美歌と糸佳と真奈海と優一の時間

「お兄ちゃん。まだ美歌ちゃん、目を覚まさないですか?」


 糸佳と真奈海が病室に戻ってきたのは、それから数分後のことだった。糸佳が抱えたレジ袋の中にはたくさんの果物が詰め込まれている。バナナやリンゴ、そしてメロンまで。どちらかというと栄養価の高そうな果物が多い印象だ。きっと糸佳と真奈海のことだから、いつ美歌が目を覚ましてもいいようにと選んできたのかもしれない。それにしても高校生の小遣い程度ではとても買えそうもないものばかりのような気もするのだけど、社長令嬢の糸佳と国民的アイドルの真奈海に任せてしまった以上、もはや今更それを言ってもどうしようもない。


「ああ。目は覚ましてないな……」

「そうですか……」


 糸佳は相変わらず元気のない声を漏らす。常の性格が元気印の糸佳だけに、そんな声を出されると僕もたまったものではない。糸佳の弱々しい声はちくりちくりと僕や真奈海にも伝染してしまうんだ。

 ちなみに糸佳は昨日からそればかり質問してくる。もちろん美希から長期戦になる可能性が高いと何度も聞かされて、それを糸佳だってちゃんと理解しているつもりなんだ。だけど、それでもすぐに目を覚ましてほしいという淡い期待が多少なりとも存在するのは、糸佳だけでなく、僕の中にあるのも事実だった。


 真奈海はと言うと……実のところ、僕や糸佳以上に重症だった。

 閉じたままの美歌の目を見て、真奈海は黙ったまま固まっている。まるで死んだ魚のような目をしていて、正直何を考えているのかわからない。ひょっとすると何も考えることができずに、頭の中が真っ白に消されてしまっているのかもしれない。


「おい、真奈海。大丈夫か?」

「あ。……うん」


 真奈海は僕の問いかけに、何とか返すので精一杯のようだ。

 だけどその真奈海の応答は、こんな風にも感じられた。真奈海は真奈海の中にいる美歌と、会話をしているんじゃないかって。いつまで寝ているの? どうして黙ったままなの? なんでわたしを見てくれないの? ――それを自問自答するかのように、美歌に話しかけようとしているんじゃないかって。

 ライブのMCでも語っていたように、真奈海にとって美歌の存在は非常に大きなものへと変化していた。だからこそこうして眠ったままの美歌を受け止めきれてなくて……ひょっとすると美希よりも信じられないという思いでいっぱいなのかもしれない。


 それにしても美歌のやつ、いつまでこうして眠っているのだろう?

 楽しそうな顔でも苦しそうな顔でもない。無表情、そう表現するのが正解かもしれない。

 ずっと静かに、目を閉じ続けている。

 美希の言うとおり、まだ当分目を覚まさないつもりなんだろうか?


 ――だけど僕にはそうは思えなくて……今すぐに目を覚ましてもおかしくないんじゃないかって、美歌のその美しい寝顔を見ていると、ふとそんな風に思えてしまうんだ。


「なぁ。美希?」

「なに?」


 そして、僕にはやはり辻褄が合わない部分がどうしても残っていた。


「なぜAIの美歌を切り離すと、残された美歌は目を閉じたままなんだ?」


 一年前の交通事故が起きた直後、美歌は植物状態となっていた。事故のショックでそのような状態になったのだと、その点は僕にも理解ができた。

 ただし今は状況が違う。美歌は一度目を覚ましていたんだ。目覚めた美歌はチロルハイムにやってきて、糸佳や真奈海、茜、そして僕ともごく普通に生活を送っていた。『BLUE WINGS』としてアイドルデビューも飾った。いつも楽しそうに笑って、頼りない僕を励ましてくれたりもした。

 それが幻だったというのだろうか。AIの自分を切り離しただけなのに、どうして同時にもう一人の美歌まで目を覚まさなくなるんだ? そんなの、納得がいくはずもない。


「……ここでは話せません。管理人さん、少し付き合ってもらえますか?」


 すると美希は静かな声でこう答えたんだ。まるで聞かれるのがわかっていたかのように、同時に小さな溜息を溢したことにも僕は気がついた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る