空高く舞う羽の行方

「それはつまり、茜の言うとおり、わたしがちゃんとやれてないってことですか?」

「そんなことは誰も言ってないわ。真奈海、あなたは一生懸命やってくれてる」


 真奈海はやはり納得していないようだった。誰よりも手加減を知らない、いつでも一生懸命な春日瑠海だからこそ、最高のパフォーマンスを披露できる。真奈海はそれを信じてやまないのかもしれない。


「だけどあなたには休憩というものがあってもいいんじゃないかって、そう思うのよ」


 そんな真奈海の全てを否定しているわけではない。一生懸命すぎるが故、かかってくる期待もプレッシャーも、何もかもが高すぎる。だけどそれを常に乗り越えてきたのが春日瑠海だったんだ。


「休憩? 冗談じゃない。わたしは既に女優を休んでるのに、これ以上休んでられない!」

「違うわ。アイドルを休むんじゃなくて、あなた自身を休めた方がいいってそう言ってるの」


 そんな常に全力の真奈海に、文香さんの言葉など届くはずもないだろう。肩をぶるぶる震わせて、真奈海はやはり何を言われているのか理解できていないようだ。まるで社長に解雇通知を受けたとでも勘違いしているかのようで、特徴的な大きな瞳は灰色に輝き、虚ろに染まっている。


「これまであなたはうちの事務所で頑張ってきてくれた。もうこれ以上ないくらいに事務所に貢献してもらってる。だから……」

「だからようするに、わたしはクビってことですね?」

「違うって言ってるでしょ!!」


 さっきまで穏やかだった文香さんの声が徐々に大きくなっていき、ついには怒鳴り声が喫茶店『チロル』に強く響いた。こんな感情丸出しの文香さんは僕も初めて見たくらいだ。そんな母に代わって、すぐ隣りに座っている糸佳が今にも泣きそうな顔をしている。


「真奈海。あなたは本当に頑張り屋さんよ。事務所の他のタレントも、もっと真奈海を見習ってほしいっていつも思ってるの」


 さっきから文香さんは社長というより、まるで優しい母親のよう。


「だけど、頑張りすぎるのよ。いつだって」


 もっともその優しい言葉が、今の真奈海にちゃんと届くのかわからないけど。


「頑張りすぎるほど空を舞うための羽は脆くなる。それは羽がぼろぼろになって疲れてしまうから。だから今は、あなたが持つ素敵な羽を休ませるときなんじゃないかって、私はそう思うのよ」


 なぜならそれほどまでに春日瑠海は空高く、遠すぎて誰も見えない場所を飛んでいたから。文香さんの声は真奈海に届くかわからないけど、それでも文香さんは何とか話しかけようとする。


「だったら……わたしはどうしろっていうんですか?」


 真奈海は文香さんをきっと睨みつけた。案の定、文香さんの心は届かなかったのだろうか。だけどそれは文香さんの言葉を全く理解できていないとか、そういう顔でもないように思えた。本心から、真奈海自身どうするべきなのかわかっていなくて、自分の歩く道を探し当てようとしている。そんな風にも感じる。


 昨日の『BLUE WINGS』のライブは、確かに盛況のうちに終わった。もっとも『BLUE WINGS』と言っても美歌はまだ病院で寝たままなので、言うなれば春日瑠海のワンマンショーだ。これまでと同じように、トークで会場を温め、ダンスと歌で観客を熱狂させる。エンターテイメントとしては王道の手法。そのプログラム構成に至ってもどこにも落ち度はないし、春日瑠海だってプログラムを全力でやってのける。観客だって一見普段と何も変わらないそのライブに、満足もしたことだろう。

 だけど少しずつではあるけど、その王道なエンターテイメントは音を立てて崩れ落ちそうなまでになっていた。何がどう変わったというのだろう。ずっと真奈海を見てきた僕でさえもかなり曖昧なもので、不確かでもあった。それでも、周囲の人全員が気づける程度のものであって、ついには茜がそのトリガーを引いただけ。

 

 真奈海自身は何も変わってないと主張する。きっと本心なのだと思う。

 真奈海の頑張りも僕らにはちゃんと伝わってきていて、否定することは当然できない。

 でも、だからこそ僕らは――


「なぁ、真奈海」

「なによユーイチ?」


 僕はそっと、真奈海に声をかけた。僕の声に反応して、ふとその顔を僕に見せてくる。その顔は春日瑠海というより、いかにも真奈海らしい顔。今にも泣き出しそうな顔していて……どんなときだって泣かないのが春日真奈海の強さだと思っていたのにな。

 だけど僕はこの顔をちゃんと知っている。弱々しくて、甘えんぼで、まるで小さな子犬のようなそんな顔。国民的女優とか、なかなか売れないアイドルとか、そんな肩書きを全部すっ飛ばして、誰もが知ってる春日瑠海の顔じゃなくて、ごく普通の女子高生である春日真奈海としての顔。


 ――最近僕は、真奈海にそんな顔をさせてばかりだったな。


「文香さんの言うように、少しだけ、休んだらどうだ?」


 だけど僕はそんな真奈海の顔、一度も望んだことはない。いつも強がりを言って、周囲の人も全部巻き込んで、僕をひたすら困らせる。それが女子高生である春日真奈海の真骨頂だと信じているから。本当にどうしようもない性格しているけど、みんなから嫌われているかもしれないけど、それでもそんなのお構いなしだって、真奈海はいつだってそんな顔をしてるじゃないか。


 僕は、そんな真奈海のことが好きで仕方ないんだ。


「ふ〜ん。ユーイチまでそういうこと言うんだ〜?」


 そう言うと、真奈海は天を仰いだ。

 本当に今でも泣きじゃくりそうで、必死に涙を堪えている姿が、僕の目に焼き付く。文香さんの言うとおりそんなに頑張らなくてもっていいんじゃないかって、ここにいるみんな誰もがそう思ってるはずなのに、真奈海はすっかり自分の殻の中に閉じこもってしまった。


 今の真奈海には、僕の言葉さえも届かなかったんだ。

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