魔法使いの迷走
その後僕は、文香さんからVTuber制作の作業を依頼された。
今日父龍太がチロルハイムにやってきたのもそれが理由だったらしく、制作するVTuberの新しいアイデアを僕に授けてくれたんだ。今度のモデルはやや人見知りの激しい声優さんらしいのだけど、事務所でも期待の女子高生なんだとか。父龍太にその声優さんの写真を見させてもらったが、大きくぱっちりとした瞳は春日瑠海を彷彿させ、愛くるしいどことなく幼さを感じさせるふっくらとした輪郭は糸佳のそれに近いものを感じる。声優さんということもあるのかもしれないが、体型は華奢なそれというものではなく、少なくとも胸は美歌よりも……と言ったらまた怒られるだろう。トータルで見て全体的なバランスはやはり素晴らしく、クラスにこんな女子がいたらたちまち学校中の噂になりそうだ。声優さんじゃなくて女優さんと言われても不思議に思わないんじゃないだろうか。
まぁ父龍太がここまでアイデアを持ってくる辺り、実際会ってみると本当に可愛い女子高生なんだろうな。僕は思わず苦笑いを浮かべて、ふとそう思ってしまったわけで。
文香さんと父龍太は、二十一時頃に車で都内の自宅マンションへと帰っていった。文香さんは糸佳と喫茶店『チロル』に残り、長々と話し込んでいたようだった。恐らくは糸佳の引っ越しの段取りを相談していたのだろう。糸佳は今月末にはチロルハイムを出ていくわけで、もしそれまでに美歌が戻ってこないことがあれば、チロルハイムに残されるのは僕と茜と真奈海の三人だけ。なんとかチロルハイム全体の過半数の部屋は埋まっているものの、寂しくなるのは事実だ。
美歌のやつ、いつまで眠っているのだろう。みんな、ずっと待っているのに。
管理人室のドアが開いたのは、文香さんと父龍太が帰ってから間もなくのことだった。
「真奈海…………?」
VTuber制作の作業に取り掛かろうとPCの電源を入れた直後のこと。ドアがゆっくり静かに開き、僕ももう少しでその音を聞き逃すところだった。今度はかちゃっというドアが閉まる音が室内に響き、その音のすぐ目の前に真奈海がぽつんと立っていた。
目は相変わらず虚ろのままで、口元は怒っているのか悲しんでいるのか、どっちとも取れるその表情は冬の夜の管理人室をより一層冷たくする。まるで幽霊にでも侵入されたかのようだ。
「その子、可愛い子だね?」
父龍太が置いていった声優さんの写真を見て、真奈海はぼそっとそう言った。
「ん……ああ。事務所の新人声優さんだって。って、真奈海は知らないのか?」
「事務所のタレント全員の顔なんて、さすがに覚えてないよ」
真奈海は小さく笑いながらそう言うが、実のところそれにはやや疑問符が付いた。なぜなら国民的女優春日瑠海は、共演者やスタッフに至るまで、人の顔を覚えるのが得意だったはずだから。
「なによその顔。わたしに文句でもあるみたいじゃない〜?」
「別に、そういうわけじゃないけど……」
だけどそんな顔をしていると真奈海には一瞬でバレてしまう。僕が嘘を隠すのが苦手なのか、それとも真奈海が見抜くのが得意なのか。
「っていうか、そんなことを言うためにここに来たのか?」
すると真奈海は小さく笑い、僕にこう言ってきたんだ。
「クリスマスのライブまでに美歌が戻らなかったら、『BLUE WINGS』を一時活動休止にしちゃうってさ」
まるでそこら辺に置いてあった国語の教科書をただ棒読みするかのような声で。
「何だって? ……それって、文香さんがそう言ったのか?」
「他にいないでしょ。ようするにわたしはアイドルをクビってことだよ」
「お前、まだそんなこと言ってるのか……」
文香さんはそういう意味で言ってるわけじゃないって、僕はそう否定しようとしたけど、すぐに思いとどまった。なぜなら真奈海の言うことも実際は一理あって、活動休止のままアイドル卒業なんて、そんな話はいくらでもあるからだ。残酷な話ではあるけれど、文香さんだって慈善事業で芸能事務所をやってるわけではない。
とはいえ、その対象があの国民的知名度を誇る春日瑠海ともなれば――
「なあ、真奈海。美歌以外の誰かと組むという選択肢はないのか?」
「それはわたしが拒否した。社長はそれを推してきたんだけど……」
やはりか。いくら慈善事業ではないとは言え、文香さんだってあの春日瑠海をそのまま野放しで手放したくはないはずだ。少なくとも千尋さん、胡桃さんがいた頃の『BLUE WINGS』だってそれなりに人気もあったし、もし千尋さんが休業宣言していなければ、あの頃と変わらずずっと『BLUE WINGS』を続けられたかもしれない。だから今はもう一人メンバーを加えて、また新しい形で『BLUE WINGS』を再スタートさせることができれば、再び成功する可能性だって低くはない。むしろ文香さんとしては新しいタレントを春日瑠海と組ませることで、そのタレントの成長を期待したっておかしくないくらいだ。
だけど真奈海はそれを拒否した。その理由だって、僕には何となく理解できた。それほどまでに未来――霧ヶ峰美歌という少女の存在が、真奈海の中で大きく育っていたからだろう。これまでどこか空回りし続けた、アイドルとしての春日瑠海。それを公私問わず救っていたのは間違えなく、美歌だったからだ。
「美歌の代わりなんて、わたしには考えられないよ」
「そう、だろうな……」
