


 「この子はうちの契約遺物。名前は浄玻璃鏡じょうはりのかがみ。長いからうちは玻璃って呼んでるけど……ほら、挨拶くらいしい」


 「…………そう……だな」


 鏡華に小突かれて浄玻璃鏡はやっと声を出した。声自体は箏の音のようで穏やかさと美しさを兼ね備えているのだが、感情に乏しく平坦な喋り口に聞こえる。


 ”浄玻璃鏡”とは日本における冥府の第五裁判所、閻魔庁の主であり、最高神でもある閻魔王が持つ鏡である。

 裁判において裁かれる者たちの全てを映し出すと伝承される神話級遺物で”業鏡”、”照魔鏡”などとも呼ばれている。


 「婿殿……久しいな……息災……だった……か」

 「ああ、玻璃も相変わらずだな。最近は体調も悪くない」

 「確かにえらい、顔色もええなぁ……ええことやけどなんかあったん?」

 「理由は分からんが、最近は熱も出ないし、血も出ない。食欲もあるし……健康体ってのはいいもんだな」

 「……それは……何よりだ…………剣の娘よ……其方とは……初めてだな」

 「うむ!我が名はティルフィングという!」

 「此方こなたが名は……浄玻璃鏡……玻璃と……呼ばれている…………主共々……よしなに……頼む」

 「承知した!」


 ティルフィングが笑顔で頷くのを確認すると浄玻璃鏡がまた目を閉じて何も話さなくなってしまった。


 「む?また、話さなくなってしまったな」

 「玻璃は無愛想なんよ……大体家にはうちと二人なのにだんまり決め込んで!退屈でしゃあないわぁ」

 「ん、まあ、遺物は色々難しいからな」

 「それに比べてティルフィングはんは愛嬌もあるし……ほんに可愛いわぁ……お菓子、食べる?」

 「む?…………くれるのか?」

 「もちろんやわぁ、少し待ってなぁ……確かこの辺に」


 鏡華は後ろに合った戸棚をゴソゴソと物色し始める。


 「あった、あった。はい、どうぞ」


 鏡華がティルフィングに手渡したのは千代紙で飾られた小さな茶筒だった。


 「?」


 ティルフィングが首を傾げて軽く渡された茶筒を振る。するとカラカラと音がした。


 音を聞いて首を反対に傾げながら蓋を開けて中身を掌の上に出してみる。茶筒の中から出てきたのは色とりどりのトゲトゲとした形の砂糖菓子だった。


 「な、なんだこれは?」


 剣兎に渡されたキャラメルを何の疑いもなく口にしていたティルフィングだったが今回は不安そうに双魔の顔を見上げてきた。やはり、鏡華が苦手なのは簡単には治らないらしい。


 「金平糖だな。甘くて美味しいぞ?ほれ」


 ティルフィングの手から何粒か取って自分の口に放り込む。


 「うん、甘い。な?」


 双魔の様子を見てティルフィングは恐る恐るといった様子で金平糖を口に含んだ。


 「……っ!」


 どうやらお気に召したようで瞬く間に頬がゆるゆるになっていく。それを見て双魔は手土産を渡していなかったことに気付いた。


 「ん、忘れてた。これ、お土産」


 鏡華にビニール袋を差し出す。透けて見える中身を見て鏡華は破顔した。


 「もしかして、子育飴?」

 「ん、店の婆さんがよろしくってさ」

 「ありがとう!丁度切らして買いに行こう思っとったんよ!食べてええ?」

 「……好きにしたらいいだろ」

 「ほほほ、おおきに」


 何処からか取り出した鋏で飴の袋を切ると一つ摘まんで口に放り込む。たちまち鏡華の頬も緩んでいく。元々笑っていたので締まりが消滅している。


 「うんうん、これこれ……双魔も食べる?」

 「いや、さっき試食で貰ったから……」

 「遠慮することあらへんよ?ほら、あーん」


 もう一粒袋から取り出すと双魔の口元まで持ってくる。というか押し付けてくる。透き通るように白く細い鏡華の指先が唇に触れる。断ると面倒そうなので大人しく口を開けた。


 「……あー……むぐっ」

 「ほほほ」


 口の中に入れられた飴をころころと舌の上で転がす。楽しそうに笑う鏡華を見ていると、さっき感じた優しい甘さの他に何となく甘酸っぱい味を感じるのだった。


 時計の針は三時手前と言ったところだ。この後の予定は特にない。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 「双魔はこの後何か予定はあるん?」


 思考を見透かしたように鏡華が聞いてきた。


 「……お前さんに会いにわざわざ帰ってきたんだ他に予定はないよ」

 「あらぁ……そんなこと言われたら……流石にうちも恥ずかしいわぁ」


 鏡華は頬を染めて何やら身体をくねくねさせている。


 「……鏡華は何か予定はないのか?」

 「うち?そやなあ……双魔とティルフィングはん、今日は家に泊まる?」

 「まあ、一応そのつもりだ。俺の家は帰っても誰もいないし……」

 「そしたら。お夕飯はお鍋でええ?」

 「ああ」

 「鍋料理か……左文に聞いたことがある。我も食べてみたい」

 「決まりやね。材料も揃てるし……予定は何もないよ?」

 「そうか……そう言えば左文のやつ来ないな」


 その時、双魔のスマホが音を鳴らすと共に振動した。画面を見ると知らない番号だ。


 (……誰だ?)


 電話を掛けてきているのが誰かは分からないが出ないわけにもいかないので画面に表示された通話ボタンをタッチする。


 「もしもし?」

 『もしもし、坊ちゃまですか?』


 スマホから聞こえてきたのは聞き慣れた声だった。


 「ん、左文か。どうした?」

 『もう、鏡華様のところにはお着きになりましたか?』

 「ああ、ついさっきな」

 『そうですか……』

 「何かあったのか?」

 『はい…………上総介さまのご機嫌が大変よろしく……宴に出るように誘われてしまいまして……』

 「そうか、それなら宴会には出てくるといい。こっちは大丈夫だからな」

 『申し訳ありません……夜にはそちらに向かいますので……鏡華様によろしくお伝えください』

 「ん、分かった。ああ、そうだ。夜、気を付けてなキナ臭いことになってるみたいだからな」

 『承知しました。それでは失礼しますね。また、後ほど』


 どうやら左文の方も中々盛り上がっているらしい。彼の御仁の宴好きは死しても変わらないようだ。


 「電話、左文はん?なんて?」


 隣でお茶のお代わりを注ぎながら鏡華が聞いてきた。


 「ん、こっちに来るのは夜になるらしい。夕飯は多分済ませておいても大丈夫だろ」

 「そう、そしたら双魔はお夕飯、何時ごろがええの?」

 「んー、六時ごろかね?」

 「分かった。せやったらもうしばらくのんびりしよか。うち、ブリタニアの話聞きたいわぁ」

 「……具体的に何が聞きたいんだよ」

 「んー……せやねぇ……」


 鏡華は頬に手を当てて目を閉じると考える素振りを見せる。そして、数秒経つと何かを閃いたのか目をパチリと開いた。


 「向こうには可愛い女の子とか、おるん?」

 「……勘弁してくれ」


 何とも答えにくい質問に双魔はたじたじだ。膝の上のティルフィングは浄玻璃鏡が気になるようでチラチラと見ながら金平糖を食べている。


 暖房が程よく効いた居間の中を温かい時間が流れていく。


 外では分厚い雲から白い花弁がはらはらと舞いはじめるのだった。


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