これが真奈海の本音だろう。仮に新しいメンバーを加え、美歌も戻ってくれば、『BLUE WINGS』の人数は三人になる。それは新しい姿として、僕はありだと思ってる。だけど美歌が戻ってこなければ、メンバーは美歌を除いた二人だけ。そうすると真奈海としてみれば、その新しいメンバーが美歌の代わりのように思えてしまっても無理はない。もっともそんなの、真奈海の我儘と言われればそれまでではあるけど。
「なんでわたし、アイドルはダメなんだろ……」
真奈海は僕の部屋でもある管理人室に体育座りでちょこんと座り、自分のスカートの裾を弄りながらそんなことを溢していた。納得いかない……というよりは、無気力の顔。『BLUE WINGS』の名のごとく、空高く舞い上がるための青く煌めく羽は、今の真奈海の姿からは全く想像もできなかった。
「そんなこと言ってるからダメなんじゃないか?」
「なによユーイチ。いじわる……」
真奈海は下を向いたまま口を三角に尖らせている。可愛らしい、守ってあげたいと思わせる、そんなごく普通の女子高生の顔。もっとも世間が知ってる春日瑠海の顔とは明らかに程遠い。
「そもそもアイドルって言ったって、元々真奈海は歌だってそんなに上手くなかっただろ」
「ほんとユーイチはいじわるだな〜。落ち込んでる時の女の子の励まし方ひとつ知らないんだから」
そうは言うけど、真奈海は僕の言葉を否定はしてこない。まったく……。
「だけど真奈海は、それでもアイドルとして一生懸命頑張ってきたじゃないか」
「…………」
「女優の頃と同じように、舞台の上で華やかに舞って、歌って……」
「…………」
「僕はそんな真奈海が本当にすごいって、いつもそう思ってたんだから」
「……ねぇ。ユーイチ?」
真奈海は僕の言葉を遮るように、ふと顔を上げ、僕の方を見てきた。丸く、ぱっちりとした瞳を僕の方へぶつけてきて、思わずその瞳の中へ吸い込まれてしまいそうだ。
「わたし、みんなを笑顔にする魔法使いにはやっぱりなれなかったのかな〜?」
魔法使い―― そう言えば真奈海は事あるごとに、その言葉を口にしていた気がする。
「またその話か……」
「だってわたしは、いつもそのために頑張ってきた。誰かが幸せになれればって」
「そんなの当然だ。真奈海に届くファンレターだって、ちゃんと読んでるだろ?」
「だけどわたしの前からはみんないなくなっちゃうんだよ?」
「は? それとこれとは話が全然別物だろ」
「千尋さんに胡桃さん、そして美歌までも……」
「いや、だから……」
真奈海が口走った話の先は、あまりにも不条理だった。明らかにお門違いの話をしている。そんなの真奈海の頑張りとは関係ない話なのに、それを真奈海は……。
ひょっとすると『BLUE WINGS』のライブがここ最近不調なのって、真奈海が――
「ぜんぶ、ユーイチのせいだ……」
その瞬間、僕の背中にぴんと冷たいものが走った。
真奈海の言ってることは全然おかしくて、千尋さんや胡桃さん、美歌のことまでも全て自分一人で背負い込んでいた。だけどそこにはとどまらず、最後には僕のせいだと言う。ぽつりと溢した真奈海の口調には、殺意に近いものが感じられ、このまま二人でこの部屋にいたら、僕は殺されてしまうんじゃないかって考えてしまうほどだ。もっともそんなことあるはずはないけど、とにかく僕は謂れのない恨みを買っているような気がする。
あまりに理不尽で、どうしようもなくて、真奈海の今の気持ちが全て含まれているようで。
「こら真奈海ちゃん! 男子部屋に勝手に忍び込んじゃダメですよ!!」
そんな閉じられた管理人室の扉をぱんと開いて突入してきたのは、顔を真っ赤にした童女。なぜ真っ赤なのかについては……ひょっとして、盗み聞きされていた?
「い、糸佳……?」
「優一くんも事務所の看板アイドルをたぶらかすとか、男として最低ですっ!」
「いやこの状況をどう見たら僕がたぶらかしていることになるんだ?」
真奈海は糸佳の突入にも全く動じず、黙ったまま相変わらず僕を睨んできている。騙されているのは真奈海じゃなくて、どう考えても僕の方だと思うのだが、糸佳にはその状況把握すらできていないようだ。実に困った童女である。
「罰として今度の週末、優一くんにはイトカとデートしてもらいます!!」
「は!??」
「引っ越しの荷物を買いに行くんです。それくらい、文句ないですよね?」
特に文句はないというか、一応兄と妹と関係なんだし、それってデートというのか?
「いっつも真奈海ちゃんとデートしているわけですから、イトカと一度きりのデートくらい、なにも問題ないはずです!!」
「ちょっと待て。その『いつも』というのはさすがに語弊があるぞ!」
まぁしたことないわけではないけれど……。
「そうと決まれば……ほら、真奈海ちゃん。とっとと自分の部屋に戻りますよ!!」
そう言うと糸佳は颯爽と、真奈海を連れて僕の部屋から出ていった。真奈海は部屋を出ていく最後の瞬間まで僕に冷たい視線を向けていたけど、後ろ首筋の襟の部分を糸佳に掴まれ、なす術もないまま糸佳と部屋を出ていったんだ。
急に静かになった管理人室に、ドアの閉まる風が冷たい空気を運んでくる。僕には真奈海の視線がすっかり目の中にこびりついてしまい、その光景は今宵寝る瞬間まで、なかなか剥がれ落ちそうになさそうだ。
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